見出し画像

ライバル(5)

第五章

 午後、正理が大学を訪れると、約束通り茶土が学食を案内してくれた。学生で溢れ返った学食でラーメンを味わう。懐かしさがこみ上げてきた。
「最近の学食はお洒落ですね。それに味も美味しい。私の学生時代とは大違いです」
「喜んでいただけて嬉しいです。案内した甲斐があります」
しばらく雑談を交わした後、ロボットの話に移った。
「たくやさん、でしたっけ? 元には戻られましたか?」
「ええ、すっかり元気になりました。この後、ぜひお会いになってください」
「彼は事件について何か仰っていましたか?」
「スイッチが切られた状態でしたので、事件があったことすら気づいていなかったようです。寝坊した! って焦ってました」
「そうですか。そうすると事件そのものについての発言は期待できなさそうですね」
 続いて正理は茶土に端末の画面を示した。ヘルメットの男のキャプチャ画像が映っている。
「このヘルメットに見覚えはありませんか?」
 茶土は首を横に振る。
「学生の中にはバイクに乗っている者もいるので聞いてみますね」
 正理はさらに午前中にピックアップした連絡を取りたい人リストの画面を茶土に見せた。先頭にある名前に指を止める。
「名刺にもありましたこの木戸さんとは、どういうご関係でしょうか」
 茶土は動揺し、落ち着きを失った。明らかに何かを隠している。
「町田工業大学の教授です。私の研究分野と近いのでお連れしたことがある、というだけです」
「研究者同士で研究室を訪れ合うのは、頻繁に行われるものですか?」
「そういうわけではないですが・・・・・・」
 茶土は言葉を詰まらせた。明らかに不自然だ。木戸という人物に一度会うべきだろう。正理は確信した。
「木戸先生にこちらに来ていただくよう連絡を取っていただけませんか?」
「先方もお忙しい方なので迷惑がかかりますし・・・・・・」
 その時調度、茶土にメッセージが届いた。彼女の顔がみるみる赤くなった。
「木戸さんからですか?」
 茶土は驚いた顔をし、目をそらした。どうやら図星のようだ。
「どんな内容で?」
 さらに頬を赤らめ、もじもじしている。
「土曜日に会えませんか、と」
 照れくさそうに微笑んだ。
 正理は前のめりに茶土に顔を寄せ、小声で囁く。
「ここでは話しにくいでしょうから、後ほど周りに人のいない環境でお話を伺いましょう。その前に佐々木先生にお会いできますか?」
 茶土は黙って小さく頷いた。

 事前に連絡を受けていたらしく、佐々木は研究室で一人静かに待っていた。
 三十二歳で去年助教になったばかり。研究内容は量子コンピュータ時代のセキュリティだ。
「探偵の正理さんです」
 茶土が緊張した声で紹介した。佐々木は驚いた表情だ。
「探偵さんが何のご用でしょうか? しかも茶土先生を引き連れて」
「これからお話することは口外無用でお願いします」
 正理はそう断った上で、事件の概要を説明した。
「それで週末に学校に来られていた佐々木先生に、学校内で何か変わったことはなかったかお聞きしに来たわけです」
「なるほどお、分かりました。じゃあ、私が嘘をついてごまかしたりしたら、なんで嘘ついたんだ、って疑われることになるんですね。なら正直に話しますが、私のことも口外無用でお願いします」
 口調は学生のようだ。三十代でまだ学生気分が抜けていないのか。
「日曜日は仕事をしに来たわけじゃなくて、常田先生に会いに来ました」
 突然、自分の登校目的を話し出した。
「常田先生と何をされていたのですか?」
「何と言われましても・・・・・・」
 佐々木はもじもじし始めた。
「茶土先生はご存知なんでしょう?」
 茶土に甘えるような目で訴える。正理は茶土を見たが、何のことだかさっぱりといった表情だ。
「常田先生は既婚者ですよね?」
 正理の質問に、佐々木は平然と答えた。
「もちろん知ってます。でも、奥様とはもうすぐ別れると言ってましたから」
「あなた、今どき本気でそんなこと信じてるんですか?」
「茶土先生、人を疑いの目でばかり見ていたら結婚できませんよ」
 この女は嫌味で言っているのだろうか。それとも無意識で言っているのだろうか。茶土はそれきり口をつむんでしまった。
「で、常田先生と学校で何をしていたのですか?」
「別に期待されてるようなことはしてませんよ。ただ一緒にお弁当食べて、他愛のない話をしただけ」
 正理は、特に期待なんてしてませんよ、と言おうとして止めた。
「茶土先生の研究室に行ったりしてませんよね?」
「行く必要がありません」
「常田先生も?」
「彼は校門と私の部屋を往復しただけです」
 他の人にバレたらまずいだろうから、極力人に見られないように細心の注意を払ったのだろうか。それにしては、学校で逢瀬を重ねること自体が大胆過ぎやしないか。
 率直にそのことを聞いてみた。
「だって自転車のタイヤがパンクしちゃったんですもん。だから迎えに来てくれって連絡入れたら、ふたつ返事で来てくれたの」
 要は足代わりに呼び付けた、ということか。
 確実に学生たちに見られているだろう。とはいえ、事件には関係なさそうなので話を切り上げることにした。
「分かりました。ありがとうございます。また何かありましたらよろしくお願いします。あなた方のことも口外しませんから、今日知ったことは胸の奥に閉まっておいてください」
「ええ、分かりました。絶対に約束ですよ」
 佐々木の笑顔を背に二人は部屋を辞した。

「常田先生にもう一度お話を伺おうと思いましたが、意義がなくなりましたね。ただの浮気隠し、でしたか」
 茶土の研究室に戻り、それだけ言うと、正理は早速木戸の話をぶり返した。茶土の頬がまた赤くなる。しかし、照れながらもゆっくりと話し始めた。
「二十年ぶりなんです」
 溜息をつき、苦い過去の記憶に言及する。
「二十年前は不倫でした。若気の至り、です。佐々木先生のことをバカにできませんよね。お相手は他校の教授でした。奥さんにばれて、その方の家庭を無茶苦茶にした挙句の破局。それ以来、恋愛というものが怖くなってしまって」
 茶土は引きつった笑いを浮かべた。
「木戸さんとは一ヶ月前の学会で初めてお会いしました。同じAIの研究者同士ですし、お互い独身で、会話も心地よかった。久しぶりに恋愛してもいいかなと思ったんです」
「素敵なお話じゃないですか」
 打ち明けてスッキリしたのか、茶土の表情が和らいだ。
「明後日の土曜日、わたくしも同席させていただいてよろしいでしょうか。エンジニア同士、何か気づいた点等あるかもしれませんから、ぜひお話を伺えればと思います」
「木戸さんに聞いてみます」
 何度かのメッセージのやり取りの末、木戸からの同意を得た。事件のことは知らせていなかったようだ。返事からは驚きと茶土を心配する気持ちが伝わってきた。
「では、本日はたくやさんとお話をさせていただきましょう」
 すると、部屋の奥から正理の下へ近づいてくるものがあった。歩き方に違和感はない。
 スーツの上にジャケットを羽織り、靴と靴下を履いている。足下を見ているだけでは人間となんら違いはない。
 しかし視線を上げていくと、途端に違和感に包まれた。袖から金属製の手が覗いている。さらに視線を上げると決定的なものが現れた。
 その頭を見る限り、たくやというよりはロボットという言葉の方がしっくりくる。
「よろしくお願いします」
 声は人間そのものだ。たくやが右手を差し出した。正理もそれに応える。
 冷たい。冷房の効いた部屋では余計に冷たさが身に染みる。手を離すと、思わず揉み手に息を吹きかけた。
「今の技術なら、人の温もりも再現できます。とはいえ私の研究対象は心です。予算もありますから、見た目はお許しください」
「見た目まで人間に近かったら、本物の人間と区別がつかなくなりそうです。それにSNSでバズっているのは、見た目がレトロだというおかげもありますよね?」
 正理の言葉に茶土は苦笑した。
「たくやさん、これからいくつか質問をさせていただきます」
 たくやは自然な笑顔を見せると、流暢な日本語で応じた。
「ええ、お答えできることは全て正直に。愛さんから聞いたのですが、俺、バラバラにされていたらしいですね」
 茶土はロボットに、自分のことを名前で呼ばせているのかと正理は苦笑した。
 これで見た目まで人間に近かったら、情が移ってしまうだろう。それも肌を付けなかった理由の一つに違いないと正理は考えた。
「その通りです。あなたがバラバラにされた時のことを覚えていたら教えてください」
 たくやは軽くため息をつく。顔さえ気にしなければ、一つひとつの動作は人間そのものだ。回答の前に「ううんと」とか「ええと」とか言うのも人間らしさを助長している。
「残念ですが全く覚えていません。メモリが消去されたようで、バックアップの取ってあった前日の夜までの記憶しかないのです。茶土さんがバックアップしている間に片付けをしていた時にポテトチップスを床にぶちまけてしまったのが、記憶の最後ですね」
 ロボットは冗談も言うのかと、正理は感心した。横で茶土が苦笑いをしている。
「今朝メモリの復元を試みてみたのですが、残念ながら元に戻すことはできませんでした」
 茶土が補足した。メモリが復元できれば事件を一発で解決できていた可能性が高い。とはいえ、それは最初から予測できていたことだ。
「できるかどうかは分かりませんが、私の方でも復元を試みてみようと思いますので、メモリをいただけますか」
 二枚のメモリを受け取り、バッグにしまう。
 犯人の目的は茶土の研究成果を盗み出すことだろうか。国家間の争いに使われるようなことがあれば重大事象を引き起こす可能性も否定できない。
 それにしてはやり方が杜撰だ。研究内容を盗もうとする人間が、ロボットをバラバラな状態で放置するだろうか。
 元に戻そうとしたができなかった、ということはあるかもしれないが、それにしても諦めるのが早すぎる。
「では覚えている範囲で結構です。茶土先生や研究室の学生たち以外で一番最近誰と会われましたか?」
「五日前に木戸さんという方にお会いしました」
「茶土先生、お間違えないですね?」
「ええ、間違いないです」
「ではたくやさんに質問します。木戸先生の良い点と悪い点をそれぞれ三つずつ挙げてください」
「答えてもいいのですが、愛さんがそばで聞いていても問題ないですか」
 ロボットは気遣いもできるようだ。
「たくやが木戸さんのことをどう思っているのか興味があるわ。ぜひ聞かせて」
 恋は盲目、とはこのことか。おそらく今はどんな悪いことを聞かされても恋人への愛は変わらないと確信しているのだろう。
「茶土先生が問題ないとのことでしたので、お答えいただけますか」
「ではお答えします。木戸さんの良い点は明るく楽天的なこと、好奇心が旺盛なこと、そしてロマンチストなところです」
 茶土の頬が少し赤くなったように見える。思い当たる節があるのだろうか。
「木戸さんの悪い点は」
 茶土の表情が引き締まったように見える。
「怒りっぽく、自己陶酔的で、場当たり的なところ、ですね」
「彼が怒ったところなんて見たことない」
 たくやの回答に、茶土は少し不満そうだ。だったら聞かなければ良かったのに、と思いつつ、これも女心なのだろうと正理は心の中で呟く。
「先日一度お会いした時のデータから算出して、最も確率の高い三つを挙げただけに過ぎませんから、あまりお気にされないでください」
 ここでも茶土を気遣う。このロボットはなかなか紳士だと関心した。
「たくやさんは、自分を破壊した犯人は誰だと思いますか?」
 ロボットは少しの間の後、きっぱりと言い放った。
「その質問にはお答えできません。確率の問題ではありますが、百パーセントこの人が犯人だという方はいませんから。そんな状況で誰かを陥れるような発言はできかねます」
「ごめんなさい、正理先生。そういった人を陥れるような発言はしないようにプログラミングされているものですから。もしお望みでしたらプログラムを書き換えますが」
「いえ、結構です。できるだけ犯行当時の状況を変えたくありませんし。そもそもわたくしがこの質問をした理由は、たくやさんのAIがどのような倫理観で動いているのかを確かめるためにしたものですので、どうぞお気遣いなく」
 実際AIが、誰それが犯人の確率何パーセント、と言ったことを鵜呑みにして逮捕に踏み切ることは刑法上禁止されている。数十年前に条文に盛り込まれたのだ。
 正理は探偵なので逮捕はできない。だからAIに頼ること自体は問題ではない。倫理的にどうかというだけだ。
 茶土を気遣ったり、犯人っぽい人物を無闇に指摘しなかったり等このロボットは倫理という点で非常に配慮されているように見える。茶土のコンプライアンス意識の高さの証左だ。
 その後も正理は事件の真相に迫るヒントを得られないかと試みたが、決定的な回答は得られなかった。ヘルメットも見覚えはないという。
 質問もし尽くし、今日はこれ以上新しい事実は出てきそうにない。常田にも会う必要はなくなったので帰って情報を整理しようと、正理は腰を上げた。
「では今週末、また伺います」
 週末に木戸に会わせてもらう約束をして、研究室を後にした。


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門 #note #ライバル #近未来 #SF #ミステリー #ロボット #AI #人工知能 #文野巡  

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?