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じぶんひとりで好きになったんじゃない、君がいたから好きになった本。

じぶんの本棚をつらつらみていると

これはじぶんひとりで好きになったわけじゃない

そんな本の背表紙がちらちらとみえる。

そしてそれらの本の向こう側には昔、好きだった

彼の顔が浮かんできて、あんなに喧嘩したというのに、

本を通して感じるその人のことは、やっぱり好きだった

と、想えたりする。

大学時代の彼の本棚はひどく難しい本が並んでいた。

いつも権力にはアンチな思想を持っていたいって

思っていた彼のアパートの本棚には、本田靖春の

本がずらっと並んでいた。

その背表紙をみて、それをわたしが手に取ったことは

なかったけど。

それから彼の本好きに付き合いながら親に内緒で、

彼と旅行した時に訪れたのは、城崎温泉だった。

なんで、城崎温泉なん?

って聞いたら、

彼が、城崎いうたら志賀直哉やろって答えた。

主人公が病気療養の為に城崎温泉を訪れる。

病気療養していたわけじゃないけど彼には

持病があって。

しょっちゅう具合が悪くなることがあった。

城崎温泉に来れば元気になるかもしれへんやん

って彼が笑う。

ふたりの初旅行は、志賀直哉にあやかって、

城崎温泉にした。

この小説をあとから読んだ。

主人公は蜂が死んでいるのをみつけ、ネズミが

ひん死でもがいているのを眺め、イモリを不注意で

あやめてしまったことを悔いながら、

自分が死なないでいることが偶然であることに

思い至る。

そして生き物たちだって偶然に死んでしまうことに

想いを馳せる主人公。

彼と別れてからこれを読んだ時、なんだか切なくて

わたしはもっと志賀直哉の「城崎にて」を通して

彼のことをしっておきたかったって、思った。

まだ若かったわたしは彼のように視野のなかに、

死という概念がそう近くにはなかったような気が

する。

ただ、肉体的じゃなくて精神的な死については

わたしもいつもその辺りをうろうろしていたかも

しれないけれど。

そして、京都に遊びに行った時も、高瀬川を眺め

ながら、彼のことばで森鴎外の『高瀬舟』の感想を

聞きながら、苦しくなった。

ふたりで旅をしているのに、せつなくて痛い。

高瀬舟の物語は、いわゆる安楽死を描いた作品だった。

どうして彼が好きな作品にはこんなにも死を想わせて

しまうものばかりなんだろう。

へらへら日常を暮らしていたわたしの中に、ちょっと

スラッシュが入って、淀んだ空気をもたらしたけど。

気持ちを曇らせてごめんって謝りながら、わたしは

いつも彼に追いつけていないなにか引け目を感じて

いたんだと思う。

心の淀みの原因は、この高瀬舟のせいじゃないと

高瀬川を眺めながら思っていた。

でも、唯一彼と共有できた作家は大好きだった、

宮本輝だった。

彼と好きな作品を共有している気持ちが、じぶん

たちの行く末を照らしてくれているようで、

ちょっと希望が持てたそんな気がしていた。

今も本棚に並んでいる宮本輝作品をみていると、

やはりその本の向こう側には彼の顔がちらちらと

ちらつく。

この小説が好きだった。

主人公の名前が彼に似ていた。読みながらわたしは

彼を重ねていた。

働いてゆくことでふたりの関係性が変わってしまう

ことをまだふたりがしらない頃にこの作品を知った。

そして

そろそろ別れの匂いがしてきた頃に彼がこれ

いいよって教えてくれたのが

『錦繡』だった。

主人公のふたりは離婚していたのに、偶然に

蔵王で十年も経ってから再会してしまう。

そして、そこから静かな往復書簡のやりとりが

はじまる。

静なのに熱い。会っているよりも絶対濃度の

往復書簡。

もし彼と別れてしまっても、わたしはこのふたりの

ように往復書簡のようなものでつながれるんじゃ

ないかって心のどこかで想っていた。

それは浅はかでもあるし、高を括っていたってこと

かもしれないけれど。

時折今も文章を書いていると、彼への手紙のように

書いてしまうことばがある。

彼との旅の思い出のあいだには本があった。

そして彼とわたしの間にも本があったこと、

いまそのことがちょっとだけわたしの救いに

なっている。

でたらめに あるいてきたと うそぶくだれか
吹き抜ける 風のにおいに あやまちとけて 





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