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江戸時代の結婚

これまで、結婚の略史として、飛鳥時代・奈良時代、そして鎌倉時代から戦国時代にかけて述べてきました。

続きの江戸時代は・・・

強固な封建体制が確立され、武士社会の影響で、女性は低い地位に置かれ、儒教の倫理観にある三従七去(さんじゅうしちきょ)のような規範もあった。

三従…女性は幼い内は父に、嫁(か)にしたら夫に、老いれば息子に従えというもの。

七去…嫉妬する、夫の父母に従順でない、子どもができない、品行が淫ら、悪い病気がある、窃盗する、口達者で親類と不仲、の7つ。

⇧江戸時代といえば、このような規範のもとで、男性側から勝手に三くだり半(離縁状)をつきつけるというイメージで、女性の地位が著しく低く暗い時代と見られがち。

でも、現実には260年余の長期にわたる、大きな戦いのない平和な世が続くなか、他の時代に比べて庶民の生活は安定し、その婚姻も、かなり自由でおおらかだったそうです。

結婚形式は、明治のはじめまでは、一般庶民は事実婚としての「婿入り婚」が多かったと言われていて、男性が最初は妻となる女性の家に通う。

そして、かなりの期間が過ぎた後に、男性の家に「嫁入り」したといわれる。

「嫁入り」の時期は、男性の母親が家事の一切の権利を譲るときだということ。

へぇ〜じゃあ、嫁が姑のやり方に従わないといけないとか、そんな感じではなさそうですね。

人口の多数を占める農民層では、女性は手に職を持つ貴重な現金収入の稼ぎ手として、さらに子どもという農業の労働力を生み出す役目の共同経営者ともみなされていたので、その資質を見極める期間、すなわち「婿入り婚」という事実婚があって、その後に嫁入りということになったと言われている。

したがって、婚前の性交などは当然で、子どもを連れての嫁入りも多くあった。

現代では「できちゃった婚」とか叩かれますけどね。あと、ヴァージン・ロードでしたっけ、ああゆう価値観は西洋のものですね。

また、武家や商家の結婚では持参金があって、持参金めあての結婚や離婚、仲人業まであったと言われている。

このように、江戸時代の結婚は、現実生活優先できわめて実利的な目的で行われ、「好いた惚れた」だけの恋愛結婚は少なかったと言われている。

なによりも「恋愛」ということば自体が明治期からの造語で、江戸時代では「色恋」といい、現代のように恋に憧れる人を「浮気者」とか「艶気者」と言った。

「好き・愛してる」という理由のみによる結婚は「浮気結婚」と言われていた。

なるほど、じゃあ、恋愛なんてしなくてもいいし、できなくてもよかったんだ。

私の弟のように「リア充爆発しろ」とか、そんなことも考えなくてよかったわけですね。

離婚でも「三くだり半」とは、実際には離婚したという証明で元夫からの再婚許可証でもあり、男性は求められると、やせ我慢をしてでも書いたケースもあったんだとか。

女性と男性の財産も別と考えられていて、なかには、結婚前に離縁するときの条件をあらかじめ文書化する現代の契約婚に近い制度も存在したと。

妻の不倫も死罪という理(ことわり)だったけど、よくあることで、ほとんどお金で解決されていた。

もちろん離婚による不利益も、現代とは違い、女性は労働・家事育児のキャリアの持ち主として重宝され、再婚にも支障はほとんどなかったと。


☆出典☆

『性の“幸せ”ガイドー若者たちのリアルストーリー』 著者:関口久志 (エイデル研究所)



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