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海を泳ぐ

夏になると海を訪れる。泳ぐためだ。
元々、海はべたべたして好きではなかったが、(川で泳ぐ方が好きだった)息子を妊娠したとき、突然、「海に行こう」と思った。そして日本海を訪れ、泳いでみたらとても楽しかった。

子どもの頃は、海水浴といえば兵庫の須磨に父と行くのが恒例だった。だけど前述のとおり、わたしは海水浴後のベタベタする感じが本当に嫌で、また、単調な波の動きが当時は退屈に感じられて、人も多いし、本音を言うとあまり楽しめたことはなかった。それでも夏になると父が須磨に連れて行ってくれたのは、とても大切な思い出の一つだ。


大人になって知ったのは、わたしは日本海側の海が好きみたい、ということだった。
岩場が多く、波が荒い。水中で、岩から岩へと渡り泳ぐのが楽しい。
度入りのゴーグルをつけ、息をめいいっぱい吸い込み潜ると、霞んだ水の中で、魚が見える。




閑静な港町で、一泊二日の滞在をした。二日間とも海に入った。やっぱり、岩場の多い海で泳ぐのは気持ちいい。網を持って潜ると、小さな魚と大きな魚(どちらもフグだったが)が獲れた。初めて水中でウニを見た。牡蠣の赤ちゃんと、サザエの赤ちゃん(タラちゃんではない)がいた。カニを一匹捕まえた。

息子と一緒に汀に腹這いになり、波が気持ちいいね、と言った。旦那に写真を撮ってもらった。

生き物たちは、カニ以外全て海に返した。堤防に座る私たちの側で、おこぼれにあずかろうとしている少年が、魚の放流を今か今かと待ち構えていた。



海は、夕方になるにつれて波が高くなり、また場所によっては温かい海水に冷たい海水が流れ込んできたりなどして、ふいに見せる自然の獰猛な一面に怖さを感じた。


宿をとった旅館は、海に面していた。食事会場には地元の人たちもいた。(旦那が喫煙所で仲良くなっていた。)色んな世代の人間がいる。年寄りから赤ん坊まで。大家族での宿泊みたいだ。


当たり前だけど、この町には知らない人がいて、その人は自分たちとはまったく違う人生を生きていて、他人からは見えない各々の記憶を持っているのだと思うと、本当に人間って不思議だな、と思わずにはいられなかった。


帰り道、高速道路を運転していると、道や山並みが夕焼けで赤く染まった。そうしてすぐに夜になった。
家族はすぐに眠った。

県をまたぐ。しばらく車を走らせていると、黒い山の麓に星のような無数の明かりが見えた。
待っている。義理の母が、家が、待っている。
麓の煌めく夜景を見つめながら、ああ、あそこが、わたしの帰る場所になったのだ、と思った。

君が大事にしているものほど
これからも更に奪われていくだろう
でも生きていかなくちゃなぁ

吉井和哉


帰宅すると、さっそく蚕さんの状態を確認した。一応、蚕全員を上蔟させてから出掛けたが、ちゃんと営繭できているか心配だった。
大丈夫だった。綺麗な繭ができていた。


さて、今は虫かごでカニさんを飼育している。弱るかな、と思いきや、毎朝水換えをしているためか、その元気さは衰えない。
ただ、雑食だというわりには、何をあげても食べてくれない。フンはしている。金魚みたいな、細い、糸のようなフン。警戒心が強く、わたしが近づくと俊敏な動作で、貝殻の下に隠れてしまう。


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