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誰にもみせない文章を書いてみる。

noteもそうだし、たとえばTwitterなどを

やっている人もきっとそうだと思う。

誰かの目に触れることを前提に

言葉を表に出している。

noteをはじめた頃、書くということで

変わったことと言えば同じように書いて

いても、たえずこの言葉は風にさらされる

ことになるんだなということを意識する

ことだった。

誰もみていないところで書くことは

わりと、慣れていた。

サイトの何処かで文章を発表をしても

そこにスキやいいねがつくわけじゃ

ないところで書いていたし。

今も書かせて頂いているけれど。

担当の方に渡したら担当の方のありがとう

ございますの挨拶のような感想を

頂戴するだけで。

わたしがそれをどこかで、発表することは

なかった。

この間、知人の方に相談を受けた。

こんなわたしで相談になるのかと思った

けれど。

彼女はずっとネットネイティブみたいな

ところがあるようで。

少し、最近疲れてるんですと言った。

とくに「書く」ことに。

たぶん、だけど。

それって、たえず人の目にさらされる

文章を書きすぎてしまったが故じゃ

ないだろうかと思った。

SNS絶ちすればいいのかとか、そういう

込み入った話はわたしがやすやすと

助言なんてできないけれど。

だって、彼女の人生にSNSがなかった

季節はないことを思うと。

なにかわたしが言える立場にはないな

って思った。

急に禁煙して、調子を落としてしまう

人と同じで、どうメンタルに響くのか

までわたしには計り知れない。

だから、わたしが言えたのはひとつだけ。

誰にもさらさない文章を書いてみるのも

いいんじゃないかって。

いいねやスキとは対岸にある言葉。

誰も見ない自分だけのノートに書くような

そんな言葉。

もちろんみてもらって、ほめられたり

スキをもらったりいいねをもらえる

ことはきっと励みになるに違いない。

でも彼女は、じぶんの文章をみている

他者の視線が時々こわいのだと訴える。

話を聞きながら、誰かの視線を意識しない

文章に浸ってみるのもいいのかもしれない

なって思った。

今は誰もがなにかのお題について、絶えず

あなたの意見はどうなんだと問われている

そんな時代だと思う。

たえず、意思表明しなければいけない

そんな今をみんな生きている。

わたしはあまり向いていないって常々

思ってきたけれど。

白でも黒でもないもしかしたらグレー

ゾーンでもない答えしかないような

こともあるかもしれない。

言葉がじぶんの中に生まれたら、そっと

寝かせておくのもいいかなって思う。

今想うことを今表明してゆくことの

速度からすこし離れてみることで、

またじぶんが見えてくるのかもしれない。

その相談からしばらくして彼女から、

すこし楽になったって連絡があった。

いまは紙が、ほとほと嫌われている

紙ゼロを目指している昨今だけど。

好きな若草色の紙のノートを買ったんです

って言っていた。

こんなの何年振りだろうって笑っている

ようなそんな文章のメールだった。

添付された画像には春の香りがしそうな

かわいい手帳がそこに写っていた。

わたしは、なんとかしぼりだすように

彼女に答えた対処法だったけど。

わたしもいつか「書く」ことに疲れたら、

誰にもみせない文章を紙にシャーペンで

書いて、じぶんの内面を整えたいなって

そんな思いに駆られている。

もっと昔はそれが日課のようなところ

があったから。

今年の日記のページの空白に、後で書こうと

思う色々な切り抜きだけがはさまっていている。

日々に追いついてないことが今、ちょっと

悲しいだけ。



なにもない日に なにもなかったって 書けなくて
探してしまう なくした一日だった って書けなくて


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