見出し画像

ライバル(6)

第六章

「木戸竜一と申します。本日はよろしくお願いいたします」
 大学教授にしては少し軽い感じがする。正理の第一印象は『チャラい』だった。
 ジャケットを羽織ってはいるが、シャツを外に出し、着崩している。恋人に会いに来たとはいえ、ここは学校だ。しかも自分の学校ではない。
 茶土はこんな男のどこがいいと思ったのだろうか。第一印象は最悪だった。
 お互いのあいさつを軽く済ませると、茶土の案内で学食に向かう。土曜日の大学は先日の半分程度の人数だ。
 部活動に勤しむ者たちや安い学食を求める者たち、休み関係なく研究に励む者たちが来ているのだろう。
 工学部の場合は研究室に配属になれば、平日も土日もあまり関係ない。むしろ研究室がたまり場になっている。それは正理の学生時代から変わっていないようだ。
 カレーライスを頬張りながら、木戸に質問を浴びせかける。
 町田工業大学の教授で四八歳。茶土と同じロボット工学が専門だ。
 研究対象は主に介護。最近は介護の大部分をロボットが担うようになった。
 入浴や食事、着替え、トイレといった日常生活の支援だったり、床ずれ防止や移動困難者のケアだったり、聴診や問診といった簡単な医療行為もほとんどロボットの仕事だ。
 人間の介護士の仕事はロボットのメンテナンスだったり、被介護者とのコミュニケーションだったりと活躍の場は狭まっている。
 木戸は、オーナー以外の人間が介在する必要のない介護を目指しているそうだ。
「私の若い頃は、介護士といえばきつい、汚い、危険、給料が少ない、の四Kなんて言われていました。いい時代になったものです」
「はい、ベッドや入浴の介助といった時はどうしても被介護者を移動させる必要があります。そのため介護士さんには腰痛持ちの方が多かったんです。今ではそういった重労働を全てロボットが担ってくれますからね」
「しかし、全てをロボットに任せたら人間の働く場がますますなくなってしまうのではないですか」
「そういった議論は昔から何度もされてきました。産業革命然り、IT革命然り。しかし、その度に新しい職業を創造してきたのです。であれば、便利な世の中に進化した方が断然いいですよね」
「まったくその通りです」
 正理と木戸は意気投合した。最初のちゃらい印象とは違い、研究者としての顔が見える。
「無粋なことをお聞きしますが、お二人がお付き合いされるきっかけは何だったのでしょうか」
「そうですねえ。お互い似た研究をしていたとか、話が合ったとかいろいろあるとは思うのですが、やはり『AIは恋をするか』という議論で意見が一致したことが大きかったかもしれません」
「どのような結論に達したのですか?」
「もちろん、AIは恋をします」
 少しの間の後、三人は一斉に笑い出す。
 茶土が横から説明を始めた。
 オキシトシンというホルモンがある。愛のホルモンだとか、繋がりのホルモンという別名があるくらい人間関係に重大な影響を与える物質だ。
 人を好きになる時、このオキシトシンがドバドバ脳内に出ているらしい。また子どもやペットへの愛情もオキシトシンの影響が大きい。
 ロボットにこれと同じ原理を持たせる。大切な存在に接する際には、人工ホルモンの一種であるオキシトシン様の物質を放出する。それにより、相手に対して愛情深く振る舞ったり、嫉妬したりするようになる。
 オキシトシン様の物質の出やすさは、それまでの接し方によって変わってくる。優しくされたり、頼られたり、スキンシップだったりとポイント増減の条件は様々だ。
 もちろん酷い扱いをすれば、オキシトシンが出にくくなる。
 こういった原理をドーパミンやセロトニンといったあらゆるホルモン物質について行っている。
 これらの蓄積で、いつしか人間と同じ感情を持つに至る、というのが狙いだ。
 要は人間の感情と同じ原理。
 人間とロボットは当然異なる。そう簡単にいくものではない。しかし、研究者である二人には確たる自信があった。

 茶土の研究室に移動した。
「失礼ですが、指紋の照合をさせていただきます」
 木戸は素直に応じた。
「当日はたくやさんに触れていたと思います。ですから、わたしの指紋が検出されても不思議はないと思います」
 疑われたくないのだろう。木戸は結果がどう出ようと自分は犯人ではないことをアピールする。
 すぐに結果が出た。指紋は木戸のものと見事に一致している。全ての指紋の中で最もはっきりと残った指紋。研究室内の誰よりもくっきりと・・・・・・
 正理はそのことははっきりとは告げず、木戸の指紋と一致したことだけを伝えた。
「予想通りですから、あまり捜査の助けにはならなかったかもしれませんね」
 木戸の声が少し震えている。
「ところで木戸先生、こんなヘルメットをご存知ないですか? 例えば誰か知り合いに似たようなものを持っている方がおられるとか」
 木戸にもキャプチャ画像を見せる。眉毛ひとつ動かさない。
「存じ上げませんね。私の受け持つ学生の中にもバイクに乗る者はいるので、その中に持ち主がいるかもしれませんが、どんなものを被っているのかいちいち覚えてませんから」
 嘘をついているようには見えない。ビデオに映った男は木戸ではないのだろうか。しかし、指紋の新鮮さからは一番怪しい人物であることは確かだ。
 何か突破口はないだろうか。行き詰まった正理はたくやに声をかける。
「たくやさん、最近一週間前後で気になったことはございませんか」
 今まで突っ立った状態だったロボットがおもむろに動き出す。正理の方に二三歩近づき口を開いた。
「木戸さんが来られた後は愛さんと学生の皆さんとしか会っていないので、特に気になったことはありませんね。しいて挙げるとしたら、愛さんが浮かれていたということくらいでしょうか」
 場を和ませるためなのか、このロボットは一言多く言う傾向があるようだ。今のところ、人を不快にさせる発言はないようで、茶土も木戸も自然な笑顔になっているのは言葉を選んでいるからだろう。
「バラバラになったと伺っていたのですが、完全に元に戻っているのですね」
 今度は木戸が質問をした。
「月曜日に正理先生に現場の状況をお見せした翌日に、私が元に戻しました。全体像を熟知してますので、その日の午前中半日でなんとか直すことができました」
 茶土が喋り終わるのを待って、ロボットが言葉を発した。
「記憶がないのは愛さんが帰宅した夜から四日後の午前に組み立て直してもらうまでの間です。それ以外であれば完璧に答えられますから何でも質問してください」
 正理は「ありがとうございます」とロボットにお礼を言う。それに対して「お構いなく」と返事をする様子は人間同士の会話にしか聞こえない。
「たくやさんが眠っている間は完全に止まっているのですか」
 ロボットではなく茶土が反応した。
「はい、完全に停止状態になっています。正確に説明するとシャットダウンの処理はこのようなアルゴリズムでプログラミングされています」
 そう言ってパソコンの画面を見せる。大まかに言うとこうだ。
 シャットダウンの命令が出された後、確認のパスワードを求められる。正しいパスワードを入れると、続いてバックアップのためデータを保存する。保存し終わるとパソコンのシャットダウンと同じような感じで電源が切れるという実にシンプルな流れだ。
「人間の睡眠とは違って、夢を見ることはできないのですね」
「そうですね。でもバックアップしたデータは再学習用に使われるので、夢を見ているのと似たようなものです。人間の夢もデータ整理のために見ているようなものですからね」
 たくやの淀みない説明に正理は納得した。
「たくやさんが記憶されていることにはどういった内容が含まれるのですか」
 たくやは一瞬茶土の方を見る。茶土が発言しないのを確認し、正理に顔を向け直した。
「記憶している内容は多岐に渡ります。会った人の顔や会話内容といった実際に経験したことから、その人の印象やその時の風景、時間等ありとあらゆることを記憶しています。それに、特に用のない時は世界中のネットを検索しています。有益そうなものはリンク先を記憶して、いつでもアクセス可能な状態にしています」
「個人情報もその中には含まれますか」
「ええ、ただし本当に必要でない限りは暗号化されて、愛さんでもその記憶には参照できないようにしています」
「暗号はどうすれば解除できるのですか」
「お答えできません」
 当然の回答だろう。こんな質問にほいほい答えているようでは信用できない。
「例えば木戸先生の情報を収集しましたか」
 ロボットは木戸を見遣る。
「木戸さん、あなたのSNSの情報について話しても構いませんか」
「ええ、わたしのSNSは公開情報ですから、別に構いませんよ」
「では、お言葉に甘えて、木戸さんの呟きの中からひとつピックアップさせていただきます」
 ロボットが右手を肩の高さくらいに上げ、人差し指を立てる。引用の合図だろう。
 続いて言葉を発した時は声色まで木戸と同じになっていた。
「今日はロボット研究の学会に聴講者として参加。横浜工科大学の茶土先生の感情研究には正直嫉妬を覚える。わたしも負けていられない」
 ロボットが上げていた手を下ろす。声は元に戻っていた。
「褒めていただいているようで嬉しいです。ありがとうございます」
 茶土が木戸に対して一礼をする。動揺を見せなかったのは、この呟きを既に見ていたからだろう。
 正理はその場で木戸の呟きを検索した。しばらく無言で読み耽る。
 決定的な証拠にはならない。しかし、ここは一度吹っかけてみてもいいかもしれない。茶土には嫌な顔をされるかもしれないが捜査を前に進めるために必要なことだ。
 二週間分の呟きを読み終えると木戸の方を向いた。
「木戸先生、あなた茶土先生のロボットを絶賛されてますね。同じ研究者として素晴らしい。でも絶賛しつつも、なんかこう、羨ましいというか、自分にもこの研究成果がほしいとか、やっかみとも取れる発言をされています」
「そりゃわたしだって研究者の端くれですからね。成果を出している人がいれば、羨ましいっていう感情が出てくるのは当たり前でしょう。むしろそう思えない研究者じゃダメだと思いますけどね」
「そうですよ、正理先生。それで木戸さんを疑うような言い方をするなんて失礼じゃありませんか」
「お気を悪くされたのなら申し訳ございません。ただ疑うのがわたくしの仕事です。この後もいろいろ質問をさせてください。事件のあった時間、木戸先生はどこで何をしておられましたか?」
「正直、三日以上前のことはあまり覚えがなくて」
「でも日曜日の夜ですよ。細かいことはともかく、家にいたとか、出かけていたとか、それくらいなら分かりますよね?」
「我々研究者というものは平日も週末も関係ありませんからね。家で寝てたかもしれないし、研究室で研究に没頭していたかもしれない」
「研究室にいたなら記録が残っていますよね?」
「そうですね。大学の管理会社に聞けば分かると思います。研究室にいたならの場合はですけどね」
 このままでは埒が明かない。正理は苦笑いをしつつ、指紋のことに話題を移した。
「メモリが刺さっていた箇所に木戸先生の指紋がべったりついていました。メモリを抜き取るのに力が必要でしたか?」
「誘導尋問のつもりですか? メモリが外しにくかったかどうかなんて分かりませんよ。そもそも構造を知らないのでどこにメモリがあるのかも知りませんし」
「本当に知りませんか? マニュアルの部品配置図のページからあなたの名刺が見つかっているのですが」
「そんなのは誰かが私をはめようとしてやったことではないですか? まさか、それだけの理由で私を疑っているんじゃないでしょうね? 探偵ともあろう方が」
 口調は穏やかだが嫌悪感が伝わってくる。完全に気を悪くしたようだ。ならばついでにふっかけてみるか。正理はさらに続けた。
「そうだ、メモリを外した後に手袋を付け忘れていたのなら、こんな場所にも指紋がついている可能性があります」
 そう言うとおもむろにドアノブに指紋採取装置を当てた。照合をすると、新しい指紋として茶土と才上、そして木戸のものが検出された。
 皆ドアノブの握り方に癖があるのか、少しづつずれた位置に三人の指紋がついている。
「茶土先生と才上さんは先ほどから出入りをしていましたから、指紋がつくのは当然でしょう。お二人の次に新しい形跡が木戸先生、あなたということになります」
「今日触ったものではありませんか」
 茶土が木戸を擁護する。
「そうですよ。今日もドアノブに触れるくらいの可能性はいくらだってあるし、先々週訪れた時のものかもしれませんし」
 木戸が茶土の言葉に乗っかった。
 しかし、正理は不敵な笑みを浮かべる。
「二週間前の指紋にしてはくっきりし過ぎているのですよ。それに」
 正理が少し含みを持たせる。
「我々客人がドアノブに触ることは通常有り得ないんです。なぜなら茶土先生本人が鍵の役目をしているのですから、我々は後ろをついていくしかありません」
「たしかに。この部屋に入るには私か学生の虹彩と十本の手指の指紋が必要です。学生は三月で自動的に登録が抹消されるのでOBは無理。必然的に私か現役の学生がドアを開けることになります」
「だからといって、わたしがドアノブに触る確率はゼロではありませんよね? 茶土さんがドアノブから手を離した時とか」
 木戸も動じない。まだ確信した訳ではないが、もし本当に犯人が木戸だとしたらなかなかの役者だ。
「茶土先生にお願いがあります。前回いただいた分以降から今日の分までの監視カメラの録画データをいただけますか」
 承知したと茶土が頷く。
「ちなみに、前回いただいたデータには無人の状態の時のものが残っていませんでしたが、この防犯カメラの設定は誰かが部屋にいる時だけ撮影をするようにしているのですか?」
「ええ、その通りです。誰かがドアを開けると録画を始めます。基本的に人がこの部屋にいる間録画され続けるのですが、私一人しかいない場合は、入ってからと出る前の一分ずつを残して削除される設定にしています」
「なるほど、容量の節約のためですね」
「そうです。削除は一時間ごとにシステムが自動でやってくれます」
「茶土先生と誰か他の方がいる場合は?」
「全ての映像が残ります。鍵登録されている学生でも例外はありません」
「ありがとうございます。映像に関する情報は十分です。その他にお気付きになられたことや、新たに発見されたことはありませんか?」
「特にこれといって・・・・・・」
 茶土が答えに窮したところで質問を切り上げる。荷物をまとめながら茶土に話しかけた。
「情報を整理したところでお声をかけさせていただきます。ただ先生の研究内容は国家機密レベルです。情報漏洩の可能性を考えるとあまりゆっくりしていられません。全力で当たりますが、明日一日だけ猶予をください」
 情報漏洩という言葉に反応したのだろう。茶土は唾を飲み込んだ。口をぎゅっと真一文字に結び、無言で首を縦に振る。
「私からも早急な解決をお願いします」
 木戸が恭しく頭を下げる。本心からなのか、演技なのか、正理は真意が掴めないでいた。


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門 #note #ライバル #近未来 #SF #ミステリー #ロボット #AI #人工知能 #文野巡  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?