第6章 「異説の徒」について


 『長部経典』の第一経である「梵網経」(聖なる網の教え)の中には、当時、釈迦の存命中に説かれていたという62の見解が列挙され、その〈限定された62見〉によっては正覚や涅槃に導くものではない、という趣旨の内容が述べられている。

 *「梵網経」は、アッタカ篇やパーラーヤナ篇などの最古層の経典よりもかなり後代(アショーカ王の統治時代より後)に制作された新層の経典であると思われる。

 そして、アーガマの中でもやや後代の経典になると、在家者だけではなく、修行者に対しても特殊な形而上学説を含む「正しき見解」なるものが説かれるようになっていった。

 十二支縁起説などがそれである。

 ところが、すでに述べたように、現存する最古の経典である「アッタカ篇」には、「すべての見解」が捨て去られることが説かれている。

 『一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。』 (Sn.894)

 『かれは、すでに得た(見解)[先入見]を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない 。人々は(種々異なった見解に)分かれているが、かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。』 (Sn.800)

 そういった中で、最古の経典は、「多くの異なった見解」の論者たちを総称して「異説の徒」と呼んでいる。(Sn.892参照)

 そこで、アッタカ篇に登場するブッダが言うように、「多くの異なった見解」の論者たちが「異説の徒」であるなら、「梵網経」や四つのニカーヤで説かれている特殊な形而上学説を含む「正しき見解」の論者たちは「異説の徒」となるに違いない。

 ちなみに「梵網経」では誤った見解は62であるが、『テーラガーター』(1217)では誤った見解は68であり、『スッタ・ニパータ』(538)では63となっている。

 「かれらは、凡夫であるが故に、六十八〔の邪(よこしま)な」見解〕を個執し、考察をめぐらし、正しくないことがらに執著している。しかし、かの修行者は、なにごとに関しても党派に執著するな。まして、煩悩に悩まされた重苦しさにとらわれるな。」(『テーラガーター』 1217)

 「智慧ゆたかな方よ。諸々の〈道の人〉の論争にとらわれた、名称と文字と表象とにもとづいて起った六十三種の異説を伏して、激流を渡りたもうた。」(『スッタ・ニパータ』 538)

 つまり、本来原始仏教聖典においては、排されるべき「多くの異なった見解」の数は一定されて説かれてはおらず、初期の仏教において、捨て去られる見解の数は、おそらく62に限定されていたのではなく、おおよそのところ62~68くらいあった、と見るのが史実に近いだろうと私は推察している。

 具体的に言えば、アッタカ篇などの最初期の仏教の経典に説かている根本とは、「梵網経」にあるように、62の見解を「誤った見解」であるとして排斥しながらも、それとは別の第63番目の特殊な形而上学的見解を「正しき見解」と称して肯定しているといった類のものではなく、そこには、何度も繰り返し言うように、「すべての見解」が捨て去られることが説かれているのである。

 すなわち、最初期の仏教では、特定の「誤った見解」を排するのではなく、「見解を立てること」自体から離れよ、というのである。

 より分かりやすいように単刀直入に言おう。

 最初期の仏教で説かれているブッダの究極の境地(悟り)には、「これのみが絶対に正しいという見解」はない。

 そして、そこには「これのみが絶対に正しいという見解」に対峙する「悪しき見解」(邪見)という概念さえもない。

 そこには、何もない。空っぽ状態なのである。

 Sn.894 ああだ、こうだと判断したことにいつまでも固執しつづけて、自分勝手に「これこそ真実の宗教だ」というカテゴリーを設定してしまっているかぎり、これからもいよいよ、この世間にあって論争に明け暮れることとなろう。しかし、ああだ、こうだと判断したことをすべて完全に放捨してしまうならば、この世間にあってひとびとが対立抗争をなすこともなくなるであろう。(荒牧典俊先生訳 『スッタニパータ』釈尊のことば 講談社学術文庫)」 (Sn.894)

 本稿の第3章ですでに述べたように、アッタカ篇に登場するブッダは次のように言っている。

 【『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。】 (Sn.837)

わたしがこのことを説く、という見解そのものが、実はブッダには何も存在しないのである。

 このことは、既存の仏教からしてみれば、驚くべきことである。

 そして、このことが、実は、まさに最初期の仏教で説かれていたブッダの核心なのである。

 つまり、最初期の仏教においては、仏教修行者に対して、何らかの特定の教義(特殊な見解)が説かれていたのではなく、一切の「想い」や「見解」から解き放たれることが説かれていたのである。

 そういった意味においても、最初期の仏教の世界観は、懐疑的な色彩が非常に強いと言うことができると思う。


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