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クララとお日さま そして グールド

クララとお日さま
著者 カズオ・イシグロ
★★★★☆(妻にとっては★5)

「このお話、グールドの弾くゴルドベルクのアリアが流れてきそう」
クララがショーウィンドーに立ち、少女が来るのを待ち侘びる場面に差し掛かった場面で、不意に、妻がそう言って、グールドを流し始めた。

それから数日間、毎晩ゴルドベルクを流しながらの妻への僕の読み聞かせが始まった。


観察力が飛び抜けて素晴らしい、嗅覚を持たないAF 人工親友のクララとその持ち主少女ジョジーやその家族、ジョジーの儚い恋人少年リックとの交流。

ジョジーと暮らし始めて何年かした後、この物語をクララが時系列で語る。
それも、とても静かで無機質な場所で。
けれども、そんな場所でも、クララは静かな幸せを含ませたままに在る。

お日さまを信んじ抜いたクララこそがまさにお日さまで在るかのような、そんな物語。

読後、僕の脳裏に思い浮かんだ光景は、窓のないステンレスの大きな筒のような建物。
天井は吹き抜けで壁に沿って螺旋階段が延びている。
陽の光が僅かにそこから優しく差し込む。
どこか遠くでグールドの弾くゴルドベルクのアリアが流れ続けている。


📚先に結論付けておくと、かなり僕の中でのカズオイシグロ作品に対してのアプローチの仕方が変わった。
それと同時に、幾つかの彼のダイレクトには書かれていない問題提起を感じた。

📝いくつか少し再読して考えたい事
📌大気汚染を匂わせるていること
要所要所出てくる
大気汚染だけではない。
気候変動問題にしろ、地球が明らかに悲鳴を上げている事...。

📌向上処置のこと
ジョシー含めほとんどの子どもたちが受けている処置だが、リックは受けていない。
これは遺伝子操作のこと?遺伝子操作をしてらって事?
と、ここまで来て「わたしを離さないで」を思い出さずにいられない。

📌資本主義の刹那的な側面
クララの販売価格のディスカウント
新しい機種が出れば古いものは取り残される
見向きもされない使い捨てのような数々の描写

📌嗅覚を持たない
季節の移ろいや食べ物の匂い、人の匂いが感じ取れないクララ。
クララは優れた観察力と学習能力を備えている。彼女は、それらによる擬似的で無機質な感情しかないはずだ。

しかしクララはお日さまにクララなりの心の底からお願い事をするという矛盾。

認識が直感と悟性とで形成されるなら、クララの認識は五感による直感に欠落がある。
五感からの認識がないならば、カントの純粋理性批判で立証されたアプリオリな総合判断もAFのそれは人間のものと違う。
カテゴリー=物事を考える時の基本的なパターン
アプリオリな総合判断
=カテゴリー+空間と時間
要するに、人間の直感と悟性からなる共通規格の認識する能力の一部が欠如した状態

しかし、クララは自らの「意思」でジョジーの為にお日さまに懇願する。

クララがシステムに組み込まれた情動とは別に人工知能の再帰的アルゴリズムの昇華として心を持ったのか?
それとも、AFだからある程度のアプリオリな総合判断はインプットされており、かつ、懇願や渇望も疑似であり、それらからのクララの意思決定もパターン化されたものなのか?

📌全ては意思決定パターン化されていた
そんなはずない。
僕は必死にクララのプログラム以外から生まれた「こころ」がないか、探している。
どこにも見当たらない。
クララの意思決定や行動は全て仕組まれておりパターン化されているにすぎない。
そんなはずない。
と思わせる為に周到に用意されたクララの無駄のない純真さ。

それも、計算ずくめでクララは僕を、俺の脳内を純粋とお日さまという人間の情動に訴えかけるもので支配しようとする。

クララは..


と、こんな風に色々と読後考えさせられて面白い。

カズオイシグロ作品を楽しめている素の「俺」がいる。

☕️☕️
読み始めた数分は、
何とも捉えどころのない物語で単なるSFモチーフな、「わたしを離さないで」の焼き直し?

と、思った。
もしも妻がグールドのゴルトベルクに喩えなかったら、読むのに飽きてしまって投げ出していただろう。

グールドの独特なバッハの解釈と正確なリズムと余計な情緒を入れないがゆえの生き生きとしたシンフォニア、彼のバッハは純粋にバッハだと思う。

無機質ゆえの純粋な愛のかたちは、グールドのバッハに対する解釈のそれによく似ている。

この物語を語る純粋なクララは、そんなグールドの演奏するバッハと重なり僕の中でカズオイシグロ作品への僕のアプローチを照らしてくれた。

一つの作品を気心の知れた価値観の違う人と読むと、作品に対しての違ったアプローチを提示してくれるから、より一層楽しめる。

🍀
僕が彼女に読み聞かせし終わるとそれは読書ではなく大体がクラシック音楽鑑賞会になる。

これまで彼の幾つかの作品を一人で読んでいた時に抱いていたのは、深い霧に包まれた静かな森を当て所もなく彷徨っている感覚だ。
その霧を音楽に例えて晴らしてくれた妻は僕の大事なお日さま。
結局は惚気ているように思われるかもしれないが、事実なのだからしょうがない。

誰か大切な人と、あるいは、そんな誰かを想像しながら、グールドのバッハ ゴルドベルクのアリアを聴きながら、読んでみてほしい。

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