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「スミスの爆発」という教訓

驚きました。どうぞ安らかに。

97年に彼は小橋建太選手、ジョニー・エースと「GET」(ゲット)というユニットを組みました。「グローバル・エネルギッシュ・タフ」の略です(「エネルギッシュ」は英語じゃないというツッコミを雑誌で見ました)。長身で華やかな若い三人は立っているだけで絵になりました。

でもすぐにパトリオットがWWE(当時WWF)に移籍してしまい、入れ替わるような形でブレイクしたのがジョニー・スミスです。こちらはベテランの地味なテクニシャン。タッグ戦では大抵彼が負けました。好きな選手だったからテレビに出ると嬉しい反面「やられちゃうんだろうな」と。さほど人気もなかったし。

そんな彼が急に歓声を浴びるようになったのです。キッカケは97年の「最強タッグ」開幕戦。相手は優勝候補の三沢光晴&秋山準。どう考えてもスミスが負けるパターンです。ところが彼は20分過ぎから多彩な腕殺しを始め、ファンの度肝を抜きます。強烈な反撃を受けてもフォールを許さない。三沢選手の必殺技・タイガードライバーもカウント2で返し、ついに30分時間切れ。会場は大爆発。

いったいあれは何だったのか?

当時の全日本の外国人はスタン・ハンセン、スティーブ・ウイリアムス、ゲーリー・オブライトなど大型選手が中心でした。そんな中で小柄だけどたしかな技術で彼らと渡り合い、でも最後にはやられてしまう姿に「判官贔屓」的な思い入れが芽生えたのでしょうか。

それだけではありません。報われないポジションで長年頑張る姿をファンも関係者もちゃんと見ていたのです。

働く場所を変えるのは悪いことではありません。人間関係の苦悩に耐えて心身を壊しては元も子もないし、より高い評価を求めるのは当然。私も何度か職場を移ったので利点はわかっているつもりです。

一方で本屋「読書のすすめ」の店主・清水克衛さんが著書「魂の読書」に記したメッセージも忘れ難い。まさに「スミスの爆発」から教わったことでした。「肚を真空にして、ご縁でいただいた仕事にベストをつくすんだ! そうすりゃ、お天道様は見逃さないぜ」

さあ今日も行きますか。

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