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にんげんにもテリトリーってあるでしょって言われて、心がうなづいた。

思いがけなくすっごい笑ったあとって

なんか寂しい。

涙流すぐらい笑ったのになんかぼんやりと

寂しくなったりする。

だから、思いっきり笑ったあとは、

気ぃつけてよ、あとで寂しくなるよって

じぶんに言ってあげたいぐらいの時が

ある。

面白いことって、なんか突然やってくる

から。

そういうはめにおちいるのだけど。

小さい頃も、お腹を抱えて笑いたいことが

あってげらげらしたあとは、ぽつんと

立ちすくんでいたような記憶がある。

そして、猫のようにその輪から外れて

しまいたくなる。

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それとは逆に怒りたいようなことだって

突然やってくるから。

悲しみのあとわたしは怒りがやってくる

のが常で。

そうすると、またひとりになりたくなって

その輪からはずれようとする。

変な癖もしくは業だなって思う。

そして、わたしは狩りにでかける。

みあった言葉を探す狩りをしにゆく。

それはたいてい深夜で、しんしんとあたりが

静寂に包まれるような時間で。

みつけた!ユリイカ!ってなってた!

アーカイブスの録画してあった番組の中で

ある言葉と出会った。

<すべての魚 すべての生き物 あなたにもテリトリー
意識っていうものがあるわけ。ご家族とかね。ご家族の
中にも自分のテリトリーってってのがござんしょ>

これは開高健さんが最後の旅で遺したドキュメンタリ

番組、『釣って食べた生きた』の中でのインタビューの

言葉。

改めて、開高さんのおおらかさと繊細さがないまぜの

彼の肉体から発せられる言葉にくぎ付けになった。

テリトリーって、魚や鳥やけものたち、人間以外の

専売特許のようなところが気がしていたけれど。

そんなことはぜんぜんなくて。

ちゃんと人のなかにも、みえない縄張りみたいな

ものを張りながら、みんな生きているわけで。

仕事の中のテリトリーもあるし。

それで言い争いになることだってある。

家庭のなかにだってあるし。

そして、SNSの中にだってあるし。

今私がいるnoteの中にだって歴然と

テリトリーは存在している。

みんなちゃんと、それぞれのテリトリーを

守っているし、相手のテリトリーも尊重して

いるから、ここに共存していられるんだ

と思う。

でも、人ってそれぞれの物差しは違うし、時には

ぶつかりあうし、背かれるし、ぶつかったつもり

でもするりとかわされて、すりかえられたり

するし。

時には心の中に土足で踏みにじられたりもする。

人間にだってテリトリーはあるやんって

作家、開高健さんにこうやって、ちゃんと言葉にして

もらうと、こんなに心も頭もすっきりするもの

なんだなって。

笑った後にひとりになりたくなるのも。

悲しんだ後、怒りが湧いてきてひとりになりたく

なるのも。

何処となくこれは自分のテリトリーを守ろうとして

いる証なのかもしれない。

開高健さんを好きだった人を好きだったことがある。

懐かしさと頼もしさを兼ね備えたところがいいねって

ふたりで話したことがある。

開高健さんのあの大阪弁を、あのでっぷりとした

お腹から響いてくる声で聞いてみたかった。

そして、こんなことで今、腹立ってんって

開高さんに相談したかった。

答えの言葉を差し出す代わりに、たぶんだけど

想像だけど、豪快な後の笑いのあとに訪れる

とても静かな長い凪が訪れてくるような気が

している。

そしてその余白のような静けさは、ちょっと

胸のどこかについてくるようで、それは一抹の

寂しさを覚えてしまいそうだった。

明け方の 指紋の渦が ゆうべにずれて
ひとびとの なわばりゆらぐ 記憶がゆれる




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