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ハードボイルド書店員日記【180】

「国に何かしてもらおうとは思わないよ」

書店以外にも苦しい業界はあるからねえ。メンターは同意を求めるように視線を合わせ、口元から金歯を覗かせた。

11坪の町の本屋。かつて指導してくれた人がひとりで支えている。いまでも店長としか呼べない。心の中では永遠にメンターだ。

「SNSの活用とカフェの併設、読書イベントっていうのが経済産業省の掲げる解決策として最初に来ることに疑問を感じませんか?」
「仕組みを変えようってこと?」
「返品率を下げ、代わりに本屋側の利益率を上げる。あとはお店が必要としていないのに取次が送ってきた本にも支払いが発生する原則の見直しとか」
「よく勉強してるねえ」
「売れ筋の配本が大型店へ偏りがちなのも問題です」
「そこは切実だね。ウチも『ちいかわ』の特装版が入荷一冊だったし」
ただ、と穏やかな口調で言葉を繋ぐ。
「業界の問題は、まず業界の人間でどうにかすべきじゃないかな? 出版社、取次、書店で考え方は違うし、同じ本屋でも会社によって規模はまちまち。すべての立場から話を聞いて政策をまとめるのは大変だよ」
他にも喫緊の仕事が山ほどあるだろうし、とまた笑う。

温暖な平日の昼下がり。溜まりに溜まった未熟な改革論をぶつけた。職場でそんな時間は作れない。話せる相手もいない。

「書店の取り分を増やすにしても、相手の規模によってパーセンテージが上下するようにできないでしょうか?」
「小さな出版社を保護しようってこと? 方向性はいいと思うよ。本屋の利益率を上げる代わりにほぼ買い切りで返品は少しならOKが基本だよね」
「大きい版元や大型書店の利益率を町の本屋より低めに抑えることは?」
「難しいかなあ。たしかに大規模店は売る量だけじゃなく返品も多いから、その意味では利益率を下げるのは理に適ってるかもしれんけど」

しばし考え込む。
「こういう現場の声を擦り合わせる場が必要だよね。合意に達したルールを広く反映させる際は政治の力を借りるとしても」
「紀伊國屋、蔦屋、日販の合同会社は期待していいですか?」
「大きいところだけが潤って終わり、にはならんと信じてるよ」
「町の本屋の経営者もあそこに加わってほしいです。参考人みたいな感じで」
「どうだろう? 取次も日販とトーハンだけじゃないし、各界の小規模同士で連携する方が現実的かなあ」

制服姿の男子学生が入ってきた。図書カードで漫画と英語の単語集を買って出る。ポニーテールの中年女性が「暑いね~」と敷居を跨ぐ。週刊誌を二冊買い、某メジャーリーガーへのバイアスに満ちた見解を述べて帰った。

「いいお店ですね」
「どこが?」
「地域の本屋としての使命を果たしつつ、私みたいな面倒臭い客のニーズに応える本も置いています」
「生きるのに精一杯なだけだよ。使命とか文化を守るとか、そんな大層なモンじゃない。もっとザックリ言うとこれしかできないし、こういう風に生きたいんだな」
軽々しく返せない。黙って頷いた。

「そうそう、これ知ってる?」
レジ横を指差す。三宅玲子「本屋のない人生なんて」が三冊積まれていた。版元は光文社。日本全国の気骨ある書店を巡るノンフィクションだ。
「読みました。素晴らしい本です」
「印象深い文章があったんだよ。君なら覚えてるんじゃないの? 本を読むのもパチンコをするのも」
覚えてる。たしか91ページだ。

「本を読むのもパチンコをするのも趣味というか、好みにすぎません」
「ただ、本を読まない人が増えると文化が変わっていくのは確かだと思います」

そういうことだよねえ、と首筋をぽりぽり掻く。
「国とか世界なんてのはムリだけど、せめて地域の知的生活向上に微力ながら貢献したい。何が正しいかを上から教えるんじゃなく、それを学ぶために有効な材料を選び、提供し、共に考える。知らぬ間に為政者の都合で大事なものを奪われ、その自覚すら抱けないのは恐ろしいことだよ」
「ですね」
「この本、どこが最も響いた?」
「209ページです」
こんなことが書かれていた。

「自分はどうやって生きるのが心地いいのか。自分と対話し、自分で考えるとき、本は心強い伴走者だ」

個人的な一冊を選んでもらえる場所を作りたい。様々なジャンルの名著を読んできた。専ら自分を救うために。だから己と対話するのに有効な本を見極める目には少しだけ自信がある。

他人の価値観に流されるのではなく、自分にとって心地いい生き方を。本屋をその出発点にしていきたい。

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