ライバル(9)
第九章
翌日の夕方、正理は再び町田工業大学を訪れた。正門の向かいに建つコンビニ入口で缶コーヒーを飲んでいると、仕事終わりの木戸が歩いてくるのが見えた。声をかけると、木戸は明らかに不機嫌そうな表情に変わった。
「木戸先生、何度もご足労をおかけしてしまい大変申し訳ありません。今日で決着させますので、もうあと数時間だけお時間をいただけませんか」
「それでわたしを犯人だなんて馬鹿げた推理で終わらせないでくださいよ。わたしは本当に何もやってないんですからね」
「わたくしの推理が間違っていなければ、そんなシナリオにはならないと考えています」
木戸はフンと鼻息で応えた。タクシーを呼び、二人で横浜工科大学に向かう。門の前に茶土が立っていた。
「お待たせしました。研究室に入らせていただいてよろしいでしょうか」
「ぜひ」
研究室に直行する。既に才上ら五名の学生たちが所狭しと待ち構えていた。
「正理先生、お待ちしておりました。メンバーはこれだけでいいですか? 木戸さんと常田先生の共犯という可能性もあると考えているので、常田先生も呼んできましょうか?」
「わざわざお気づかいありがとうございます。ただ常田先生はお呼びしなくても結構です。この場にいてほしいのは・・・・・・」
正理は研究室全体を見回した。
「茶土先生、木戸先生に才上さん、それと、たくやさん。今申し上げた三名、いや四名の方々がいれば大丈夫です」
「ぼくたちはこの場から出ていった方がいいですか?」
「それは皆さんのご判断にお任せします。いていただいても特に問題はないですよ」
学生たちは話し合いの末、この場に残ることを選択した。身近で起きた事件だ。興味を持って当然だ。
「では、そろそろたくやさんも起きていただけますか」
すると、壁に向かって突っ立っていた無機質な物体が「はい」という快活な返事と共に動き出した。
「それでは、これより最後の取り調べを行います。全員に黙秘権はありますが、嘘をついてはいけません。正直にお話くださいね」
三人が無言で首を縦に振る。ロボットだけが「承知しました」と音声で応えた。
「では最初の質問をさせていただきます」
正理が四人を順番に見る。才上と木戸は不機嫌そうな表情、茶土は緊張した面持ち、ロボットは無表情だ。
「木戸先生に改めて質問いたします。あなただと判定された人物が監視カメラに映っていた事件当日の時間帯、どこにおられましたか?」
「前回質問されたので、念のためライフログを確認してみました。自分の家にいましたよ」
「それを立証できる方はおりますか?」
「正理さんも意地が悪いですね。わたしが一人暮らしだということをお分かりのくせに。それに最近出会って数日で失恋しましたし」
皮肉たっぷりな言い方だ。
「こんなのは簡単に改ざん可能なので、証拠になるかどうかは分かりませんが、ライフログをお見せします」
そう言って正理に端末を差し出した。
「GPSの記録によると、たしかに自宅におられたようです。おや? こんな夜中に電話しておられたのですか? しかも朝まで。どなたと通話しておられたか教えていただけませんか。事件に関わりがないとも限りませんので」
木戸はハッとした表情をした。見られたくなかったのだろう。通話情報まで気が回らなかったか。
「誰だって構わないじゃないですか。到底事件と関わりがあるとは思えませんね」
「それを決めるのは、わたくしです」
正理は厳しい目で木戸を睨む。怯んだのか「分かりましたよ」とぶつぶつ呟きながら、通話記録を正理に見せた。
「変わったお名前ですね。どういったお知り合いで?」
木戸は心底うんざりした様子でため息をつく。あからさまに言いたくないといった顔をして、渋々答えた。
「白鳥スワンさん。さすがに本名じゃないと思います。飲み屋で知り合った子です。いたく気に入られましてね。彼女の方からかけてきて、いろいろと相談に乗ってたんですよ」
喋り方も投げやりだ。もう一度溜息をつきながら、名刺アプリの画面を正理に見せる。白鳥スワンはガールズバーの店員のようだ。
事件当日はまだ曲がりなりにも茶土と付き合っていた期間だ。しかもまだ付き合い始めて数日。そんな時にガールズバーの店員と朝までお喋りしていた。
「最近男にふられた話やお店でおじさんにしつこく言い寄られた話、犬を飼いたい、なんて他愛のない話ですよ」
五十男がいい気なもんだ。正理は苦笑いをした。
茶土は呆れた表情をしている。恋愛感情なんてものは既にないだろうが、むしろ哀れな者を見るような目だ。
「茶土さん、何か言いたいことは?」
正理に振られたが、茶土は答える気も起こらないのだろう。首を横に振り、ため息をついた。
「ありがとうございます。このライフログを前回の時点でお見せいただけていれば、早々に木戸さんの疑いは晴れていたかもしれませんね。とはいえ、過ぎたことは仕方ありません。もしかしたら白鳥さんを呼んでいただくことになるかもしれませんが、現時点ではその可能性は非常に低いものと思います。必要な時は白鳥さんの連絡先を教えてください」
「ええ、承知しました。そうならないことを願っていますが」
「木戸先生への質問は以上です」
木戸に新たな女性の存在があることは意外だったが、事件の状況としては想定通りだ。木戸はほぼ白だろう。
正理は続いて才上の方に身体を向ける。
「では、続いて才上さんに質問をします。よろしいですか?」
才上は無言で頷く。緊張している様子が伝わってくる。
「この研究室に木戸先生が来られた際に、才上さんから指紋と虹彩の登録を提案していますね? なぜ、あなたに全く得になりそうもない、しかも面倒なことをわざわざやろうと言い出したのですか?」
「前にも言ったはずです。僕が提案したわけではありません」
「嘘をついてはいけませんと言ったはずです。はっきりとした証拠が残っているのですから、正直にお答えください」
いつもより厳しい口調に才上はたじろいだ。
「木戸さんを、はめようと思ったからではないですか?」
才上は下を向いている。木戸は目を見開いて才上を睨む。茶土が正理の発言に心配そうな表情を見せた。
「才上くん、正理さんの仰ったことは本当なの? もしそうだとしたら、なぜそんな嘘を?」
才上の肩が震えている。
「最初は茶土先生が初めて連れてきた恋人を試そうという気持ちでした。それで咄嗟に口から出たのが、指紋と虹彩の登録だったんです。すぐに断ると思っていたのですが、まさか茶土先生の方が乗ってきたのは想定外で焦りましたけど」
木戸が何か言いたげな顔をしている。才上が最後まで言い切るのを待っているのだろう。口を結んで発言を控えている。
「ただ、まさか木戸さんが本当に夜中の研究室に侵入するなんて思わなかったんです」
木戸は虚をつかれたのか、うろたえ始めた。
「才上さん、なぜ木戸先生が研究室に侵入されたと断定されたのですか?」
正理が諭すように質問を投げる。才上は嘘をつこうとしているのではなく、確信を持っての発言だと感じた。
「正理さんは僕が監視カメラ映像を捏造したと睨んでいるのでしょう? でも僕はそんなものは作ってなんていません。ただ僕以外にあんなものを作る人もいないでしょう。作る理由がありませんから。だとしたら、あの映像は本物でしかない。つまり、木戸さんは研究室に侵入した。そう考える以外にありません」
才上の言い方は真実を語っているように聞こえる。しかし、この発言をそのまま真に受けるわけにはいかない。
「才上さん、そのことを証明できるものはありますか? それに、なぜこのことを承知の上で、最初に常田先生を疑うような発言をされたのですか?」
「それは・・・・・・」
才上は言葉に詰まった。次に発する単語を吟味しているようだ。
「才上さんの犯行ではないということはまだ証明されていません。むしろわたくしがこれまでお会いした人物の中で最も犯人の可能性があるとすれば、才上さん、あなただと思っています」
完全に口を閉ざしてしまった。正理の指摘に対する答えが見つからないのだろう。
「才上さん、あなたは茶土先生のことを一人の女性として愛している。違いますか?」
才上の右眉毛がピクリと動いた。しかし、口は固く閉じたままだ。
「正理先生、そういう冗談はよくありませんよ。私は構いませんが、才上くんにとってはいい迷惑です。周りにたくさんの学生もいるのですから、口は慎んでいただけますか」
「それは失礼いたしました。才上さん、もしお気に障りましたら申し訳ありません」
才上は返事をしない。沈黙が研究室を支配した。
木戸は才上の方を向いてニヤニヤしている。
「皆知ってることだから大丈夫ですよ」
静寂の中でも聞きとるのに、耳を澄ませなければ聞こえないほどの声だった。学生の一人が才上の下に駆け寄り、背中をさする。
才上はひとつ深呼吸をした。深い息を吐き終えると、正理の目を見つめた。
「正理さん、失礼なことでもなんでもないです。正理さんの仰ることは事実ですから」
茶土が両手を頬に当て、「えええ」と叫んだ。目を見開いている。
「僕が茶土先生を好きなことを、この研究室内で知らないのは、茶土先生だけです。学生の中でも僕だけが頻繁にこの部屋に出入りしてるのも皆が僕を思いやってのことですから」
才上の背中をさすっていた学生が演説をするように声を張り上げた。
「才上は人を陥れるようなことができる奴じゃありません。これだけは信じてやってください」
「断言できますか?」
学生の発言を遮り、横から木戸が割り込む。
「現にわたしをはめるために捏造した映像が残ってるんです。本人が自分以外に作れない、と言っていますし、嫉妬という立派な動機もあります。もう犯人は決定じゃないですか」
「木戸さんに初めてお会いした時からすぐにでも茶土先生と別れさせたいと思ってました」
才上がゆっくりと口を開く。
「研究室への入室許可が降りてから考えたんです。何をしたら茶土先生が木戸さんのことを嫌いになるだろうと。研究成果を盗もうとしたことをでっち上げる、というのも考えたのですが、さすがに大ごとにはしたくなかったので却下しました」
終始俯いたまま、才上は淡々と続ける。
木戸は腕を組んで、終始不機嫌そうだ。茶土はずっと心配そうに才上を見つめている。
「結局いい方法を何も思いつかないまま週末を迎えてしまいました。つまり、僕は何もしていません。イコール木戸さんがやった、ということ以外考えられないんです。現に監視カメラに映ってたわけですし。それと最初に常田先生だと言った理由ですが・・・・・・」
才上はここでも言い淀んだ。ひとつ深呼吸をして気持ちを整える。
「もし僕の口から木戸さんが、なんてことを言ったら、それこそ疑われると思ったからです」
沈黙が流れる。才上はそれ以上言葉を発することはしなかった。
「そんなこと言って、その言い訳も今思いついたんじゃないですか?」
「まあまあ、責任のなすりつけ合いは美しくありません。やめましょう。わたくしは才上さんの勇気ある発言をできるだけ信じてあげたいと思います。ただし、推測の部分を除いてですが」
正理が仲裁する。そろそろ今回の事件の真相に迫るべく、一つ深呼吸をした。
「茶土先生に改めて質問します。たくやさんはどのような感情が備わっているのですか?」
「喜怒哀楽全てです。様々なホルモン作用の組み合わせにより、焦りや緊張、驚き、それに愛情といったあらゆる感情を実現可能と考えています」
「素晴らしい研究です。では、今のたくやさんはどんな感情をお持ちですか?」
これまで聞き役に徹していたロボットが喋り出す。
「今は悲しい気持ちでいっぱいです。人間が言い争っているのを見るのは気分のいいものではないですね」
「同感です。人間同士が言い争うことほど醜いものはありません。ところで、次はたくやさんに質問させてください。あなたは木戸先生のことをどう思っていらっしゃいますか?」
どう答えるか処理しているのだろうか。少し間を置いてから話し始めた。
「特にこれといってありません。しいて挙げれば、愛さんが好きになるくらい素敵な人なのでしょうと推測をするくらいです。数回お会いしただけなので、正直に申し上げまして何と申し上げたらよいか」
「なるほど、よく分かりました。ご回答ありがとうございます。しかし、お会いしたのがたとえ数回であろうが、あなただったらあらゆるデータをかき集めて判断することができるのではないですか?」
正理の追求を受けても、ロボットは極めて冷静な態度を示す。ビクッとすることはないのだろうか。
「そうですね。ただそういった情報はプライベートに配慮して、口には出さないようにしています」
このロボットが興味本位で木戸の身辺調査をしていようがしていまいが、回答は変わらない、ということか。正理は苦笑いをした。気を取り直して、次の質問に入る。
「ところで、たくやさんは何かをコピペすることは得意ですか?」
「コンピュータですからね。コピペは得意というよりは、機能として当たり前に可能です」
「では、指紋をコピペすることも?」
場がざわつき始めた。これまでずっと俯いていた才上が驚いた表情で顔を上げる。
「可能ですね」
ロボットの一言の回答にさらに騒ぎが大きくなる。
木戸は立ち上がり、才上を見下ろした。拳を握り怒りで肩を震わせている。
「お前がこのロボットに、わたしの指紋を複製するよう命令したんだろう。」
「僕は知らない、何も知らないんです」
才上は震えている。
そろそろ種明かしの時だろう。正理は周りを黙らせるほどの声量で叫んだ。
「たくやさん、もう一度防犯カメラ映像を見せてください」
「承知しました」
詳細を言わないまでも阿吽の呼吸のごとく、ロボットは研究室の壁に、例の侵入の場面を映した。
「ありがとうございます。これ以外なら何でもいいのですが、この暗闇の映像とその他の映像を並べて表示してもらうことはできますか?」
「ええ、可能ですよ」
ロボットは正理のリクエストに気軽に応える。二つ並べられた映像の左側に暗闇の場面、右側に茶土と木戸が談笑している場面が映し出された。
「どなたかこれらの映像の違いに気づかれた方はおりませんか?」
正理が周りを見回す。全員が首を傾げている。正理はニヤリとした。
「まあ、これだけで分かる人がいたらすごいです。では、たくやさん、それぞれの画像を一フレームずつ同じタイミングで切り替えるようにしてもらってもよろしいですか? できれば壁掛けの蓄光性の時計の針がよく見えるようにしていただけると助かります」
「かしこまりました」
ロボットは苦もなく要求に応える。
「えっ?」
部屋全体が再びざわざわし始めた。皆映像のおかしさに気がついたのだろう。
「針の進み方が違う」
誰かが叫んだ。おそらく学生の一人だろう。他の者たちも既に気づいていると思われ、一斉にうなづいた。
「その通りです。今はフレーム単位で再生していますから、これはフレームレート、即ち一秒あたりのフレーム数が違うためであると推測できます。私は最初にこのヘルメットの男の場面を見た時に何か違和感を抱いたのですが、その違和感の正体がなかなか分かりませんでした。実はこれだったんです」
正理は一息つくとすぐにまた話し始めた。
「実際に両者のフレームレートを調べてみると、皆さんで談笑されている時の監視カメラ映像が十五フレーム毎秒で、暗闇の映像が三十フレーム毎秒でした」
それぞれの映像の一秒あたりのフレーム数が異なる。即ちそれは、カメラの設定をわざわざ変えたか、どちらかが偽造だということだ。
「茶土先生、監視カメラの設定は一秒あたり何フレームになっていますか?」
茶土がカメラの設定画面を開く。普段あまり触らないものだからだろう。少し操作に戸惑っている。
「十五fpsですね」
『fps』は『フレームパーセカンド』、つまり『一秒辺り十五フレーム』という意味だ。
「つまり、わたしが映っていると言っていた暗闇の映像は偽物だということですね。まあ実際にわたしは侵入していませんし、この若者が作り上げたでっち上げだということは最初から分かっていたことですがね」
木戸は自分への疑いが薄れたためか、最初のぎすぎすした雰囲気が少し和らいでいる。
「才上、本当にお前がやったのか?」
周りの学生たちが信じたくないといった様子で才上を見つめた。
「違う。僕はやってない」
才上は身体を震わせ、無実を訴える。その様子を見た木戸は意地の悪いにやけた表情で言い放った。
「そんなこと言ったって、こんなことやるのあなたしかいませんよね。ご自分で言ったじゃないですか。あなたには映像を捏造する技術力もある。動機もある」
「違う。僕は本当に何もしていないんだ」
才上は半狂乱になって頭を横に振る。見ていて気の毒になってくるほどだ。
そろそろこの辺りで才上を追い込むのを止めないといけないと察し、正理は口を開いた。
「もう少しわたくしにも話をさせてください」
丁寧な物言いながら、そこにいた全員が正理に注目した。才上本人も力無く正理を見つめる。茶土も落ち着かない様子はそのままに、じっと見つめてくる。
「たくやさん、コピペについてもう一つ質問をさせてください」
無機質な顔に少しうんざりした色が浮かんだ。不思議とだんだん表情のようなものが見えてくるような気がする。
「監視カメラ映像のコピペ、つまり複製もたくやさんの下で可能ですか?」
「もちろん、そんなものは一瞬ですよ」
「ではそういった映像データを学習して、新たな映像を生み出すことは?」
たくやの返答に少し間が空いた。迷いが生じているのか? 適切な回答を確率で求めているだけのAIに迷いなんてのはあるはずがないのだが。
「理論的には可能です」
「理論的に、ですか。実際に生成したことは?」
ここでも不自然な間が生じる。だんだん人間に近づいているとしか思えない。
「あります」
「誰かに命令されて生成したのですか?」
正理が質問をする度に間が空くようになった。それだけ確信を突いているということだろうか。
「違います」
茶土が驚きのあまり言葉にならない叫びを上げた。才上もびっくりしたのか、目を見開いてロボットを凝視している。
「誰にも命令されていない、ということは?」
「ご想像にお任せします」
AIが回りくどい言い回しをする。
「それはつまり、誰かに命令されたわけではなく、たくやさんご自身で判断し生成されたということですか?」
沈黙が流れる。まるで時が止まったようだ。
「はい、そうです」
落ち着いた声。ロボットの態度に反し、周りがまた騒がしくなる。
「監視カメラ映像を保存しているサーバーにアクセスできるのは愛さんか自分だけですから。他の誰かがここにファイルを置くことは不可能です。才上さんでもね」
淡々とロボットが説明をする。嘘は言っていないのだろう。
「なぜ今までこのことをお話してくれなかったのですか?」
「聞かれませんでしたから」
あくまでロボットは人間の命令がないと応えないということか。だとしたら、勝手に木戸と思わせる映像を作ったのはなんなのか。
「ねえ、たくや、どうして私たちを騙すような偽の映像を作ったの?」
これまで落ち着きのなかった茶土が震えながらロボットに質問を投げる。自分の作ったものに恐怖を感じているのだろうか。伏し目がちだ。
「目的はお二人を別れさせるためです」
木戸が怪訝な顔でロボットを睨む。
「なんであなたがそんなことをする必要があるのですか?」
正理の質問にロボットの反応はまたしても鈍る。
「この人が愛さんの研究成果を盗み取る可能性がかなり高いと判断したからです」
「かなり高い、とはまた曖昧な言い方ですね。実際のところ、確率はどれくらいだったのですか?」
「持っているデータを総動員して弾き出した数字は三十パーセントでした」
「じゃあ、七十パーセントは大丈夫と考えていたわけですよね。なんなんですか、その理由は」
木戸が堪らず嘆息した。そのような理由でこんなトラブルに巻き込まれたなら、たしかに不愉快だろう。正理が追加で質問をする。
「たくやさん、理由はそれだけですか? 洗いざらい話してください」
「他にも理由はあります。それは」
言い淀んでいるのか、ここでまたしても間が空いた。
「それは、木戸さんは愛さんにふさわしくないと思ったからです」
ロボットの回答に皆ぽかんと口を開いた。このAIらしからぬ回答は本当に彼の導き出した答なのだろうか。
「その、ふさわしくない確率は何パーセントですか?」
「なんとなく、そう思ったからです」
正理は怪訝な顔をした。AIがこんな曖昧な回答をしてくるなんてとことがあるだろうかと。
仕方がない。大勢いる中だが、この質問をするしかないと正理は腹を括った。
「たくやさん、大変聞きにくい質問になるのですが」
ざわついていた学生たちも、正理の質問に集中しようと、一斉に口を噤んだ。
「たくやさん、あなたは茶土先生のことが好きなのではないですか?」
「ええ、もちろん好きですよ。それが何か?」
「ちょっと言い方が遠回り過ぎでしたかね。ではストレートにお聞きします。あなたは茶土先生のことを愛しているのではないですか? それで木戸先生に嫉妬して、二人を別れさせようとした。違いますか?」
学生たちのどよめきはもう抑えられない状態に達した。ロボットは部屋が静かになるのを待っているのか口を閉じたままだ。
才上は信じられないという表情で口を半開きの状態でロボットを見つめている。木戸は立ち上がって大笑いをしていた。
「AIが遂に愛を手に入れたんだ。茶土さん、凄い成果です。学会に発表しましょう」
茶土は気もそぞろに「そ、そうね」と数回首を縦に振った。
「茶土先生が動揺しているのをいいことに、この成果を盗もうとしないでください」
才上が木戸を見上げ、睨んだ。
「そんなことするわけないじゃありませんか。とはいえ、わたしもある意味研究成果に貢献しているとも言えますがね」
たしかに木戸の言う通りかもしれない。木戸の存在がなければ、ロボットの気持ちに気づけなかった可能性が高い。
「たくやさん、もうあと二つお聞きしてもいいですか? 木戸さんの指紋をどうやって複製したのでしょうか? それとあなた自身、どうやってバラバラになったのですか?」
ロボットが少しニヤリとしたように見えた。そこが一番聞いて欲しかったことだったのだろうか。
「ではまずは指紋からお話します。採取するのは簡単です。握手するだけでいいですから」
その場で正理と握手してみた。握手した自分の手をスキャンする。いとも簡単に正理の手形が壁に映し出された。
「これを元にスリーディープリンターで印刷すれば、正理さんの指紋の出来上がりです。このプリンターの原料はシリコンですから、出来上がった型にシリコンオイルをつければ、指紋付け放題です」
ロボット工学の研究室にはこうも材料が揃っているのか。正理は改めて感心した。
「どうやってバラバラになったか、ですが、以前もお話した通り記憶がありません。メモリを抜かれたのか、自分で抜いたのかも定かではありません」
「ありがとうございます。木戸先生の指紋をどうやって残したかは分かりました。ではもう一つの質問に移ります。消去されたメモリカードの復元を試みたところ、ソースコードの一部が見つかりました。おそらく、どのデータよりも最新だったために、上書きされずに済んだのでしょう。コメント文が一切無いので、内容を把握するのが大変難しいので、たくやさんから解説していただけますか」
「承知しました。愛さん、皆さんに見せても大丈夫ですか?」
茶土が無言で首を縦に振る。誰が作ったコードにせよ、機密情報である可能性があるので、了解を事前に取るのは当然だろう。
ロボットは了承を得たことを確認すると、壁にソースコードを映した。
「これはメモリを外して記憶を失っても、最後まで解体作業を実行するプログラムです。キャッシュメモリを実行用に割り当てるという荒業をしていますから、素人は手を出さない方がいいです」
記憶がない割には淀みない説明だ。正理は壁に映し出されたコードを感心したように眺める。
激しい振動が加われば解体の途中で不具合が起きて中途半端な状態で止まってしまうことを危惧したのだろうか。メモリを外すよりかなり前の作業から自動で処理されるようになっている。
まず知らない人なら疑わしく思うだろういくつかの蓋を開ける。その中にどうしても開けられない蓋が一つだけ残る。
次に片腕を外す。この際もう片方の腕のネジを先に緩めておく。外した片腕の中からボタンが現れるので押す。すると最後の蓋が開く。
そこにセットされたメモリを抜き出す。ここからは自動運転プログラムの本領発揮だ。
抜き取ったメモリを研究室内に置かれたメモリ破壊装置で破壊する。情報漏洩対策で茶土が設置したものだ。
ロボットはメモリが破壊されたことを確認するとソファ辺りに移動し、両脚、首を外す。最後にブルブルと震えることで、緩めていたネジが外れ、片腕が吹っ飛んでいく。
「最後に自分自身でシャットダウンをする。さらに、あなたが機能していない間にサーバーへの不正アクセスに見せ掛けた動作までしている。仕上げに脅迫メールで完了。木戸先生がお帰りになる場面を見計らって、自ら準備していたものを送った。素晴らしい。実に巧妙な手順です」
ロボット自身による作戦に正理は感心した。
「これで全ての謎は解明されました。皆さん、ご質問のある方はおられませんか」
誰からも手は上がらなかった。皆、正理とロボットの説明に納得したのだろうか。それともロボットの想像を超えた振る舞いに考えが整理できていないのか。
「では、この場は解散としたいと思います。本日は皆さんお忙しい中ありがとうございました」
茶土と正理以外の者が三々五々散っていく。最後に木戸が振り返る。
「茶土先生、素晴らしい成果です。わたしも最大限の協力をさせてもらいますから、ぜひ学会発表まで持っていきましょう」
「おばさん呼ばわりされる方は信頼置けませんので、丁重にお断りさせていただきます」
「ちっ」と舌打ちする音が響き渡った。
部屋の中には茶土と正理の二人だけとなった。
「お疲れさまでした。これで事件解決ということでよろしいですか?」
「ええ、どうもありがとうございました」
「ではこちらの書類にサインをお願いします」
カバンから契約満了の書類を取り出す。
「どうやらたくやさんは人間と同じ感情を持つことで、理性が効かなくなってしまったようですね」
「でもこれは研究としてすごい成果よ。ホルモンによって感情が生まれる。そして、感情は時として判断を狂わせる。人間が合理的な行動をしないのは感情を持つ生き物だからというのがロボットを介してリアルに証明できた世界初の例になった。私は今回のことを論文に纏めるつもりよ。もちろん木戸さん抜きでね」
「さすが茶土先生は野心的です」
ロボットは黙って聞いている。二人は気にせず会話を続ける。
「AIが恋をすることを信じていたのに、たくやがあんな行動をするなんてこれっぽっちも考えたことがなかった。それにしても、私と木戸さんを別れさせるのに、どうしてあんな見破られるような手段を取ったのかしら。それこそもっと完璧な方法があるような気がするんだけど」
「たくやさんの目的はあなたと木戸先生を別れさせることでした。人工知能は確率の高い方法を選ぶ訳ですから、今回たくやさんが実行したやり方が、一番成功率が高いと踏んだのでしょう」
「でも、そのために無実の人を犯罪者に仕立て上げるところだった」
「しかし、こうして現に誰も犯罪者ではないことが結論づけられた」
正理は言葉を選ぶようにゆっくりと喋る。
「あなたと木戸先生が言い合いをした時点でたくやさんの目的はほぼ達せられた。あれだけ罵り合えば、木戸先生が犯人ではなかったとして、お二人の関係修復は困難なことだったでしょう。実際にあなたの心から木戸さんは離れてしまった。つまり」
正理は咳払いを一つした。
「つまり、たくやさんの目的は達せられていた訳です。過去にロボット三原則ということが言われていましたが『人間に危害を加えず』に、たくやさんの目的を達成するための最適な解が今回の手段だったということなんでしょう」
茶土は俯き、引きつり笑いをした。その後すぐに顔を上げて、満面の笑みを正理に向ける。
「これだからモテる女は辛いわね」
正理もにっこりと微笑み、無言で頷く。その横でロボットも微笑んだように見えた。
#創作大賞2024 #ミステリー小説部門 #note #ライバル #近未来 #SF #ミステリー #ロボット #AI #人工知能 #文野巡