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戻らないブーメランみたいなあの夏に。

夏になるとなぜか、大人になって

しまってからの夏の自分よりも、

あの夏に子供だった弟とかあの夏に

もっと子供だった甥っ子を想いだして

しまう。

あれは5年ぐらい前の彼の夏休み。

太陽がぎらぎらじりじりしている空の下

近くに住む甥っ子が、自転車を全速力で

漕ぎながら、家へやってきてくれた。

2週間ほどオーストラリアまで行っていた

彼からおみやげをもらう。

はしっこが黒く塗られていて、まんなかには、

木の肌を生かしたウッディなかわいい

カンガルーのデザインが描かれている

ブーメラン。

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くの字型をしていたのは、知っていたけれど

意外とやさしい角度をしているブーメランを

こうして手にとるのは始めてかもしれない

なって思いながら、

その形と色がとても気に入ってしまった。

アボリジニの狩りの道具でもあったんだって、

そういって彼はそのブーメランを渡して

くれた。

オーストラリアの家庭におじゃまするホーム

ステイを経験してきた彼は、旅の前と後では

こころなしかだけど、ちょっとだけ日々を重

ねた片鱗がみえたような気がした。

ちっちゃい頃、石段のひとつをあがるのにも

おぼつかなかったあの足が、その頃既に父親と

同じぐらいのサイズになって玄関にスポーツ

シューズが並んでいるのを見ているとなんだか、

ふしぎな気分になってくる。

声変わりもその年の前の年ぐらいにしていた。

声変わりと共に、立ち居振る舞いが落ち着いて

みえたとき。

あ、もう去年までの彼はいなくなったみたいな

さびしさに似た気持ちになった。

少しだけ遠いところにこどもだった彼がひとり

ぽつねんと佇んでいるような感覚になって。

子供のいないわたしには、いちいち立ち止

まってしまいそうになる。

子供がおとなになることにちょっと翻弄

されて。

大人になるための通らなければいけない道の

ひとつを目の当たりにするってこういうこと

なのかもしれないって思う。

おとなにむかう道を歩んでいる彼がこの先

いつか海の向こうで過ごしたあの夏のことを

思い出すときがあるんだろうなと思う。

去年からのあの病のせいで、ずいぶんと

彼には会っていない。

時折電話をして母に声を聞かせてあげている

みたいだけど。

それにしても投げる風をまといながら戻って

くるブーメランに郷愁を感じたりして。

そういえば、彼は言っていた。

「子供だった頃のことぜんぶ忘れちゃって

るんだよね」って。

そうなんだ、って返事したけど。

わたしはどこか記憶しすぎていて

おかしいってみんなから言われていたので

憶えていることを隠さなければいけない

ような子供だったけれど。

ま、子供の時ってそんなに過去を振り

かえらないわなって思いながら。

彼は今を生きているんだなって。

ちょっと眩しくなった。

そして彼は言ったのだ。

「そのブーメランはね戻ってくるんだけどね
お姉ちゃん知ってる?(わたしは未婚なので
弟が気を遣ってお姉ちゃんと呼ばせてる)
戻らないブーメランもあるんだって

すごくない? みたいなドヤ顔で言われて

そうなんやって返したら。

もっとびっくりしてみたいな顔をされて。

戻らへんのはつまらんなってわたしは

言いながら、それブーメランの話やない

なって自分の中でつっこんでおいた。

あの夏の 風の匂いに 焦がれる海で
ぶーめらん 放たれてゆく まなこから遠く






       


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