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醜いデザインを観ると目が悪くなるのか?

タイトルは先日の電話で先輩が私に言った一言です。すごく印象的だったので、皆さんに共有させていただきます。これも何かの縁です。


デザイナー先輩の教師の言葉:
「美しいものを見てください。そして美しくないものは見ないでください」
「なぜかというと、目が悪くなりますから」



この教えはその先輩にとって、深く記憶に刻まれる言葉だったようです。彼は今50代です。当時10代の時の記憶とのことで共有くださいました。

美しいものを見続けることで目が肥えて、自身が作り出すデザインの美的センスもそれに応じて上がるということ。そして、逆もありこれに応じて悪くもなるんだ。という警告としても受け止めたというお話でした。


では果たして、これはどうなのか?


私なりに考えてみました。

私は20才前後のクリエイター志望の子達にデザインを教えているのですが、彼らのさらに一回りの上の30前後の若い駆け出しのデザイナー、そして逆に私の一世代上の、その先輩も含めた50代以上の方々との間で、「美意識」の持ち方は確実に隔たりがあると感じます。


べつに美意識の定義を述べたいわけではないのですが

「美意識」というのは
「何かを美しい、と感じる意識」ではなく
「何かの美しさを、追求する意識」です


何かをみて、「綺麗だ」「美しい」「醜い」という感じ方は人それぞれに感覚が違いますが、普遍的な美しさを美しいと感じることに置いては全人類共通です。
ただ、この「美しさ」を生み出すクリエイター側としては、


「美しさ」と相反する「醜さ」の2つの比較を、無数に繰り返すことによる
「美しさ」の追求をしていく姿勢が必要です。
これが「創造」です。


この行為におきまして、デザインの現場で「美」を切磋琢磨して生み出そうすることにおける、ある種の「ストレス?」と言いますか、「追い込み方」あるいは内部のデザイナーの同業や上司からだけでなく、クライアントからの「追い込まれ方」の差が、


美を生み出すデザイナー側では、世代間で確実に美意識の「差」が広まり


社会のデザインニーズにおいては、
着実に「甘く」なってきている


というのが私の主観です。
このデザイン業界に携わる40代以上で長くデザイン業界にたずさわれてきた多くの方々も同じように思うところではないでしょうか。。

デザインは数十年前はより「職人」の仕事でした。MAC登場まえのお話になります。まだ版下と呼ばれる時代で、写真はフィルムで撮影されていた時代です。時代というほど長く遡る必要がないほどここ数十年でデザイン業界は大きな変革を続けてきました。経済社会における、「良いものは何か」ということへの「価値感」も合わせて変わってきます。その中で、デザイナーやデザイナーにクリエイティブワークを依頼する側の「美意識」が仮に落ちてきているのだとしたら、それを救いあげるのはデザイナーの役割なわけです。美意識の落ち込みは、デザインニーズを生み出す社会システム側に原因がある言ってしまうことは容易ですが、私たちクリエイターがそれを認めても何になるんでしょうか?


では、具体的にどうしたらいいのでしょうか?
これは今後社会を動かしていく新世代デザイナーにも強く意識してもらいたいと思うのですが、



「求められていなくても、美意識を可能な限り、高めてください」



ということだと思うんです。
「求められることをやる」という商業的に傾倒しすぎる視点は
ある意味で「あぶない」というか。


我々クリエイターがこの美的視点を捨てると、ある意味社会は住み心地の悪い場所になっていくんじゃないかと思うですよね。



少し脱線しますが、先ほど触れたその先輩がウェブサイトデザインのUIデザインについて、文字の頭出しが揃えられない、スペース調整が効かない、と外部のプログラミング会社との連携における美意識の差を嘆いてました。これは私にはよく理解できるのですが、特にエディトリアル系デザイナーにとっては、1mmのズレを「確かなズレ」と感じられます。ちなみにその先輩はロットリングという技法で1mm以内に10本の微細な線をアナログでブレなく描くことができるほどの、優れた目を持った方でした。こうした「目」にとっては、今のUIUXの激しい変化のスピードに対応できるが、「微細なデザイン調整が効きにくい」のデザインシステムと、うまく馴染めないわけです。


今の日本にとって、こうした「目」を育成することは、デザイナー業界を牽引する各種団体や現役のデザイン業界の大御所の方々の役目ではないかとさえ思うんですよね。。



「目」というのは養われます。



微細な違いを気付ける力は、「訓練」でいくらでも伸ばせます。
そこに必要なものは「観るという強い意思」「継続的な観察」で初めて
「目」が成長してきます。
美しいものを見続けることは、「目」を養うことに繋がることは間違いないです。




最後に。
この記事のタイトルの「醜いデザインを観ると目が悪くなるのか?」
への回答ですが、私は悪くなるとは思いません。
ただこれだけは言えますが

醜いものを観て「それが醜いもの」だと認識できないと、
当然ですが、無意識に自分でも同じ醜いものを
生み出します。
理由は、
「わかってないからです」


そのため、たくさんの美しいものを観る必要があるのだと思います。
美的な視点を増やすること。
たくさんの視点を自分に取り込む必要があるんです。


私は、受動的に生きるのは好きじゃないです。
常に能動的に世界と向き合いたい。


この美的レベルが落ち、「質」から「速さ」に移行している社会の中でクリエイター側ができることは改めてなんでしょうか?


「自分はどうしたいのか?」

「あたなはどうしたいのですか?」


自分の世界は結局、自分で作るわけです。
最終的には「時代」ではない、全てを自分の「意志」で選択をすれば、やがてそれに囲まれます。
全ては自分次第ですよね?




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クリエイティブディレクター/アートディレクター。ブランディング会社POROROCA代表。企業クリエイティブ顧問として、ブランディングデザインを中心にコンサル。ロゴ。コーポレート書体制作によるブランド支援を行う。常葉大学造形学部講師。国内外デザイン受賞歴多数あり。お仕事はDMにて。

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コメント (2)
うわ!私の言いたかった事、言われちゃいましたよ!
今度、この辺りを書こうかな〜と思ってたんですが、
同じ目線の方がいることに感動すら覚えます。
素晴らし過ぎる!!!
生徒さん達は、幸せと思います。
もちぽよさん、そうでしたか。。
業界の長い方ほど同じように感じていらっしゃる方、意外に多そうですね。

同業の方から共感いただけるというのはとても嬉しいです!
ありがとうございます^^
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