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眠るまぎわに

眠りに落ちる寸前に、とつぜん何かが分かることがある。小さな悟りが訪れる。きっかけがあるときもあれば、きっかけがないときもある。昨日は、好きな詩を読んだあとだったので、その言葉がきっかけだったのだろうと思う。

物心ついたときから、どこに居場所があるのかが分からずに過ごしていた。具体的にいえば、幼稚園に入ったくらいから、である。

分からないまま大人になったものの、月日がたつと共に、いつしか自分の存在が、誰かにとっての居場所となってしまっていた。
たとえば、わたしに帰る家はないが、息子や夫にとっては、わたしのいる場所が、彼らの帰る家そのものになっている、というふうに。

父は家庭を営めなかった。
そういう病気だった。
母は、むすめの存在が足枷だった。
「お前のせいで」「お前のためやったのに」
母がお酒を飲むと、よく聞く言葉だった。

娘がいるために、
母は好きな人と再婚ができなかった。
娘がいるために、
母はお金に不自由した。
人生のほとんどを、母はわたしに取られてしまったのだった。
それは本人の口からよく聞いた言葉であり
言葉にしなくても、娘に伝わっていることだった。

念のため断っておくが、わたしは母から愛されている。わたしも、母のことはもちろん、父のことも大切に思っている。

みんなそうだ。
大切には思ってくれているが、
ただ、わたしの存在は、どこに行っても邪魔だった。
ちょっと来て喋るだけならいいけど
長居すると迷惑な来客みたいなものだった。

そうか、わたしは
ずっとそれが悲しかったのだと
昨日、眠る直前にふと理解した。

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