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「ここぞの局面」でトップに求められるもの

明日が最終回ですね。いよいよ「本能寺の変」の顛末が描かれます。

不勉強な私が知っている限りでも「秀吉と共謀説」「家康黒幕説」「天皇&公家が唆した説」「信長生存説」「光秀精神的に限界だった説」など様々な解釈がなされています。一応「天下を奪う千載一遇のチャンスを活かした説」と「国及び民の将来を思って信長を排除した説」が通説に近い位置付けでしょうか? 複数の要因が絡んでいると考える方が自然ですが、いかなる真相を打ち出すのか実に興味深い。

と言いつつ、私は「本能寺の変」よりも、その後羽柴秀吉と繰り広げた「山崎の戦い」の方に強い関心を抱いています。もし本放送に入らないのであれば「新撰組!」における土方歳三の最期みたいに後日特番を作って欲しい。なぜならこの合戦は「桶狭間の戦い」と並んで「勝ちを確信した瞬間に最大の隙が生じる」という世の理を体現しているからです。

「戦国期は下剋上の時代」と言われます。でも実際は裏切るにしても世論を納得させられるだけの「大義名分」が不可欠でした。まあそうですよね。己の都合だけでコロコロ豹変する人とは安心して手を結べないですから。

そう考えると「主君である信長の仇討ち」という明快なテーマを打ち出せた秀吉の方が支持を集めやすかったのは事実でしょう。且つ光秀に世論を味方につける暇を与えなかった。ただちに毛利と和睦し、神がかり的な速さで引き返して決戦に持ち込み、準備不足の相手から勝利を収めたわけです。

細川藤孝や筒井順慶といった「明智寄り」の有力者が日和見を決め込んだこともポイント。利に敏い中川清秀なんかも交渉次第で引き込めたはず。でも結果的に「山崎の戦い」は羽柴軍4万 vs 明智軍1万6千の構図になりました。

光秀の敗因は、秀吉の迅速な行動力と「人たらし」とも評される政治的手腕を侮っていた点にあると私は見ています。毛利との戦で当分戻って来れないし細川や筒井がきっと味方してくれるから大丈夫だろうと。その油断が圧倒的な兵力差を生んだ要因ではないでしょうか。

光秀は北陸にいた織田家の筆頭家老・柴田勝家を最警戒していました。常識的にはそれが正解。でもあの状況下でいちばん注意すべきは「ここぞの局面」で常識からかけ離れた最善手を即座に下せる秀吉でした。彼の実績を正しく評価し、そういった資質を見抜いて対策を練っておけばあるいは。。。

ともあれ明日を楽しみにしています。

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