月を見ていた
令和元年に結婚をしました。23歳でした。
まだまだ、子どもでした。何も知らなかったから、結婚ができました。
初めて
人を恨むことを覚えました。
知らない世界でした。自分に向けられる、「悪意」や「敵意」を知らなかった。
結婚して、というよりかは、
嫁にきて、五年が経ちました。息子が生まれ、義理の父が亡くなり、さて故郷では、置いてきた父母が老いさらばえ、祖父母がいつ亡くなるかしれない状態にあると知る。
色んなものの
終わりの音が近づいてくる。
今日は、月が綺麗です。
よほど暑い日は別だけども、風呂上がりには庭に出て煎茶を飲むのを習慣にしています。
今夜はそのまま、公園にいきました。水溜まりがありました。夕立の跡。等間隔に置かれた町の明かりが水面に反射しています。
帰り途、マンションの上にオレンジ色の月が浮かんでいるのを見て、ふと足をとめました。
綺麗だ。
綺麗なものを見ると、泣きたくなる。
泣きたくなると
どこからともなく、言葉がやってくる
ああ
辛かった
惨めだった
だれも知らない。今も、これから先も。
私が歯を食いしばって生きてきたこと。
辛いとき、苦しいとき、怒りに打ち震えるとき、
あなた方は笑っていました。
家族で仲良く、幸せそうに。
お義母さん、誰もあなたを責めないでしょう。
あなた自身でさえ。それでも。
私は言いたい。あなた方が奪ったのだと。
返してくれよ。あなた方に出会う前の私を
どうやったら戻れる? ねえ
23歳の小娘を、60歳にもなるあなた達が、よってたかって虐めたんだよ
満足でしたか?
言葉は、心の中でだけ。なぜなら知っているから。きっと、誰のせいでもないこと。強いて言うなら、自分のせいなのだということ。うまく立ち回れなかった。自分の心を守ることができなかった。すり減らしてボロボロにした。今の自分の姿は、自業自得。あるいはこうなったのは、時の流れのせい
数年前とちがって、今は、だれのことも恨んではいません。すべては過去になりました。こうして感情が昂るのは、ほんのたまにだけ。相変わらずいやな思いはするけれど、なんだっていいと思えるようになりました。生きてさえいてくれれば。
誰のせいでもない、と書きました。誰のせいにもしない、と誓いました。他人は勿論のこと、自分のせいにもしない。誰をも責めない。ただ、そうなっただけだった。
そうして、「いま」がある。
時の恩恵も充分に受けています。
けど、このボードレールの詩には共感を覚えます。
昔のわたしと
今のわたしの落差を思う夜には。
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