![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/38184993/rectangle_large_type_2_e13edf5c40421c5de9d2b99757b044f7.jpeg?width=800)
note書いてると、過去をなにかと掘りたくなるね。でも、そんなに掘るなって自分にも言いたい。
往生際が悪くて。
何かいたらいいかわからなくなって、あれもこれもって。
食べ物やさんで、メニュー決められない人のように、なんか
いつも悩んでしまう。
noteって過去を掘っちゃうね。
掘りすぎてしまうけど、あまり掘りすぎるのもどうかと思う。
浅堀りで行こうと思うのに。
昔の幼稚園の芋ほり大会とか栗拾いとか、あのもうその土から
顔出してるよぐらいでほんとうはいいのに。
掘ってるよまた。
🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰
なにかと触れちゃいけないっていわれ、言われ続けて。
そんなに苦痛じゃないかもしれないって思っていたのは、ちょっと
甘くて。
人と人とのディスタンスそれもオッケーって思っていたじぶんも
いたけれど。
この数か月、ふりかえってるのか繰り返してるのか、ほんとわから
ないけれど。
なにかに触れるたびに、齟齬を感じつつ、感じていた。
新聞の読書欄を見ていたら。
「美しい痕跡」という、イタリアのカリグラファーの方の一冊の
書評が目に留まった。
好きな評者、武田砂鉄さんだったので、いつも最後までとっておいて、
見ないようにして、いちばんおしまいに読む。
すきなデザートは、最後にゆっくり食べるっていうあれです。
その一冊は、書くとは、手で書くとはどういうことかってことが、
綴られていて。それは、
<書き文字には私の思考が映る。いやむしろ、書き文字は私の
思考そのものと言える>
という箇所を引用されながら、作者は書くという行為がじぶんの
存在理由のためにあるのだと、考察されていた。
今は、こんなふうにタイピングしているけれど。
筆記用具を用いて紙に書いている時は、紙とじぶんの指と頭が
一直線に結ばれたような気がする。
その指からびびびと。
頭のこめかみ辺りになにかが走るような感じが、ちょっと好きで、
基本、紙になにかを書くのが好きだったりする。
買い物のメモ書きも、
ヘミングウェイの『老人と海』の中の
<人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない>
とかも、書いていると。
指先からなにか秘密の指令が来て、その言葉の暗示にかかったりする。
わたしは、高校生の頃。
大好きだった担任の安見子先生に言われた。
あんた、これからどうするねん、なにがしたいん?
って、安見子先生に問われた時、1つだけ答えた言葉を思い出す。
書いてゆきたいです。
そう答えた。
作家とかか?
って問われたので、首を横に振って、
ただ書きたいんです。
って言った。
じゃ、書家か、書道家か?
って畳みかけられたので。
そうじゃなくて、ただ文字を書いていたいだけです。
あの頃、家族は頭数はそろっていたけど。
いろいろあって、わずらわしくて、すべてが面倒で。
ただ文字を紙の上に書いているだけで、とても心穏やかになったし、
無心になれたし、嫌な出来事の記憶から逃れられた。
手で書くことの効用みたいなものを、あの時知ってしまったのかも
しれない。
その時は言語化して、じぶんの中で納得させるっていう方法を知ら
なかったけれど。
紙に触れて書くっていう行為には、予想以上の力がそこに備わって
いるんだよって、あの頃のじぶんに言ってやりたい。
武田砂鉄さんの紹介されている、『美しい痕跡』って。
こういうタッチレスな世の中だからこそ、響いてくる本だなって。
なんていう素敵なセレクトをされるんだろうって、しみじみ今、
その表紙に見惚れつつ、遠くにあるものをにじり寄るように
引き寄せている気分です。
今日の一曲は
まふまふさんの 悔やむと書いてミライです♬
どうぞお聞きくださいませ♬
はらはらと 落ちてゆく羽根 触れたくなって
行き先を 教えてくれる 初秋の風です
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊