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あの人は窓だった。そんな人が、わたしにもひとりだけいた。はじめて編集者さんがついたあの頃。

目覚めると窓を開ける。あたりまえのようだけど、あの窓を開けるという
行為のなかには、たいせつな一日がはじまるよっていう、かるい儀式のよ
うなものが含まれている気がする。



それはいつも内側から外へと向かう視線だけれど。

タクシーやバスで帰る帰り道、灯りのついたマンションの窓をみあげるときがある。そういうときだけは外から内で。

みんなあのなかに集まって、家族の営みがあることを思うと、ちょっとわけのわからない切なさに囲まれてしまう感じがする。

それは見た瞬間のほんの一瞬のことだけど。
灯りの洩れている間接照明のあのやわらかい光を見上げる時、なにかじぶんのなかの時計がくるってしまったような気持ちになってしまう。
 
4月ぐらいに観たイギリス映画の中でもが台詞のなかに登場していた。


<人生に大きな窓が開かれた気がします。そこを通り抜ければ、あなたにふさわしい人間になれるのでは・・・。>

編集者と作家の物語。「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」からの
手紙に書かれたことば。

実はこのnoteを書き始めた時、ここのnoteの原稿の後ろ側には編集者はいないのだから、自由にきままに書けるのだと、どこかで安堵したことを憶えている。

ブログだってなんだってそういうものだけれど、わたしはSNSとか一切やっていなかったので、そんな思いが過った。

一度だけわたしにも、編集者さんがついてくれたことがあった。

エッセイの公募で、元カレの話をちょっとセンチメンタルに盛って書いてしまったら、なんとか佳作に滑り込み。

じゃ、やってみますか?

って電話口で問われて。

返事しよう、やりますって返答しようかと思っていたら、あちらの言葉が畳みかけてきた。

御承知かと思いますが、原稿を頂いても、こちらの編集内容とそぐわないなどもろもろの条件で、毎回掲載されるわけではないので。掲載されました折には原稿料を支払わせていただきますね。

って。

はじめて聞くその人の声は、とても低温でハスキーな声の女子で。

ま、いくら署名原稿だといっても、公募だし依頼原稿じゃないわけだからそんなもんっしょ。

って高を括っていたけれど。

かなり、このレース、(佳作までの入賞者5人ぐらい)わたしには重くて。

受からん方がよかった? みたいな究極の弱気の種がすくすく育とうとしていた。

その雑誌は、本好きの人がよく読む月刊誌で、まだ創刊3年目ぐらいのころで。

その編集さんはおっしゃる。

本好きの読者もしくは、プロの方も目を通されているということを重々、認識されて原稿をお書きください。

って。

ぷ、ぷ、ぷれっしゃーが!

漬物石をまともに、もろ心にくらったみたいな始まりで。

それでもその漬物石をはねのけんとすべく、しがみつき。2年位はこなしたと思う。

胃も痛んだし、食べれなくなったし。そして今でも忘れない。

比喩がきまりすぎて気持ち悪い。


って、三度目ぐらいでダメ出しが来た、電話口で。

耳元で。耳の中に棲んでしまいそうなぐらい勝手に私の中でリフレインされて。

その人きりっとした編集さん、おまけにすごい標準語の人で。隙がない。

これがカンサイやったら、
比喩がなんちゅうの、ドンピシャすぎてな、ツッコまれへんやんとか言ってくれたと思うけど(妄想か!)

ま、その編集さんに、いろいろ言われたけれど。

再考してください、再考しました、もういちどお願いします。
再考が最高!になるなんてゆめのゆめやねって思いつつ。

編集の人と付き合うって、うまくコミュニケーションできなかったし、ちょっとその後トラウマになった。

どこがって言えないけれど、ここの段落からここまでの、なんていうか冒頭のニュアンスと違うっていうか、色が変わりすぎて気持ち悪いっていうか、
起承転結のケツに落とし込まれてないでしょ。

また、気持ち悪いって言われてるやん。

別にほめてほしいとかやなくて、言い方ってあるやんってことで。

編集者は言い方が9割とかいう新人ライターさんが書いた本とか読んでみたいぐらい。

その後は、編集さんという方はつかない場所で書かせて頂いているけれど。

わたしは、ほんとうは切磋琢磨できるような編集さんに出会いたかったとは今でも思っている。それは憧れの域だけれど。

で、さっきの映画の窓の話。

もう一度、書きます。

映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」の中の手紙の一文。

<人生に大きな窓が開かれた気がします。そこを通り抜ければ、あなたにふさわしい人間になれるのでは・・・。>

作家が愛と憎しみを感じた編集者に宛てた手紙。

そんなふうに綴られていて、どれだけ時間が経ってもはじめて逢ったあの日と思いは何も変わらないのだと、しめくくられていた。

編集者と新進作家の葛藤の日々が描かれていた物語。
とてつもなく自由でありたいがゆえに、まわりを傷つけてしまうその若き作家が命の締め切りに気づいた時に手紙にしたためた言葉。

ひとつ窓を開けてそこをくぐる度に、一歩ずつふたりで育む理想の形にちかづく。一生のうちにそんな関係性を築けるって、生易しくはないはずだけど、映画でみるたびに、ひりひりと互いの傷さえもとてもまぶしかった。
  
あの人は、窓だった。
そんなことに気づくのは、ずっとあとのあとになってからなんだないっつもって、思った。
あの人は、内側からも開きたくなるし、外からもタイミングよく開いてくれる窓だったのかもしれなかったなって誰かのことを思いつつ。
そんな映画を観たんだよって、ほんのすこしだけ報告したくなっていた。

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そして最後にわたしがnoteで書いた記事をサポートしてくださった方に、この場を借りてお礼申し上げたいと思います。

カモミールの芝生さま。

note書き始めてさいしょにサポートしてくださった方です。
あの時寄せてくださったすてきな言葉とてつもなく書くことへの励みになりました。
ほんとうにありがとうございます!

https://note.com/bvcj/n/necdac02eb598

もうお一方は、丸武群さんです。

はじめての童話に挑戦したときに、サポートしてくださった方です。
祖父との思い出を物語を、受け止めてくださったことほんとうに、
うれしくて、思わず母にまで報告してしまいました。
ありがとうございました。

https://note.com/bvcj/n/n5311aba2a04e

あの頃、はじめてついてくれた編集さんといろいろあったもやもやしていたいた自分にすこしだけ教えてあげたい気もして。

ま、書くことで暮らしていくのはいまだに夢だけれど、まだ書いてるよって。その後いろいろあるけれど。いいこともあったし。

あんまりくよくよすんなって昔の自分には言っておきたい。

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ひらかれる 眼と窓と そしてなにかと
つかのまに 駆け抜けてゆく 声の欠片は



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