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「おまえ、ウソついたな」 タリーズで本を読んでいると、隣の席についた二人組のうちの一人が、とつぜん相手をなじった。 言葉を吐いた方が女の子、その向かいは男の子。しどろもどろになって、「え?」と呟いている。 どうやら二人は、この席につくまでに、「どこまで勉強したか」話をしていたらしかった。テストか、あるいは受験の話だろうか。 なんだ、そんなことか、と真っ赤っかな他人であるわたしは安堵した。 けれどそれとは裏腹に、久しぶりに耳にしたキツイ言葉に、その後の文章が頭に入らなくなっ

    • 祭りの記憶

      小学校に入学する前に、引っ越しをしました。最寄りの駅から徒歩で約三十分の場所に位置する、築三十年のマンションです。 近くに河川敷があり、引っ越しして初年目と思われる夏の夜、母に連れられ、そこで花火を見ました。 まだ右も左も分からない頃です。 子どもが持つ適応力で、日々の生活に馴染んではいましたが、自我というものが確立しておらず、心にゆうれいを飼っているかのように、内側には不安がうずまいていました。 土手は暗く、人の顔さえ判別できません。 眼下では、連なった屋台の最終尾で

      • きわめて透明な

        イオンの帰り、駐車場へと続くスロープを歩いていると、足許になにかが落ちているのを見つけた。注視しながらその脇を通りすぎる。 裏返ったカナブンだった。 とうに動いてはいなかった。 初めて人の亡骸を見たとき、「魂ってほんとうにるんだな」と思った。 生命活動を停止した肉体は、どう贔屓目に見ても「遺体」だった。生きているようには見えない。眠っているようにも見えない。 音がしない。動かない。 人の生死に触れると、肉体はほんとうに容れ物だったのだということがよく分かった。魂が抜けた時

        • 眠るまぎわに

          眠りに落ちる寸前に、とつぜん何かが分かることがある。小さな悟りが訪れる。きっかけがあるときもあれば、きっかけがないときもある。昨日は、好きな詩を読んだあとだったので、その言葉がきっかけだったのだろうと思う。 物心ついたときから、どこに居場所があるのかが分からずに過ごしていた。具体的にいえば、幼稚園に入ったくらいから、である。 分からないまま大人になったものの、月日がたつと共に、いつしか自分の存在が、誰かにとっての居場所となってしまっていた。 たとえば、わたしに帰る家はない

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        • 本棚
          74本

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          海を泳ぐ

          夏になると海を訪れる。泳ぐためだ。 元々、海はべたべたして好きではなかったが、(川で泳ぐ方が好きだった)息子を妊娠したとき、突然、「海に行こう」と思った。そして日本海を訪れ、泳いでみたらとても楽しかった。 子どもの頃は、海水浴といえば兵庫の須磨に父と行くのが恒例だった。だけど前述のとおり、わたしは海水浴後のベタベタする感じが本当に嫌で、また、単調な波の動きが当時は退屈に感じられて、人も多いし、本音を言うとあまり楽しめたことはなかった。それでも夏になると父が須磨に連れて行って

          海を泳ぐ

          蚕日記〈その2〉

          蚕のエサを人工飼料から桑の葉に切り替えた。 五齢の後半に至り、熟蚕(繭を作り始める段階)が近づいた為である。 蚕たちにとっては初めての桑の葉。さて、どんな反応をするだろう、とワクワクしながら、蚕座(カイコを飼育する箱)にそっと桑の葉をいれる。すると、蚕たちの動きが激しくなった。 おお、興奮しておられる!!(私が) やがて、予定より一日はやく一頭目が繭作りに入った。 ただ生きる、そのシンプルな美しさ。

          蚕日記〈その2〉

          音楽の贈り物

          人から教えてもらった音楽というのは、みずから探して好きになった音楽とは別種の特別感があるように思う。 わたしがこれまでに、人から教えて頂いたアルバムは二つあり、その一つが「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ」というピアニストが演奏したショパンのマズルカである。 匂いさえ立ち込めていそうな暗闇の、奥の方からリンゴのように赤みがかった音の玉がコロン、と転がりながら、こちらに向かってやってくる。 熟した果物の匂いがする。 舞台には私一人きりだ。 うまく言葉にはできな

          音楽の贈り物

          蚕日記〈その1〉

          (幼虫の写真があります。 苦手な方はご注意ください) 蚕を飼い始めてから、明日でちょうど一週間を迎える。 蚕にはずっと興味があった。養蚕農家のエッセイも読んだし、蚕の飼育法に生涯を捧げた人についてのマンガを読んだりもした。 そしてこの夏、満を持して? ついに蚕を迎えることができた。 販売されていたカイコは、4齢2日目だった。 この「齢」というのは、孵化してから脱皮をするまでの期間を指す。生まれてから、初めての脱皮までが1齢。脱皮後は2齢。4齢は3回脱皮を終えた状態であ

          蚕日記〈その1〉

          月を見ていた

          令和元年に結婚をしました。23歳でした。 まだまだ、子どもでした。何も知らなかったから、結婚ができました。 初めて 人を恨むことを覚えました。 知らない世界でした。自分に向けられる、「悪意」や「敵意」を知らなかった。 結婚して、というよりかは、 嫁にきて、五年が経ちました。息子が生まれ、義理の父が亡くなり、さて故郷では、置いてきた父母が老いさらばえ、祖父母がいつ亡くなるかしれない状態にあると知る。 色んなものの 終わりの音が近づいてくる。 今日は、月が綺麗です。

          月を見ていた

          読書日記

          『アテネのタイモン』が面白かったので、家の本棚にあった『ヴェニスの商人』を読みました。 友人(バサーニオー)のため、自らの肉を担保にしてお金を借りた貿易商のアントーニオー、お金を貸したシャイロック、この二人のやり取りが話の根幹となっています。また、バサーニオーとポーシャの婚約や、ロレンゾーとジェシカの恋愛などのエピソードがかなり際立っており、戯曲を読むのに慣れていないせいでしょうか、どこに焦点を当てて読んだらいいのか、初心者には分かりづらいところがありました。 もっとも目

          読書日記

          読書日記

          初シェイクスピアでした。 本作『アテネのタイモン』は、トマス・ミドルトンとの共作だそうで、解説を読むかぎり、つくりの粗雑さから「未完の作品」と言われることもあるのだそう。わたしは、マジで? と思いました。充分すごかったんですけど……。 ストーリーとしては、まずアテネにタイモンという貴族がいる。この男は、心優しく、博愛精神に満ちた人であり、アテネ中の人々から慕われている。けれども、欠点がある。先を読むのがちょっと苦手なのだ。 タイモンの周りにはたくさんの人が集まってくる。

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          私を私たらしめるもの

          「Mademoiselle O(マドモアゼル・O)」は、ナボコフ自伝の『記憶よ、語れ』や『ナボコフ全短編集』に挿入されている、ノンフィクションの短い読み物です。 自伝の中には様々な家庭教師たちとのエピソードが出てきますが、このマドモアゼルとの思い出は、その他の教師たちよりもたくさんの文字数を割いて懐古されています。(特別な思い入れがあるのでしょうか。) かつてナボコフ兄弟の家庭教師であったマドモアゼルは、体が大きく、過激で、暗く、傷つきやすい性格の持ち主です。反抗的で、気

          私を私たらしめるもの

          Speak,Memory

          『記憶よ、語れ』というナボコフの自伝を読みました。翻訳は大津栄一郎さん。洗練された読みやすい文章でした。以下、感想文を書きます。 内容は、全十五章から成り立っていますが、それぞれの章が一つの読み物として独立しているので、前章の余韻を引き摺ったまま次章へ突入すると軽く戸惑いを覚えました。(一つ一つの内容が濃いだけに)。もちろん、大まかには時系列順に並んでいます。幼少期のナボコフの精神が、両親の愛や自然、家庭教師たちによって育まれていく過程、ロシア革命が勃発してからは亡命時代を

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          ヤマモモの収穫

          庭でヤマモモを収穫しました。 排気ガスをたっぷり吸ってすくすくと育った 自慢のヤマモモです。 ネットのレシピを参考にしながら、水洗いを何度も繰り返し、塩水に一時間漬けて小虫さんたちを追い払い、満を持して齧ってみると、これがなんと美味しいことでしょう( ;∀;)うまあ 今年の夏は蓮の花も咲かないし、庭の草花たちはまだ、家長(義父)の死を悼んで、喪に服しているのかなあ、とも思ったのですが、ヤマモモは大収穫でした。しかも今年初です。 お義父さん、ありがとうね!

          ヤマモモの収穫

          雨あがり(2024.6.21)

          先日、来客用のスイカを切り分けているとき、小指を切ってしまって、お医者さんに縫ってもらいました。今日は抜糸の日でした。 道中は雨が降っていましたが、病院を出るころにはすっかり晴れていたので、傘立てに傘を忘れてきてしまいました。(後ほど、取りに行きましたが。) 帰って夕飯を作って、まだ明るかったので、息子を連れ、近所の公園へ泥遊びをしにいくことに。 全身泥だらけになって遊ぶ子どもの姿は微笑ましいものですが、息子は変なところ潔癖症なので、30分もたたないうちに、みるみるテン

          雨あがり(2024.6.21)

          父の日に

          今年、年男である父から「龍の絵を描いてほしい」という要望がありました。父が何かしらの絵を欲しがるなんて、珍しいこともあるものだと思いました。調子でも悪いのかと思って尋ねたら、次の時までは生きてるか分からないから、と返事がきました。わたしは、そっか、と思いました。父は今年で72歳で、持病もそこそこあり、あまり健康そうには見えません。 そのようなわけで父の日に龍を用意することにしました。 おそらく父にとっては、娘が描いたということが大事なのだと思うので、上手く描けなかったところ

          父の日に