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タイや東南アジアなどを含めて30ヵ国以上を旅をしながら仏教最古の仏教教典アッタカのとパ…

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タイや東南アジアなどを含めて30ヵ国以上を旅をしながら仏教最古の仏教教典アッタカのとパーラーヤナ篇を基にのゴータマ・ブッダの叡智を解説する。専門は仏教、哲学、心理学。

記事一覧

第13章 仏教最古の経典について

  ここまで読んだ読者の中には、次のように思う人がいるに違いない。  あなたが言っていることは分かったが、あなたがそう言っている根拠となる「最古層の経典」とは、…

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第12章無我について

 仏教で説かれる「無我」(非我)の「我」とは、人間の本体として想定される、「形而上学的な意味合いでのアートマン」として捉えることが可能であろう。  ところが、そ…

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第11章 仏教用語の成立時期について

 一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということ…

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第10章 この生涯の先にも後にも不死はない

 初期仏教の中でも、特に比較的新しい層の経典の中には、「三明」(宿命通・天眼通・漏尽通)というものが記されている。  「三明」(三種の明知)とは、過去世を見通す…

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第9章 「アーサヴァの滅」について

 「アーサヴァの滅」について仏教の経典には、仏教の核心に触れる箇所において、「アーサヴァ(asava)を滅する」という語が、随所に散見する。  古代インドの言語のエ…

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第8章 史実としてのブッダについて

 仏教最古の経典『スッタ・ニパータ』よりもさらに古い資料を含むと言われているジャイナ教の聖典『イシバーシャーイム』(聖仙のことば)には、サーリプッタとマハーカッ…

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第7章 「破僧の定義」の変更について

 原始仏教聖典(パーリ・ニカーヤ)の中には、待機説法という言葉では到底説明がつかないような「真逆の教え」や「矛盾した教え」が数多く混在している。  一例を挙げて…

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第6章 「異説の徒」について

 『長部経典』の第一経である「梵網経」(聖なる網の教え)の中には、当時、釈迦の存命中に説かれていたという62の見解が列挙され、その〈限定された62見〉によっては正覚…

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第5章 アートマンについて

 ゴータマ・ブッダは、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ 、本名ヴァルダマーナ)と同様に、宇宙の根源たるブラフマンの存在を想定せず、そ…

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第4章 信仰を捨て去る

 最初期の仏教においては、すでに述べたように、「この世に対する願望」だけではなく「来世に対する願望」や「種々の生存(輪廻の生存)に対する願望」もまた捨て去られる…

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第3章 ブッダが語る自らの死後の行方

 ゴータマ・ブッダ(釈尊)は、「死後の世界」についてどのように捉えていたのだろうか?  私は、これらの内容を理解することなしには、「ブッダの究極の理法」を知るこ…

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第2章 真理について

「ブッダの理法」とは何か?そして、ブッダは、一体何を悟ったのか?  これらのすべての答えは、仏教最古の経典「アッタカ篇」と「パーラーヤナ篇」の中に明確に語られて…

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第1章 真理に対する考察について

 仏教の「真理に関する思索」を行うことに対して、最初期の仏教は、どのように捉えていたのだろうか?  「真理に対する思索」を行うことは、「ブッダの真理」に到達する…

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序章 ブッダは何を説いたのか?

 ゴータマ・ブッダは、人間として生まれてきた。そして、彼は、われわれと同じ人間として死んでいった。少なくとも、私はそのように理解している。  仏教の開祖として…

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仏教最古の叡智

仏教最古の叡智

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第13章 仏教最古の経典について

  ここまで読んだ読者の中には、次のように思う人がいるに違いない。

 あなたが言っていることは分かったが、あなたがそう言っている根拠となる「最古層の経典」とは、何という経典なのか、と。

 それについての概略を少しばかり説明しておこう。

 まず最初に、仏教学において歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの思想的な根幹に迫り得る最も重要な資料となるのは、現存する最古層の経典であると言われる『スッタ・

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第12章無我について

 仏教で説かれる「無我」(非我)の「我」とは、人間の本体として想定される、「形而上学的な意味合いでのアートマン」として捉えることが可能であろう。

 ところが、それにもまして重要なことは、最古層の経典において、「無我」(非我)の「我」とは、「私」と「私のもの」という意味として説かれている、ということである。

 つまり、そこで説かれている「無我」(非我)の「我」とは、(1)「私」とは無常であり、常

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第11章 仏教用語の成立時期について

 一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。

 ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。

 それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以

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第10章 この生涯の先にも後にも不死はない

 初期仏教の中でも、特に比較的新しい層の経典の中には、「三明」(宿命通・天眼通・漏尽通)というものが記されている。

 「三明」(三種の明知)とは、過去世を見通す能力を含めた超能力であり、少なくとも後代(ブッダ滅後)の仏教徒の中には、ゴータマ・ブッダ(釈尊)には、そういった能力が備わっていた、と考えていた人たちがいたのだろう。

 しかし、初期経典の中には、ブッタの悟りとは、前世や来世を見通すよう

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第9章 「アーサヴァの滅」について

 「アーサヴァの滅」について仏教の経典には、仏教の核心に触れる箇所において、「アーサヴァ(asava)を滅する」という語が、随所に散見する。

 古代インドの言語のエキスパートでもある山崎守一博士は、「アーサヴァの滅」の原意に関して、とても興味深いことを言っている。(「アーサヴァを滅する」という部分は、中村元氏が、「煩悩を滅ぼし尽くして」、あるいは「煩悩の汚れを滅し尽くして」と訳している箇所である

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第8章 史実としてのブッダについて

 仏教最古の経典『スッタ・ニパータ』よりもさらに古い資料を含むと言われているジャイナ教の聖典『イシバーシャーイム』(聖仙のことば)には、サーリプッタとマハーカッサバなどがブッダとして紹介され、サーリプッタが仏教の代表者であるとされている。(これ以外に、ヴァッジプッタの名前も紹介されている。)

 しかし、そこには、なぜかゴータマ・ブッダ(釈尊)の名前が全く表れてこない。

 これは一体どういうこと

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第7章 「破僧の定義」の変更について

 原始仏教聖典(パーリ・ニカーヤ)の中には、待機説法という言葉では到底説明がつかないような「真逆の教え」や「矛盾した教え」が数多く混在している。

 一例を挙げて言うなら、修業完成者は前世や来世を見通すような超能力(神通力)を保持している、という説明と、修業完成者は前世や来世を見通すような超能力(神通力)などは全く保持していない、という説明などが、それである。(後者については、『相応部経典』第2集

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第6章 「異説の徒」について

 『長部経典』の第一経である「梵網経」(聖なる網の教え)の中には、当時、釈迦の存命中に説かれていたという62の見解が列挙され、その〈限定された62見〉によっては正覚や涅槃に導くものではない、という趣旨の内容が述べられている。

 そして、アーガマの中でもやや後代の経典になると、在家者だけではなく、修行者に対しても特殊な形而上学説を含む「正しき見解」なるものが説かれるようになっていった。

 十二支

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第5章 アートマンについて

 ゴータマ・ブッダは、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ 、本名ヴァルダマーナ)と同様に、宇宙の根源たるブラフマンの存在を想定せず、それを排斥したと言われている。

 ところが、仏教とジャイナ教がとった手法の最大なる相違とは、ジャイナ教が永久不変なるアートマンを想定していたのに対して、仏教は、宇宙の本体たるブラフマンの存在と同様な仕方で、永久不変的なアートマンの存在を想定

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第4章 信仰を捨て去る

 最初期の仏教においては、すでに述べたように、「この世に対する願望」だけではなく「来世に対する願望」や「種々の生存(輪廻の生存)に対する願望」もまた捨て去られるべきものであると説かれていた。

 『想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行ない、この世もかの世も望まない。』 (Sn.779)

 『かれはここで、両極端に

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第3章 ブッダが語る自らの死後の行方

 ゴータマ・ブッダ(釈尊)は、「死後の世界」についてどのように捉えていたのだろうか?

 私は、これらの内容を理解することなしには、「ブッダの究極の理法」を知ることはできないだろうと思っている。

 ところが、これについて語る前に、(信じるか信じないかは別として)どうしても一つだけおさえておかなければならない点がある。(誤解のないように、私がこれを信じているから、あるいは信じていないから、以下の説

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第2章 真理について

「ブッダの理法」とは何か?そして、ブッダは、一体何を悟ったのか?

 これらのすべての答えは、仏教最古の経典「アッタカ篇」と「パーラーヤナ篇」の中に明確に語られている。

 実は、仏教最古の経典である「アッタカ篇」(『スッタ・ニパータ』第4章)の中に、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の理法の根幹を端的に言い表している箇所が存在する。

 それらを簡潔に要約すれば次のようになる。

 世間一般では、ある人は

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第1章 真理に対する考察について

 仏教の「真理に関する思索」を行うことに対して、最初期の仏教は、どのように捉えていたのだろうか?

 「真理に対する思索」を行うことは、「ブッダの真理」に到達するための妨げになるのか?

 あるいは、「真理に対する思索」を行うことは、最初期の仏教では、重要視されていたものなのか?

 実は、仏教最古の経典パーラーヤナ篇に説かれている詩句には、仏教の「真理に関する思索」について、次のように語られてい

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序章 ブッダは何を説いたのか?

 ゴータマ・ブッダは、人間として生まれてきた。そして、彼は、われわれと同じ人間として死んでいった。少なくとも、私はそのように理解している。

 仏教の開祖として祀り上げられ、超人としての様々なる属性を附与されるはるか以前の、歴史的人物としての、人間としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)は、一体何を説いたのか?そして、何を悟ったのか?

 最古層の仏教経典を基に、この難題を解き明かし、釈迦仏教の根幹を平

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