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ハードボイルド書店員日記【97】

「あー、虚しいなあ!!」

人員不足の平日。朝から長蛇の列が途切れない。某コミックの新刊が発売されたのだ。お買い上げの方に特典のステッカーを渡さないといけない。

1冊につき1枚。10冊なら10枚。20種類以上ある中からピックアップしてもらうため、なかなかレジが終わらない。予め本と一緒にシュリンクするか店員が適当に渡す店もある。だがウチぐらいの規模の店でやると「なぜ客に選ばせないのか」と騒ぎが起きる。

11時5分。やっと水面から顔を出せた。途端に隣のレジのバイト君が鬱屈の水を噴き上げる。「先輩も虚しくないすか?」「まあな」「ぼく今日ほぼマンガ売って特典選ばせるだけっす。AIで十分。せっかく休日出勤したのに」彼はWebデザインを学ぶ専門学校生だ。普段は夕方から閉店まで週3。早番がひとり有休でいないので、代わりに開店から13時半まで入ってくれている。

「悪いな」「先輩に文句言いたいわけじゃないけど」「言えばいい。夏休みなのに朝から来てくれて」「予定ないから働くのは別に」「そうか」「マンガを馬鹿にするつもりもないです。心に残る作品たくさんあるし。でも……何かモヤモヤするんです」「わかるよ」何度目かの大きな人波が押し寄せてきた。

「思うんですけど」「何だ」「最初から版元の方でランダムに封入してくれたらいいのでは?」12時過ぎ。足りなくなったカバーを急いで折る。「だな」「昔流行ったんですよね? チョコにシールを」「ビックリマンか」いまも存在している。「あれを買って中のシールを選べないのはおかしいなんて言う人いました?」「いない」「ということは、版元が特典をトレーディングカードみたいにパックして本の中に挟み込み、我々はただシュリンクする。それでOKのはずなんです。SNSで理解を呼びかければお客さんは」「わかってくれる。出版社的にいろいろ面倒なんだろう」「問題はそこですよ。たとえば」昼休みと思しきスーツ姿の集団が大挙訪れた。揃いも揃って同じ棚しか見ない。他も覗けば出会いがあるのに。

「雑誌だってそうですよね」時間の経つのが早い。彼はあと30分で退勤だ。「何の話?」「いちばん取り分の少ない本屋に面倒を押し付けるなって話です。なぜ付録をこっちで挟み込まないといけないんですか? しかも返品のときは全部外す。無駄な作業ですよ」「たしかに挟み込んでパックした状態で出荷してくれたら助かる」「できないわけないんですよ。実際、講談社は文庫やコミックでやってるんだから。横着してるとしか思えません」「なるほどな」業界の泥にどっぷり浸かっていないバイト書店員の目にはそう映るらしい。

「そろそろ上がります。ムシャクシャするんで一冊ガチなやつを買って帰ります」「そうか」「オススメあります?」「ある」レジを出てお目当ての本を手にし、すぐ戻る。三島邦弘「パルプ・ノンフィクション」だ。「どこの本ですか?」「河出書房新社。著者はミシマ社の創業者だ」「自分のところで出せばいいのに」「続編に期待しよう。君の言い方を借りるなら、彼と彼の会社は横着をしていない。悪しき因習に疑問を投げかけ、業界の未来をフェアに考えている」

197ページを開く。「たとえばここだ。『出版社と書店の関係が、あまりにイビツである。出版社優位すぎる』『どんなにがんばって売っても、一冊あたり約二割の利益しか上がらない』」「ってことはミシマ社の本は」「7掛けで卸されている。書店の利益は3割」「すごい! 気骨のある人ですね」ページを捲る手が予想通りすぐ止まる。「エグっ!」「200ページだろ。連日の大量返品が嫌になった書店員が『返さない!』と叫ぶエピソードだ」「コミックのシュリンクや雑誌の付録挟み込みにも当てはまるメンタリティです」そうかもしれない。

時間が来た。「お先に失礼します」「お疲れ」「この本、あとで買うので取り置き棚に入れておきます」「わかった。今日はありがとう。あと」「何すか?」「買ったら301ページを開いてみて」「わかりました」

たしかこう書かれている。「個人の私欲にかられた熱や、独善的熱はマグマにあらず。マグマは個人の欲望に根ざしたものではない。その職業の根っこにあるもの。政治であれば、国民に利するために身を尽くすこと」

愚痴を吐きたいのではない。業界の構造を改めればお客さんへのサービスも向上する。「売れる本」ではなく「売るべき本」を売り、世の中をより良く変えることにいままで以上に貢献できる。そういう仕事をしたい。書店員が世界を変えたっていいはずだ。

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