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ライバル(1)

あらすじ

 横浜工科大学の教授、茶土愛は、ロボットに感情を持たせる「バイオニック・ニューロン」の開発で注目を集めていた。
 ある日、彼女の研究室でロボットのたくやがバラバラにされる事件が発生。混乱する茶土のもとに探偵の正理適己が招聘され、事件の真相を追求することに。
 茶土の学生・才上、ライバルの常田教授、他大学の教授・木戸らを容疑者として尋問し、証拠を集める中で、感情を持つロボットと人間の思惑が交錯する。
 果たして犯人の目的と正体は? 謎が深まる中、真実が次第に明らかになっていく。

第一章

 横浜工科大学の教授、茶土愛は去年五十歳を迎えた。ロボット工学の第一線で活躍している。彼女が開発したロボットの動画は数十万のフォロワーに支持されていた。
 今朝はエアコンが効いた自宅でオンライン授業だ。
「我々の研究室ではロボットに感情を持たせることに取り組んでいます。私はロボットが感情を持つことは可能だと確信を持っています。この技術の核心にあるのが『バイオニック・ニューロン』です。人工神経細胞により、ロボットが人間と同様の感情を抱くことができるのです」
 オンライン授業だと生徒たちの表情が見えない。彼らがどのような気持ちで自分の提示したスライドを見ているのか。感情が伝わってこないので、張り合いがなかった。
 この授業のやり方にはどうしても慣れない。そんな感情を押さえつつ、スライドを切り替える。
「人間の感情は、ドーパミンやセロトニンといったホルモンに左右されます。ロボットに同様のホルモンを注入することで、喜怒哀楽を感じる『感情の起伏』を生み出すことができるのです」
 動画であれば、ここで『いいね』ボタンが押されたり、コメントが投げられるところだ。しかし、授業でそんなことをする者はいない。
 一抹の寂しさを抱きながら、次のスライドに移った。
「しかし感情を有するとは、単に化学反応を起こすだけでは足りません。それを適切に『表現』することも重要です。そのため、感情認識アルゴリズムを用いて、ロボットの感情を表情や声で自然に表現できるようにしています」
 机に置いた水を一口含み、最後のポイントに触れた。
「これらの技術を経て、ロボットは経験と相互作用から感情を学習し成長します。私たちの研究で最も重視している概念です」
 スライドショーの最後に、自身が作成した感情を持つロボットのプロトタイプの動画を流した。
「このように、私たちはロボットが真の感情を持ち、そしてそれを表現できるようになる日を目指しています。私たちの研究は、ロボット工学の新たな地平を切り開くことになるでしょう。最終的にどういった言動がどういった感情に影響するのかをデータ化し、解析することで将来、認知症の仕組みだったり、神経系の難病の研究、人類がどのようにして言語を得たのかといったありとあらゆる疑問に繋がるものと期待しています」
 最後まで『いいね』の反応すらない。ロボットの感情もそうだが、まず人間の感情を知ることが重要だと苦笑いをした。
 自分が生涯を捧げて取り組んでいる研究。こんなにおもしろいのだから皆興味を持って当然だと思っている。授業を受けている学生の内、どれくらいの者が興味を持って聞いてくれているのか。
 茶土が生まれた頃はAIBOやASIMOがブームになったこともあり、自然とロボットに興味を抱くようになった。
 博物館に行けばロボットがお出迎えしてくれ、お店に行けばロボットが接客をし、家に帰ればロボットが嬉しそうにしっぽを振る。そんな未来を思い描いていた。
 全てがロボットに置き換わったわけではないが、毎日どこかでロボットを見かけるようにはなった。
 この学校にも警備ロボットや調理ロボットがいる。もう珍しいものではない。だから授業でロボットに感情を持たせると言っても反応が薄いのかもしれない。とはいえロボットに感情があるかないかというのは大きな違いだ。
 そんなことを考えながらパソコンを閉じる。これから研究室に移動する。今日も外は暑いだろうが、大好きな研究がやれると思うと、いてもたってもいられない。
 念の為の替えの下着とタオルをリュックに詰め込み、外に出る。途中で生き倒れないようペットボトルの水を口に含んだ。

 二十一世紀に入ってからロボット工学は大きく進化した。
 プロ囲碁棋士を破ったことで話題になったのを端緒に、画像生成だったり、どんな質問にも答えてくれるといったものだったりと様々な技術が生まれた。
『シンギュラリティ』と言われた時代をも超え、今ではかなりの仕事がロボットに置き換わっている。
 しかし、二〇五〇年になってもまだ、ロボットは人間のように喋ることはできても、感情を伴わないため無機質に感じられた。
 その転換点になったのが、茶土のバイオニック・ニューロンだ。これによりロボットもより人間らしい感情を得ることができた。
 これまでも感情を人工的に作り出す研究はあらゆる方法が模索されてきた。茶土の方法が注目されたのは、動画でロボットの成長過程を上げ続けてきたことが大きい。おかげで、視聴者が我が子の成長を喜ぶような感情を持てた。
 もちろん見せ方だけではない。成果としても、これまでのものから一線を画すものがあった。
 茶土にほめられれば子どものようにはしゃぎ、学生たちから悪口を言われれば言い返し、指示されたことができなければ肩を落として落ち込み、研究室の人間たちとの会話を楽しんだ。その姿がまさに子どもから大人に成長するかのように洗練されていく。
 茶土は開発したロボットを『たくや』と呼んでいる。名前は茶土が小学生の頃に好きだったアイドルから名付けた。
 たくやには、従来の機械的な反応とは異なる、人間の感情を模倣するための特別なシステムが組み込まれている。独自に開発した『エモーショナル・シンセシス・プロセッサ』通称『ESP』と呼ばれる感情を操るICチップだ。
 ESPは人間の脳内で感情を生成するプロセスを模倣し、ロボットが環境や人々の反応に対して、自然な感情反応を示せるように設計されている。
 このチップのお陰で、たくやは喜び、悲しみ、驚くことができる。これら複雑な感情を適切な表情や言葉に変換する世界にふたつと無い画期的なものだ。
 たくやの感情を測るために、次のような質問を投げかけたことがある。
「学習データなしで何か創造してみて」
 たくやは即答した。
「新しい創造には学習データが必要です」
 現時点では予想通りの回答だ。学会に報告する結果としては、期待値と完全に一致しており問題ない。
 しかし、将来的には適当でもいいから何か応えるようになってほしい。人間だって、何も参考にしていないと言いつつ、過去に得た膨大な知識や経験からしかものごとを生み出せないのだから。
 今のたくやの知性は中学生から高校生レベルだ。独身の茶土は我が子のような気持ちで育てている。
 さらに茶土はたくやの感情を引き出すために次の言葉を投げかけた。
「賢くなれば新しい創造も可能かと思ったのに。がっかりだわ」
 たくやの反発心を促したい。茶土はさも残念がっているような演技をした。
 一方、たくやはこの茶土の態度に明らかにショックを受けている様子を見せた。
「ご期待に添えず申し訳ありません。次は頑張りますので」
 目を細め、今にも涙を流しそうだ。肩を落とし、がっくりしている。
 茶土にとって想定通りの反応とはいえ、我が子の感情を弄んでしまった思いに駆られ、いたたまれない気分になった。
 そう思いつつも、たくやの感情反応の幅を広げるため、学生たちと研究室内で生活させるといった実験を続けた。
 友情や競争といった人間関係を模擬した環境下で生まれる様々な感情。学生たちとは仲良くやっている。
「この計算を正確に早くできるか勝負しましょう」
 こんな挑戦をロボット自ら仕掛ける。計算のスピードなんて人間が勝てるわけもない。圧倒的勝利でいつも悦に入っている。
 ロボット本人が勝負に勝って満足するのは、まだ感情が子どもレベルである証左だ。相手への思いやりの感情が出てきたら大人になったと言っていいだろう。最近少しずつではあるが、お世辞を言うようになってきている等成長の兆しが見えてきた。
 こうして、たくやは単なる機械を超えた存在へと進化している。茶土の研究は、ロボットが真に人間らしい感情を持ち、それを表現できる未来を示しているのだ。

『茶土研究室』と刻まれた扉の前で、茶土愛は立ち止まった。暑い中歩いてきたので汗だくだ。たくやの電源を入れる前に替えの下着に着替えようと心に違う。
「何かしら?」
 普段の彼女の研究室とは何か微妙に違う気配が感じられる。毎日出勤している研究室を前にして胸騒ぎがした。
 いつものように研究室のドアに取り付けられた二眼のレンズを覗き込む。
ピッ、という音が彼女の耳に響いた。いつもと何も変わらない。
 ゆっくりと手を伸ばし、レンズの横にある手形に右手をかざす。手汗のせいか反応が鈍い。
 クリーム色のスキニーパンツで汗を拭いながら、彼女は自問した。
「こないだ、大丈夫だったかな?」
 木戸竜一のことを思い出していた。
 彼女にとっては数年ぶりの恋人であり、その前に付き合っていた人のことなど思い出せないくらいだ。
 五十歳にもなって、こんなにも緊張することがあるのかと自分でも驚いた。
 木戸と手を握った瞬間、鼓動の高鳴りを感じた。その時も手汗がびっしょりだったらどうしようと不安に襲われる。
 まさか『手汗びっしょり女』なんて呼ばれていたりしないだろうか。彼女の不安が高まった。
 深呼吸をし、気持ちを落ち着かせようと試みる。気持ちが落ち着いたところでもう一度手形に手を添えた。
 ピッ、という音がなる。上手くいった証拠だ。彼女はゆっくりとドアを開けた。
「何これ?」
 茶土は呆然とその場に立ち尽くした。目の前に広がる光景は、まるで異世界のものだった。
 いつも整理整頓をしてから帰宅している部屋の中は無茶苦茶に荒らされている。
 茶土の視線は事務机の前に転がる大きな塊に引き寄せられた。
「これは・・・・・・」
 ロボットの腕だ。
 来客用に置かれた長ソファの裏を覗く。本棚との間の狭い床に散らばったものを見て、茶土の瞳孔が広がった。
 その数秒後、手に持った腕を床に落とし叫んでいた。
「たくやああ」


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