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ハードボイルド書店員日記【82】

「なんでこれだけ違うんだろ」

とある金曜の朝。土曜から三連休に入り、テナントのポイントアップキャンペーンもスタートする。朝礼で「レジ担当は率先して各種カバーを折るように」という通達が出た。全六種類。文庫用と新書用はできあがった状態で送られてくる。ならば店で折るのは実質四サイズ。

そうではない。

「前から疑問なんですけど、ハヤカワ文庫ってどうして他の出版社のものより大きいんですか?」朝から昼まで来てくれているパートの女性が横でボヤく。昨年春にデザイン系の専門学校を出て、就活をしながらここで働いている。彼女には「トールサイズ職人」という二つ名がある。目安となるラインが印刷されていないハヤカワ文庫のカバーをフリーハンドで正確に、しかも五枚同時に折れるのだ。

「文字を大きくするため、と聞いたことがある」「へえ。でも新潮文庫は本のサイズを変えずに字だけを拡大してませんか?」「たしかに」大学時代、深夜のファミレスでドリンクバーをお供に読み耽ったドストエフスキーの長編を思い浮かべた。「小さな活字が詰まっているのも俺的には悪くない。純文学って気がする」「えー、そうですか? 私は古本屋で開いた瞬間げんなりでしたよ」話しながらも機械みたいなペースで折っていく。

開店から四十分。常連さんが週刊誌やファッション誌を買いに来た。カバーは一枚も減らなかった。「○○さんはどこのが好きですか?」すでに全種類を折り終え、ラッピングに使うリボンシールをハサミで切り抜いている。最初に取り出した紙の束といまだに格闘している私とは別次元の速さだ。「何の話?」「ブックカバーです」「青山ブックセンターや新栄堂書店、あと神保町の町の本屋さんのとか」「私は有隣堂です。文庫サイズだと色を選べるから」「十種類だよな。でもハヤカワだと普通のしかない」「あの落ち着いた通常カバーも好きですよ。カラフルな中に混じると逆に目を惹きます。終わりの時期の葉桜みたいで」語彙の妙。デザイナー志望ゆえか。

もうすぐ十一時。私は昼休憩に出る。彼女はもうしばらくレジに残り、その後は巡回と児童書のシュリンク及び品出しだ。「ハヤカワ文庫、久し振りに買いたくなりました」「有隣堂で?」「ここで。社販使えますから」まあそうなるか。「オススメ教えてください」「どういう系統が」「私、割と男臭いのが好みなんですよ。ロバート・B・パーカーとか」「スペンサーシリーズか」「そう! さすが詳しいですね!」「『初秋』『晩秋』しか読んでない。あとスペンサーものじゃないけど『愛と名誉のために』とか」奥二重の黒い瞳が露骨に広がった。「各々五回は読んでます」「『愛と~』が好きなら、これはどうだろう」レジ横の端末の前へ移動し、キーを叩く。呼び出したのはポール・オースター「ムーン・パレス」だ。

「先輩」「わかるよ。たしかにハードボイルドミステリィではない。でもこれから人生へ踏み出す世代に多く読まれている作品だ。ゼロからの再出発という意味でも」「先輩」「ん?」「それ新潮文庫です」あ。間抜けな声が出た。「でもいまの流れでオースターが出てくるの意外だし面白いかも。AIではない人間の本好き書店員ならではのチョイスですね」「そうかな」「後で買います。オススメありがとうございました! あ、もう時間だ。そのカバー、私が折っちゃいます。お昼行ってらっしゃいませ!」「あ、ああ」

午後。私服に着替えた彼女がレジへ来た。「いらっしゃいませ」「あの本、なかったです」「データでは在庫一冊だったけど」「客注でした」「そうか。申し訳ない」「いえ。これから有隣堂に行ってみます」「カバーはかけてもらう?」「どれにするか決めてます」「何色?」企むような笑みが白いマスク越しに浮かぶ。「あえて」「……なるほど」店員の驚く顔が目に浮かんだ。これハヤカワ文庫じゃないけど、という戸惑いを隠し切れぬ顔が。

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