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【広報日記】 ずっと自己紹介している。
noteをはじめて2ヶ月が経過しました。
自分の思いや考えいていること
やっぱり文章にするのも好きだし、
楽しいなと思う。
しかし、これを読む人のことを
どこか遠くに置いてきてしまい、
自分から見たもの、見ているもの
ばかり書いてしまうところがある。
つまらなくないかな、とか
時々不安になったり、心配したり。
面白いとか、ためになるとか、たぶん
そういうのは少ないとおもいます。
けれど、わたしは自分の内側にある
それらをこうして言葉にして綴りたいのです。
ずっと自己紹介している。
![](https://assets.st-note.com/img/1681176050718-KT9owrbatc.jpg?width=800)
先月読んだ本のなかに書かれていた言葉で、
「ずっと自己紹介をしている」
と書かれているのを読んだとき、
私も似たような感覚があるなと思った。
自分が今、見ているもの、感じていること、
大切にしていること、
そういうのをいちいち確かめたいひと。
今、自分はどこにいるのか、と
時々立ち止まって気づきたいひと。
大切なものをちゃんと自分で分かっていて
自分の腕のなかで温め続けたいひと。
そして、もう要らないなぁとおもったものを
すっーと手放したいひと。
それが、わたし。
ことばを求めている。
![](https://assets.st-note.com/img/1681177577328-Lsra8seqEA.jpg?width=800)
わたしを知るのに必要なのは「ことば」
その「ことば」が欲しくて、
わたしが「わたし」と出会いたくて、
今日も「本」を読んでいる。
数年前のある日。
立ち寄った本屋をうろうろ歩いていたら
たまたま帯文に目が留まり、
その本を手に取って数ページ読んだ。
そのなかに書かれていた言葉に
衝撃を受けたことを
今でも鮮明に記憶している。
どこの本屋で、その本が
どこに置かれていたのかさえも
今でもはっきりと覚えている。
『死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である。』
ここの文章が、私には光って見えた。
あぁ、やっぱりそうなんだ、
言葉なんだ、と確信した瞬間。
これが、私にとって
大きな出会いとなった。
それから益々、ことばを求めた。
そして一冊の「詩集」と出会うことになる。
詩と出会ってから
ことばを通してまた深く
自分と繋がりはじめた。
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月日は流れて。
『不滅の哲学 池田晶子』を「今だね」と思い
購入し読み終えた。
後半のページにあるふたつの文章を引用する。
『精神の糧、というのが比喩ではない。食物だけが「糧」なのではない。言葉もまた、「糧」になる。栄養素が、見えないところで心身の傷を修復しているように、コトバも私たちの心に寄り添い、日々の傷を癒している。』
言葉を、「糧」であるコトバとするために、私たちは「読み」「書き」「考え」「感じ」なくてはならない。食べることが、食物を心身に有用な栄養素へと転換させるように、「読む」こと、「書き」「考え」「感じ」ることが、言葉をコトバに変じる。
本を読むことで、ことばと出会う。
心の傷をも癒すことばを。
普段話している言葉や、耳にす言葉
目にしている言葉ではない。
もっと心の奥深くにいる
自分と出会うための「ことば」を。
本を読むこと、日記を書くこと、
そこから、思い巡らせること。
これからも
丁寧に繰り返していく。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます!またお会いしましょう。