見出し画像

ハードボイルド書店員日記【149】

「使えますか?」
よく日焼けした中学生らしき男の子。カウンターにA4サイズの紙が置かれた。四隅にQRコードが印刷されている。図書カードNEXTのネットギフトだ。しかも1万円分。

「ご利用いただけます」「本以外の物にも?」「図書カードなどの金券や検定の申し込み以外なら」「もし残ったら」「ゼロになるまでは何度でも」期限はあるが2036年となっているから問題ない。「テレフォンカードみたいな感じでしょうか?」横で母親がつぶやく。「ですね」「何それ」男の子が細い首を傾げる。「公衆電話を使うためのカードよ」「公衆電話?」母親と顔を見合わせた。月9ならこれがキッカケでひと夏の恋に発展するのだろう。

会計が終わった。紙のおかげでスムーズに事が運ぶ。スマートフォンの画面だと機械がなかなかコードを読み取らないのだ。「漫画ばかりじゃなくて、ちゃんとした本も読みなさいよ」「じゃあちゃんとした漫画を教えて」心の中で男の子に喝采を送った。「あの、すいません」「はい」「この子にオススメのちゃんとした漫画ってありますか?」まさかの丸投げ。

10代の前半だろう。時期的にも「はだしのゲン」はどうか? だが良書だからと押しつけて苦手意識を与えたら逆効果だ。いつか自発的に出会ってこそ生涯の友になる気がする。いま彼が購入したのは「SLAM DUNK 新装再編版」の19巻と20巻だ。

豆電球に光が灯る。

「お待たせいたしました」井上雄彦「バガボンド」の29巻をカウンターに置く。「こちらは?」「同じ作者が描いている作品です。江戸時代初期の剣豪・宮本武蔵が主人公で」「知ってるよ。佐々木小次郎と巌流島で闘った人でしょ」「正解」「でもこの漫画は読んだことない」「そうよね。なのに、いきなり29巻って」親子ともに困惑している。「ざっくり言うと武蔵が激闘の日々を続けた果てに膝へ大怪我を負い、もう刀を振れないかもしれない状況です」「強い剣術家になるのが夢なのに?」「そう」「○○くんみたいだね」「そんなこと言わないの」母親によると○○くんは野球部のエースだが少し前に肩を痛め、部活から足が遠のいているらしい。

「どうしてこの子に」「答えはこちらです」シュリンクを破り、とあるページを示す。武蔵に会いに来た沢庵のセリフが記されている。

「わしの お前の生きる道は これまでもこれから先も 天によって完璧に決まっていて それが故に完全に自由だ」

「わかりません。決まっていたら自由ではないのでは?」細い眉をひそめる。「わかった!」男の子が右手を挙げた。「簡単だよ。これと同じ」先ほど返した図書カードNEXTの紙を指差す。「ゼロになるまでは何度でも使える。本屋さんに置いてある物なら何でも買える。ぼくは他の本屋さんには行かないから、ここでこれを使い切ることは完璧に決まっていて、でも何を買うかは完全に自由。人生も一緒なんでしょ? いつか終わりが来るけど、だからこそそれまでは自由」

言葉を紡げない。母親の左右の耳から透明な煙が噴き出している。「ですよね?」「そう、かもしれない」「読んだら○○くんに貸してあげよう。伝わるといいな。やれることがゼロになるまでは何だってできるし、野球以外の何かを始めてみるのも自由だよって」

石田三成に初めて会った際の羽柴秀吉の心境を察した。頼もしさと小賢しさ。いずれにせよ、日本の未来は大人たちが悲観するほどには悪くないようだ。

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,427件

#連休に読みたいマンガ

1,223件

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!