祭りの記憶
小学校に入学する前に、引っ越しをしました。最寄りの駅から徒歩で約三十分の場所に位置する、築三十年のマンションです。
近くに河川敷があり、引っ越しして初年目と思われる夏の夜、母に連れられ、そこで花火を見ました。
まだ右も左も分からない頃です。
子どもが持つ適応力で、日々の生活に馴染んではいましたが、自我というものが確立しておらず、心にゆうれいを飼っているかのように、内側には不安がうずまいていました。
土手は暗く、人の顔さえ判別できません。
眼下では、連なった屋台の最終尾でしょうか、仄かな明かりが見えます。わたしはただ、母と花火を見ていました。
それがとても楽しかった記憶として、今でも思い出されますが、一方で夢だったのかもしれない、とも思います。
先日、電車に乗り、夏祭りに行きました。子どもの頃に連れて行ってもらっていた大きな祭りではなく、こじんまりとした、小さなお祭りです。
電車に乗るのは久しぶりだったので、このままドアが開いて降りたら、大阪だったらいいのにな、と少し思いました。
宵の空には、「お盆のような月が」出ていました。祭りにはおあつらえ向きです。
川下に流れていく灯籠を土手から眺め、屋台のポテトを食べ、花火を見上げながら、濃い草の匂いを嗅ぎました。祭りはこれくらいの規模がちょうどいいんじゃないでしょうか。風情があって。心に沁みゆくようなひと時でした。
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