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ライバル(2)

第二章

 目の前にはロボットの断片が転がっている。右手、左手、両脚、そして胴体。
「たくや、何があったの? 起きてちょうだい。朝よ」
 話しかける言葉は我が子を起こす時のようだが、冷静さを失っていた。怯えて震えている。
 腕、脚、首、あらゆる部分がバラバラだ。回路を収める箇所をカバーする蓋もほとんどが開けられている。脳回路やメモリを盗んでいったのだろうか。
 ロボットの服が乱雑に脱ぎ捨てられていた。
「先生、大丈夫ですか? 何かあったんですか?」
 背中越しから声をかけられた。走ってきたのか、ハァハァと息を切らしている。
 振り向くと研究室の学生である才上好広が心配そうな表情で立っていた。
 才上は大学院修士の一年生だ。プログラミングが得意でロボットの制御コードの大部分は彼の手による。動作確認をするため、必然的にロボットと茶土に接する時間は学生の中では最も多い。
「これは・・・・・・」
 次の言葉が出てこない。才上もショックを受けているようだ。
「才上くん、ごめんね。叫んだりして」
 茶土は微笑みかけた。しかし、その表情は引きつっている。
「酷い。誰がこんなことを」
 才上がようやく言葉を絞り出した。怒りが伝わってくる。
「機密情報は盗まれてませんか?」
 才上の質問に、茶土はやっと冷静さを取り戻した。
「メモリはどこ?」
 二人とも辺りをキョロキョロ見回す。才上が何かを手に取ろうとした時、茶土が大声で制した。
「才上くん、待って。素手で触らないで」
 むやみやたらに指紋をつけない方がいい。犯人に繋がる指紋を上書きしたら台無しだ。
 警察に来てもらうまでは慎重に行動する必要がある。
 茶土が机の引き出しの奥からめったに使わないゴム手袋を二人分取り出した。普段は指紋がつくのも構わず、ロボットにベタベタ触っている。いつか必要になるかもと思い研究費で購入していたものだ。
 お互い両手に装着すると、現場の状況をあまり変えないよう注意しながらメモリを探す。広い部屋ではないのと、ロボットの部品点数がそれほど多いわけではないので、全てを探し終えるのに五分もかからなかった。
「見つかりませんね。盗まれたのでしょうか」
 才上もことの重要性を理解しているのだろう。顔面蒼白だ。
「でもメモリだけ盗んだところで、私たちの成果を盗んだことにはならないわ」
 これまでの実績を水の泡にはしたくない。しかし、極秘の研究成果を盗まれたとなると教授職を追われるほどの失態となる可能性がある。それだけは避けたい。
 メモリにはロボットの学習データが入っていた。帰宅前にバックアップを取るので、サーバーには過去のデータ全てが保存されている。
 手元に残っていないとしたら、週末帰宅後から今朝までのデータだけだ。ロボットが勝手に動き回ってデータを収集することはないため、誰もいない週末の研究室で新しいことを学習することは通常はない。
 しかし、それは犯人の情報も何も残っていないということだ。
才上と血眼になって探したが、メモリは見つからない。
 メモリ内のデータは量子暗号化されている。さらに分散された複数のデータが合わさらないと、データとして意味をなさないようになっている。到底解読するのは不可能だ。
 しかし、ここ最近になって、量子暗号も徐々に破られ始めているという不穏なニュースも見るようになってきた。
 量子コンピュータ自体の低価格化で、一般人が入手しやすくなってきた。そのお陰で量子暗号が破られ始めていると聞く。
 茶土は頭を巡らしている内にだんだん気持ちが沈んできた。その思いを払拭するためにも、もう一度メモリの搜索に没頭する。
「あった」
 才上が叫んだ。茶土は声の聞こえてくる方向に振り向く。立ち上がった才上がゴム手袋の指先で薄いメモリ基板をつまんで、頭上に掲げていた。
 才上が立っているのはメモリ消去装置の前だった。情報漏洩を恐れる茶土が自分の研究室を立ち上げると同時に購入したものだ。
 メモリも所詮物理的なもののためいずれ壊れる。そういったものを、壊れたからといって何も考えず粗大ゴミとして捨ててしまうと何らかの手段でデータを抜き出されてしまう可能性がある。
 データそのものが壊れていない場合、安易に捨てると情報漏洩の危険がある。メモリ消去装置を導入した理由だ。
「どうしてわざわざこんなことをしたのかしら?」
 犯人が茶土の研究成果を盗むことが目的ならばメモリの中身を抜き取ればいいだけだ。あとはロボットの状態も全て元に戻せば誰にも気づかれずに済む。
 中身が盗まれたかどうかは分からない。ただ、なぜわざわざこんなにも分かりやすい状態で放置したのか、解せなかった。
 防犯カメラなら何か映っているかもしれない。残された映像を見てみようと立ち上がろうとした時、才上が拳を震わせながら呟いた。
「常田先生に違いない」
 常田真二郎、同じ横浜工科大学で教授をしている。音響工学の権威で、ビームフォーミングという嗜好性の高い技術で名の知れた男だ。
 茶土は、才上が常田を名指ししたことに驚きを隠せなかった。
 常田は学長の座を狙っている。次期学長争いで茶土はライバル視されていた。茶土自身は学長職に興味はないのだが。
 茶土が情報漏洩といった失態を犯せば、ライバルが減る。だからといって常田がこのような行動に出るとは思えない。
 警察に届けるべきだろうか。しかし、もし本当に常田の仕業だとしたら、その事実が白日の下に晒され、大学の評判が地に落ちてしまう。
 学内のごたごたで自分まで批判の矢面に立たされるのはごめんだ。
 頭の中で計画を立てる。ロボットを修復し、事件の真相を解明する。
 であれば、あの男が適任ではないか?
「才上くん、正理先生を呼んでもらえるかな」
 茶土は一人の男に頼ることを選択した。

 正理適己(しょうりたくみ)。数々の学会に顔を出し、その深い知識に専門家も感心する人物。
 彼はかつて光ディスクドライブやイメージセンサを扱うエンジニアだった。
 定年を迎えた後、なぜか探偵業を始めた。技術と人が好きだから、と彼は語っている。専門外の知識も豊富なので、この職業は彼にとって最適なのかもしれない。
 二年ほど前に茶土の発表を聞きに来ていたことがある。鋭い質問を受け、その場で回答できなかった。
 発表終了後、ちょうどランチタイムだったこともあり、茶土は思い切って正理を食事に誘った。議論の続きをするためだ。
 ランチでは有意義な時間を過ごした。そこからバイオニック・ニューロンの更なる進化のヒントを得ることができたし、何よりも正理との会話そのものが楽しかった。
 十以上の年上且つ知識豊富でありながら、偉ぶることなく、人当たりがいい。それでいて、研究の核心を突いた話になると頼りになるアドバイスをもらえる。
 人生においても研究者としても最高な先輩だと感じた。
 その後も研究に行き詰まった時には何かと世話になった。才上たち学生も度々相談を依頼している。
 まずは正理に相談してみよう。警察を呼ぶよりも、彼に事件の真相を解明してもらう方がいい。茶土は一縷の望みを託すことにした。

「常田先生を呼びましょう」
 才上の声は怒りに満ちていた。正理へのメッセージを打ち込んでいる間も険しい表情をしていただけに、どんな文章を打ったのか茶土は心配になった。
 茶土も常田のことを疑ってはいた。だが、証拠もない現状で同僚を非難するのは危険な行為だ。そう思うことが倫理的によくないことだという気もする。
「才上くん、証拠もないのに無闇に人を疑ってはいけない」
「先生だって常田先生だと思っているんじゃないですか? だって学長の座を狙っていて、茶土先生をライバル視しているじゃないですか」
 茶土は深くため息をついた。学内での噂の伝達速度は速い。生徒たちにそういった話をした覚えはないが、すでに話は広まっているらしい。
「常田先生を呼んできます」
 才上は廊下へと駆け出した。
 これはまずい、と直感した茶土が才上の後を追う。
「待って」
 才上は階段の手前で立ち止まり、息を切らして茶土の方に振り返った。顔には疑問が浮かんでいる。
「常田先生が犯人だって決まったわけじゃない。だからいきなり詰め寄らない方がいいと思うの」
「でも、先生も疑っていますよね?」
 自分も常田のことを疑っているなど一言も発していないのに。心の内を読まれている。
 常田とは何かにつけて対立していた。年齢は茶土の方が僅か一つ上なだけ。教授になった年齢も一緒。
 だからか、常田は何かにつけて茶土を意識しての発言をしてくる。茶土にそんな気はないのに、なぜか嫌味を言ってきた。
 茶土自身は『男なんていくつになってもガキね』という感情しかないが、それでもそういったことが繰り返されると積もり積もるものがあった。
 茶土は思わず首を縦に振りそうになったが、気持ちを抑え首を横に振った。
「正理先生を待ちましょう」
 茶土は探偵のことだけを考えるように努めた。


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