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ハードボイルド書店員日記【63】

「ねえ、ちょっといい?」

朝に入荷したビジネス書の補充分を出し終えた。残りの棚時間でコミックのシュリンクを、と考えた矢先、女性のパートさんから声を掛けられた。右手に固定電話の子機を、左手にソフトカバーの本を持って近づいてくる。表紙は見えない。

私の少し前に入社した人だ。おそらくだいぶ年上だが確かめてはいない。最初は私のことを自分と同じ業界未経験だと考えていた節がある。半年ほど前「○○さん、もっとでかい顔してよ!」と背中を叩かれた。

「どうしました?」「新庄の本を置いてるかって問い合わせで」「あの新庄ですか?」「たぶん。でも検索しても出ないからスポーツ書の棚を見たの。そうしたらこれしかなくて」本を差し出された。ポプラ社から出ている「もう一度、プロ野球選手になる」だ。

「いまはその本しかないと思います」「でも探してるのは違うらしいの。3年ぐらい前に出たのがあるはずだって」少し考えてピンと来た。「ありましたね。タイトル忘れたけど」「そうなの? 検索しても出なかったよ」「確かに存在します。当時別の店の実用書担当で棚に出した記憶が」「じゃあなんでヒットしないの? 私のせい?」「たとえば『ギリシア』だとヒットするのに『ギリシャ』では該当なしってことも」「わかる! 前にそれで『週刊ダイヤモンド』がありませんって答えてお客さんに怒られたの」「『ダイアモンド』で検索したんですね」「そう!」

話が盛り上がったところでふと我に返る。「電話、保留にしてます?」「時間かかりそうだから折り返しにした」これを忘れてクレームをもらう書店員は少なくない。事務所へ入り、彼女が使っていたPCを見る。案の定だ。「新城」となっている。「違うの?」黒縁眼鏡の奥のアーモンドアイがいっそう丸みを帯びた。

アマゾンで「わいたこら。」という書名を確認し、ISBNコードを調べ、店の在庫検索システムのページにコピペした。どの店舗も×だった。出版社の在庫の有無までは表示されない。しかも今日は土曜日だ。

「週明けに出版社に訊くしかないですね」「だよね~。でも私、月曜いないからなあ。客注担当に頼むのも悪いし」「じゃあ出版社のHPを調べましょう」本を出した「学研プラス」でググり、表示された中から「ショップ学研プラス」に飛んだ。さらに「新庄」でキーワード検索。在庫切れだった。

「版元のサイトがこう言ってるんだから取り寄せはムリよね?」「おそらく。でもわからないです」ポプラ社のサイトに飛んで「もう一度~」の在庫を調べた。「品切れ」だった。これは一時的なものだと断言できる。しかし「わいたこら。」の在庫切れに関しては内実に確証が持てない。

「緊急重版する可能性も考えられます。その辺も含めて、やはり『週明けに電話で出版社にお問い合わせ致しましょうか?』とお答えするのが、お客さんにとってベストでしょう」「わかった! ありがとう!」電話をかけ直そうとし、そこで彼女の動きが止まった。

「どうしました?」「相手の番号」「訊くのを忘れましたか?」「いや。あれ? 私、手に持ってなかった?」「本と子機しか。いや待って」記憶を探る。事務所を出て、ビジネス書の棚までの最短ルートを歩く。文庫のエンド台と文芸書の棚の間の通路に四角いメモ用紙が落ちていた。

「すごい! 何でわかったの?」「最初その本を見たとき、表紙が白い紙で隠れていました。でも差し出された際は普通だった。ならばその直前に落ちたのでは、と」

また背中を叩かれた。「明日から店長やりなよ!」この程度の貢献で店長にされたらたまらない。カバーのサイズを間違えただけでバイトに落とされそうだ。「ムリです」「何言ってんの。新庄が監督になるご時世だよ」「彼は俺なんかよりずっとリーダーに向いてます」その本を読めばわかりますよと付け加えた。彼女は再び目を丸くした。「アンタ買う人? 私は図書館派だよ」と呟く。こういう書店員がいてもいい。新庄はあの野村克也監督に「ミーティングを短くしてください」と言った男なのだ。

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