第5章 アートマンについて


 ゴータマ・ブッダは、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ 、本名ヴァルダマーナ)と同様に、宇宙の根源たるブラフマンの存在を想定せず、それを排斥したと言われている。

 *ブラフマンとは、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根源。古代インドの基本的な思想においては、自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一であるとされる。(梵我一如)

 ところが、仏教とジャイナ教がとった手法の最大なる相違とは、ジャイナ教が永久不変なるアートマンを想定していたのに対して、仏教は、宇宙の本体たるブラフマンの存在と同様な仕方で、永久不変的なアートマンの存在を想定しなかった点にあると言ってよい。

 *アートマンとは、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。人間の本体、または霊魂。真我とも訳される。

 では、無我説を標榜する仏教は、アートマンの存在を想定していなかったけれども、そもそもゴータマ・ブッダは、永久不変たるアートマン(霊魂)の存在を否定していたのだろうか?

 言うまでもないが、『中部経典63』(毒矢の譬えの経)に登場するゴータマ・ブッダは、永久不変たるアートマンの存在の有無について、一貫して沈黙の姿勢を貫いている。それは、仏教において「無記」と言われるように、アートマンやその他の形而上学的な存在に対して、有とも無とも解答を与えない立場を言うのである。

 しかし、そうであるなら、ゴータマ・ブッダは、一体何故に、アートマンの存在の有無について沈黙したのだろうか?

 言い方を換えれば、ゴータマ・ブッダは、一体何故に、アートマンの存在を否定も肯定もしていなかったのだろうか?

 そのことに関して、テーラワーダのある僧侶は、ゴータマ・ブッダは、永久不滅なるアートマンを見つけられなかった、と説明しているという。

 『中部経典22』の中に、次のような興味深い記述がある。

 『修行僧たちよ、私は、そうではなく、また、そうは言わないのに、・・・・・・。修行僧たちよ、私は以前も今も、苦しみと苦しみの止滅だけを教えるのである。』 

 さらに『中部経典63』に登場するブッダは次のように言っている。

 『・・・・・という見解があっても、しかも生があり、老いることがあり、死があり、憂い、苦痛、嘆き、悩み、悶えがある。わたしは現実に(現世において)これらを制圧することを説く。』

 ゴータマ・ブッダは、永久不滅なるアートマンを見つけることができなかった。しかし、苦しみを終滅するためには、諸々の形而上学的な存在の有無はもちろんのこと、アートマンの存在の有無さえも知る必要がなかったのである。

 つまり、重要なことは、苦しみを終滅するためには、どこまで知ればいいのか、そして、どこから先は知らなくてもいいのか、ということだと思う。

 アートマン(霊魂)が「有る」のか「無い」のか、ということについては、苦しみを終滅させるためには、知る必要のないことである。

 そして、アートマンの存在に依拠することは執着であり、見つけられないもの、仮説、見解に過ぎないものに執着していても、苦しみは終滅しない。

 アートマンは、「有る」かもしれないし、「無い」かもしれない。それが「有る」のか「無い」のかは、分からない。分かる必要はない。(死後の輪廻の世界が有るか無いかもまた然り。)

 想いから解脱してしまった人は、囚われる想念から解き放たれてしまっているのだから、それが「有る」のか「無い」かは、測る基準がない、もはや測れない、ということになる。

 つまり、釈迦のとった手法とは、ブラフマンの存在だけではなく、アートマンの存在さえも想定しない、依拠しない、ということであり、それと同時に、ブラフマンとアートマンの存在を否定もしない、ということになるのだとも思う。

 ところで、以前、私は、仏教学者であり当時現役の僧侶でもあった奈良康明博士に一対一で直接お会いする機会があった。(奈良先生は最初期の仏教の熟達者であり、中村元先生と親交がある方でもある。)

 そのときに、奈良先生は、アートマンに関する私の問いに対して、次のように答えられたのを、今でもよく覚えている。

 『釈尊は「霊魂の不滅説」は説いてはいないのです。しかし、それを否定もしていないのです。』と。

 私は、この奈良先生の言葉が、ゴータマ・ブッダの絶妙なる教え(ブッダの理法)を理解できるか否か、そして、それを受け入れられるか否かの、大きな分岐点であると思っている。

 分かりやすいように、具体的に言おう。

 人は、アートマンを肯定する立場に立脚すると、アートマンの否定論者と対立することになり、かつ、アートマンを否定する立場に立脚すると、アートマンの肯定論者と対立することになる。(ただ、ここで注視すべき点は、否定も肯定もしない、ということは、それを否定している、ということではない。

 これは、アートマンやブラフマン、そして、死後の世界の存在の有無のだけではなく、すべての形而上学的な存在に関しても同様である。

 そもそも、世界の宗教や思想の大部分は、検証不能なる様々な神学的・形而上学的及び哲学的見解を土台にして打ち立てられているが、打ち立てられる土台がないものには、それが有っても無くても、そこには依りかかるもの(見解)そのものが無いのだから、その土台は崩れようにも崩れようがない。

 なぜなら、その土台そのものには依拠するもの(思想や見解)が最初から何もないのだから。

 つまり、ゴータマ・ブッダがとった手法とは、従来の伝統的なウパニシャッドの根本理念である輪廻転生説とアートマン説に基づく梵我一如説に立脚することもなく、言うなれば、すべての哲学的・形而上学的見解から離脱したものなのである。

 だから、最初期の仏教においては、「信仰を捨て去れ」などと、平然と言えるのである。

 信仰とは、ある側面から言えば、究極の「こだわり」であり「執着」であるとも言える。(別の側面から言えば、信仰は真理であるのだが。)

 最初期の仏教では、(修行者に対して)究極の「こだわり」であり「執着」である信仰さえも捨て去ることを推奨していたのである。

 釈迦のとった手法とは、行き着くところまで徹底している。そこまでしなければ、究極の安らぎは体現できない、ということだと思う。

 もちろんそれは、「苦の終滅」(=輪廻からの解脱)を前提とした上での話であり、「苦の軽減」を意味するものではない。

 囚われる想念を焼き尽くしてしまっている人には、それを測る基準がない。測る基準がない「想いからの解脱において解脱」した人は、人と争うこともない。

 そして、有と無とから離れる、というその想いからも解き放たれている境地が「輪廻からの解脱」であると私は思っている。

 繰り返して言うが、ブッダは「アートマンの存在」を否定することはなかった。

 さらには、ブッダは「アートマンの存在」を肯定することもなかった。

 なぜなら、次の経典の詩句からも確認できるように、ブッダは、当時多くの人たちが信じていた「(哲学的宗教的な見解を含む)すべての見解」を完全に捨て去ってしまっていたのだ。

 「Sn.911 バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない。見解に流されず、知識にもなずまない。かれは凡夫の立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。― 他の人々はそれ執着しているのだが。―」

 ところが時の経過と共に、仏教では、そもそもアートマンの存在の有無は「無記」であるはずなのに(「中部経典63」毒矢の譬えの経 参照)、アートマンは存在しない、と解釈する仏教者たちが現われてきたのである。(アートマンの非存在論者はアートマンの存在論者と対立する。それは心の平安たるニルヴァーナとは相容れない。)

 ブッダを神格化させた後代の仏教信仰者たちにとっては、ブッダは全智者であるはずだから、ブッダがアートマンが有るか無いか知らない、ということは、到底受け入れ難いことであったのだろうと思う。

 さらに、アートマンの形而上学的な存在論に関して、中村元氏は『中村元選集・第18巻』の中で次のような興味深いことを言っている。

 「仏教は恐らく、我執をなくする方便として説かれた無我説を、理論的な問題として固着しすぎたかたむきがある。」 P.43

*ここで中村元先生が言う「仏教」とは、釈迦仏教以降の仏教のことを意味している。

 人は現世において、アートマン(霊魂)の存在を見た人はいない。

 しかし、それは「現世」に限定した話である。

 つまり、ブッダは「アートマンは無い(存在しない)」とは言っていない。

 そもそも、パーリ・ニカーヤの中に「アートマンが存在しない」と明言されている箇所はどこにもない。(これに疑いを抱く人がいるとすれば、パーリ・ニカーヤをすべて検証されることをお薦めする。)

 *文献上に「アートマンの非存在説」が最初に登場するのは「ミリンダ王の問い」なのではないだろうか。それ以外にも、漢訳の阿含経の中に、「アートマンは存在しない」という記述があるのだという。

 いずれにしても、ゴータマ・ブッダのとった手法とは、人間の認識能力を超出する存在に関する議論から離れることによって、ニルヴァーナ(究極の安らぎ)を具現させたのである。

 次の章では、「異説の徒」について、考察してみようと思う。


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