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ハードボイルド書店員日記【54】

「あー、私って本当にダメだ!」

昼休憩から戻って仕入れ室へ。もうすぐ明日発売の雑誌と書籍の新刊を載せたトラックが到着する。PCで先週の売り上げデータを見ていると、遅番の契約社員が入ってきた。彼女は文庫担当である。ポニーテールを振り乱して叫び、ほっそりとした首を左右に振っている。

「どうしたの?」「あ、すいません。他店では好調なのにウチだけイマイチな本があってPOPを書いたんです。でも全く効果がなくて」「いまに売れるよ」「先週末も一冊も出なくて。ウチだけですよ。情けないし本に対して申し訳ない」こういうメンタリティを持った従業員はなかなかいない。

「小説?」「これです」某大手出版社が出しているラノベ系のレーベルだ。たしかに全国的に売れている。特に普段本をあまり読まない若い層に人気らしい。無論私はノーチェックだ。カルーアミルクの肴にヘミングウェイを嗜む人がいるなら話は別だが。

「どう書いたの?」「えー、恥ずかしい」背中を丸めてもじもじしている。マスクの奥の白い頬にかすかな赤みが差していた。

「『本を読むのが苦にならない人には必要ない一冊かもしれない』」途端に彼女は持っていた本を落としそうになった。表情から昼に食べた明太子のおにぎりを連想する。「何で覚えてるんですか?!」「見たから」「マジすか。私、他の人のPOPとか全部スルーしてるのに。あ、内緒ですよ」「俺はそもそもPOPをあまり書かない。店長に催促されても流してる。これも内緒だ」「そういえば書かないですね。何でですか?」俺たちの仕事は浄水器のセールスでも通販番組の司会でもないから。口に出す前に乾いた奥歯で噛み砕く。「苦手だから」

「へえ、先輩にも苦手なことがあるんですね」嬉しそうに目尻を下げた。身近な第三者の不遇を無意識に喜んでしまうのは人の悲しい性だ。「いくらでもある」「でもいわゆる『カリスマ書店員』って、みんなPOPを作るのが上手ですよね」「俺には関係ない」「私もカリスマには程遠いなあ。全然売れないし」「本を売れる人がカリスマなのか?」「違うんですか?」「世間の常識では正解だろうな」首を傾げるポキッという音が宙を舞う埃の群れに溶けた。

「この店でいちばんカリスマに近いのは誰だと思う?」「え、それは…やっぱり店長かな」「なぜ」「仕事ができて困った時に頼りになるし」「じゃあお客さんから見て仕事ができるのはどんな店員だ? 困った時に頼りになるのは」「欲しい本をすぐ見つけてくれたり、気持ちのいい接客をしてくれたり」あ、と彼女はつぶらな目を見開いた。「そういうことかあ!」

翌月、彼女は朝礼で「店長賞」として500円の図書カードをもらった。コロナ禍と緊急事態宣言の影響で客足が鈍る中、文庫だけが唯一前年比でプラスになったからだ。後日その秘訣を尋ねられて一言「売りつけようとしないことです」と返したらしい。彼女が最近作ったPOPには、丁寧な筆跡でこう綴られていた。「お探しの本がございましたら、どうぞ作業中でも気軽に声を掛けてください。定番だからとか気にしなくて大丈夫です。お待ちしています!」

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