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「命」と「人生」の意味を考える一冊

人は死んだらどうなるか?

誰もが一度は考えたテーマでしょう。

私は北方謙三の小説を愛読する中で「人は死んだら土に還る」「死んだ人は生きている人の胸の中で生き続ける」と学びました。

ただ最近はこうも思うようになりました。「死んで終わるのは肉体のみ。魂は生き続けるのではないか?」と。別の何かの命に生まれ変わり、前世の記憶を失ったとしても、実は魂は続いているのではないか、と。

禅に傾倒して世捨て人となったサリンジャーは、前世の記憶を持った人間の登場する小説を書いています。最初に読んだときはどう受け止めるべきか戸惑いました。でも決して荒唐無稽な話ではないのかもしれない。禅を学ぶ人は総じて「死を恐れない」のですが(ゆえに武士たちから広く受け入れられた部分もある)、その答えのひとつをここに見出せるかもしれません。

そして一冊の本に出会いました。

著者は曹洞宗の禅僧・関大徹氏。生き様や修行の過酷さを垣間見ただけで私などは寒気を覚えます。しかし彼は自らの意志で進む「道」を選んでおり、結果として生活が苦しくなることを受け入れています。それが題名にもなっている「食えなんだら食うな」の境地です。と同時に、お寺で三食精進料理をいただけることに感謝し、世間さまに報いようと考えます。

好きな生き方をし、なおかつあれが欲しい、これも食べたい、あんな家に住みたい、あんな車に乗りたい。それらの全ては本当に私たちの意志なのでしょうか? 購買欲を喚起するために仕組まれた広告に惑わされ、隣の芝生が青いと思い込まされているだけではないでしょうか? 

本当に大事なもの、信じるものがひとつあればいい。あとは「足るを知る」でいただいたご縁に感謝するだけで。そして死ぬまで生きる。それは自分のためでもあり他人のためでもある。「我」にも「他」にも囚われない。

こういう生き方をしていると、当然周りからは浮きます。なかなか理解もされないでしょう。でも相手方にも各々の人生、価値観があるのです。それはそれとして尊重する。馬鹿にしたり見下したりはしない。ただ彼らの知らぬところで「陰徳」を積めばいいのです。

本書では最後にこんなことが述べられています。

「人は、命は終わっても、『仕事』は終わらないのである」「死んでも、業というはたらきは永遠に残る」

死がすべての終わりではないのなら、過度に恐れる必要はないのかもしれません。と同時に「はたらき」を少しでも多く残すために、そして来世でさらに先まで進めるように、生きているうちに己の「道」を究める。なおかつその命題にすら囚われず、いまをただ生きる。こうしていられることに感謝しながら。

私みたいな未熟者が言葉にするとこの辺りが限度です。ぜひご一読を。

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