見出し画像

ハードボイルド書店員日記【192】

<いずれにせよ>

荻窪にある本屋Titleの店主・辻山良雄さんが書いた「しぶとい十人の本屋」(朝日出版社)が売れた。購入したのは眼鏡をかけた女性。
Titleは私にとって理想的な本屋のひとつだ。思わず話し掛けようとし、カウンターへ置かれたもう一冊に気づく。寄藤文平さんの本。「しぶとい~」の装丁は彼と垣内晴さんの仕事である。
本を買う目的や理由はひとつじゃなくていい。いずれにせよありがとうございます。

<沖縄でも東京でも>

「ずいぶん珍しい本を置いてるねえ」
万引き防止のための巡回をしつつ棚整理。年配の男性に声を掛けられる。私が担当しているノンフィクションのエリアだ。彼が手にしているのは「すこし広くなった」(ボーダーインク)。著者の宇田智子さんは、那覇の水上店舗で「市場の古本屋ウララ」を十年以上営んでいる。
「ありがとうございます。アーケードの話が面白いかと思いまして」
「ああ、この近くにも商店街あるからね」
「よかったら215ページを開いてみてください」
そこには室生犀星の本をまとめて買ったお客さんのこんな一言が書かれている。
「ずいぶん変な本を置いてるねえ」

<本屋に救われた>

「先輩、あの人一時間以上ああしてますよ」
珍しく遅番の日。会計待ちの列がようやく途切れる。すかさずロールやホッチキスの芯、ブックカバーなどを点検した。横で契約社員の女性がつぶやく。店内に置かれたいくつかの椅子のひとつに若い男性が座り、文庫本を読んでいた。耳には黒いワイアレスイヤホン。
「私がレジに入ったとき、すでにいました」
椅子は他のお客さんも使うものだ。できれば長時間の利用はご遠慮願いたい。一方でこの季節は熱中症の懸念がある。貧血の可能性もゼロではない。レジに集中しながら一時間見ていたはずはないので、ずっと本を読んでいたという確証もない。
「店長に相談しようか」
「いや、その」
わかる。ご機嫌斜めなのだ。客注処理に追われ、棚卸が迫っているタイミングでバイトの離職。早番の正社員はすでに帰っている。

カウンターを出た。歩きつつ頭のなかで言葉を吟味する。彼が読んでいる本の表紙が目に入った。途端に感情が込み上げてくる。何も告げずに戻った。

「どうしたんですか?」
「もう少しそっとしておこう」
「でも」
「彼が読んでいる本、ここから見える?」
「え?」
ひとり出版社・夏葉社の創業者である島田潤一郎さんの書いた「あしたから出版社」(ちくま文庫)だ。
「あの本の266ページにこんな文章がある」

孤独なときは、本屋さんへ行った。
精神的に不調で、胸の内に抱えているなんともいえないモヤモヤは友だちのだれにも伝わらなくて、もちろん家族にもいえなくて、さみしくて、つらくて、夜になると、もっとさみしくなって、でも変に怒りっぽくもあって、そんなときは、本屋さんへ行った。

「……たしかに私もそうだったかも」
「俺にも似たような経験がある。学生時代、行きたくないけど強制参加の飲み会があったんだ。時間を潰すために大きい本屋へ入り、カフカの本を見つけて閉店間際まで立ち読みしてた」
「飲み会は?」
「結局サボった。あとでメチャメチャ怒られたよ」
「そりゃそうです。キャンセル料とかあるだろうし」
「でも俺はあのとき、本というよりも本屋に救われたんだ」

彼がどういう心境でずっと椅子に座り、島田さんの本を読んでいるのかはわからない。でもあの食い入るような眼差しの切実さに嘘はない。嘘というのもおかしな話だが、要は無自覚なエゴイズムの発動とは異なる何かを感じるという意味だ。

閉店十分前。彼はレジに来てくだんの本を購入してくれた。あのときの私と同じように。

またどうぞお越しくださいませ。

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

97,942件

#仕事について話そう

111,024件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!