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note書いてると、過去をなにかと掘りたくなるね。でも、そんなに掘るなって自分にも言いたい。

往生際が悪くて。

何かいたらいいかわからなくなって、あれもこれもって。

食べ物やさんで、メニュー決められない人のように、なんか
いつも悩んでしまう。

noteって過去を掘っちゃうね。

掘りすぎてしまうけど、あまり掘りすぎるのもどうかと思う。

浅堀りで行こうと思うのに。

昔の幼稚園の芋ほり大会とか栗拾いとか、あのもうその土から
顔出してるよぐらいでほんとうはいいのに。

掘ってるよまた。

🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰 🍠 🌰

なにかと触れちゃいけないっていわれ、言われ続けて。
そんなに苦痛じゃないかもしれないって思っていたのは、ちょっと
甘くて。

人と人とのディスタンスそれもオッケーって思っていたじぶんも
いたけれど。

この数か月、ふりかえってるのか繰り返してるのか、ほんとわから
ないけれど。

なにかに触れるたびに、齟齬を感じつつ、感じていた。

新聞の読書欄を見ていたら。

「美しい痕跡」という、イタリアのカリグラファーの方の一冊の
書評が目に留まった。

好きな評者、武田砂鉄さんだったので、いつも最後までとっておいて、
見ないようにして、いちばんおしまいに読む。

すきなデザートは、最後にゆっくり食べるっていうあれです。

その一冊は、書くとは、手で書くとはどういうことかってことが、

綴られていて。それは、

<書き文字には私の思考が映る。いやむしろ、書き文字は私の
思考そのものと言える>

という箇所を引用されながら、作者は書くという行為がじぶんの
存在理由のためにある
のだと、考察されていた。

今は、こんなふうにタイピングしているけれど。

筆記用具を用いて紙に書いている時は、紙とじぶんの指と頭が
一直線に結ばれたような気がする。

その指からびびびと。

頭のこめかみ辺りになにかが走るような感じが、ちょっと好きで、
基本、紙になにかを書くのが好きだったりする。

買い物のメモ書きも、

ヘミングウェイの『老人と海』の中の

<人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない>

とかも、書いていると。

指先からなにか秘密の指令が来て、その言葉の暗示にかかったりする。

わたしは、高校生の頃。

大好きだった担任の安見子先生に言われた。

あんた、これからどうするねん、なにがしたいん? 

って、安見子先生に問われた時、1つだけ答えた言葉を思い出す。

書いてゆきたいです。

そう答えた。

作家とかか?

って問われたので、首を横に振って、

ただ書きたいんです。

って言った。

じゃ、書家か、書道家か?

って畳みかけられたので。

そうじゃなくて、ただ文字を書いていたいだけです。

あの頃、家族は頭数はそろっていたけど。

いろいろあって、わずらわしくて、すべてが面倒で。

ただ文字を紙の上に書いているだけで、とても心穏やかになったし、
無心になれたし、嫌な出来事の記憶から逃れられた。

手で書くことの効用みたいなものを、あの時知ってしまったのかも
しれない。

その時は言語化して、じぶんの中で納得させるっていう方法を知ら
なかったけれど。

紙に触れて書くっていう行為には、予想以上の力がそこに備わって
いるんだよって、あの頃のじぶんに言ってやりたい。

武田砂鉄さんの紹介されている、『美しい痕跡』って。

こういうタッチレスな世の中だからこそ、響いてくる本だなって。

なんていう素敵なセレクトをされるんだろうって、しみじみ今、

その表紙に見惚れつつ、遠くにあるものをにじり寄るように
引き寄せている気分です。

今日の一曲は

まふまふさんの 悔やむと書いてミライです♬

どうぞお聞きくださいませ♬

     はらはらと 落ちてゆく羽根 触れたくなって
      行き先を 教えてくれる 初秋の風です 

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