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心の傷と信じる気持ち②
※ 前回の記事 から読んでね。
あなたの存在は知っていた。ピューパにはずっと通っていたからね。
初めて会ったのが2023年の6月のパピムズフェスだった。その時は軽く話しただけだった。
そのあとスレッズでやり取りはしていたが、7月末のトークイベをきっかけにちゃんと通うようになった。
話していくうちにそれとなく好意は感じていたし、親身に話を聞いてくれるところにも惹かれていった。
2人の誕生日
心の傷と信じる気持ち①
人のことを心から信じられなくなったのはいつからだろう。
人の言葉をなんでも信じる子どもだった。疑うということを知らなかった。大人がいうことは全部正しいと思ってたし嘘をつく人がいるなんて知らなかった。
あんまり記憶はないけど小学生とか中学生とかの時は今思うとよく騙されてたんだと思う。なんか言いくるめられてレアカードとかゲームとかをタダであげちゃってたような気がする。
自分に自信がないから他人が
自分のことを好きになれる日
ぼくは生まれてから自分のことを好きになれたことが1度もない。
自分に対しての自信なんて全くないし何しても上手くいかないんだろうなという劣等感を持ち続けていた。
この世に生を受け、幼少期、学生時代、社会人になり今に至るまでずっとそうだった。
人生を振り返るとそれなりの経験をしていると思うが、それらの経験を重ねる度に自信の無さや劣等感は強固なものになっていった。
自分のことを愛せない人間が他人
死にたいのは誰のせいでもないけど生きていたいのはあなたのおかげ
愛はおしゃれじゃないし死にたいはファッションじゃないわけで。
その衝動を「死にたい」以外の言葉で表せたらもっといいのかもしれないね。
でもそれはできないや。だってほんとに死にたいんだもん。
この衝動と仲良くなれる気はしないけど一緒に生きていかなきゃいけないんだ。
「死にたい」衝動と一緒に生きるって変なの。
死にたい理由なんてたくさんあるのに生きていたい理由はひとつしかない。
でもそれで
過去があって今があって
ぼくは精神を病んでた時に投稿した病みツイとかnoteの記事も消さないで残すようにしている。
それはぼくが生きてきた証だから。
その時の自分が思った感情を否定したくない。
過去があっての今のぼくだし。
基本的にはありのままを発信してるし、それを受け入れてくれる人にしか好かれたくない。
あの時死にたかった感情は本当だし、そのツイートを消したところで死にたかった出来事が消せるわけでもないし、何
冬が来て、そして春が来る
1年前の春にこんな記事を書いていた。
あなたに出会えたことで次の春が来た時に春という季節が好きになれてればいいな。
来年の春は春の風を心地よく感じているかな。
あなたとの思い出で塗り替えたいな。過去の嫌な記憶を。
代わりのきかないものって?
仮にぼくが突然いなくなったとしても代わりなんていくらでもいるし、自分一人がいなくなったところで世の中は勝手に回るし。
社会の歯車としての人間としての価値なんてそんなもんなんだよね。
その人じゃないと絶対できないことなんてきっとないんだろう。少なくとも自分はそんな人間では無いし。
でも、その人じゃなきゃ代わりがきかないものはあると最近考えてて、例えば好きな人と一緒に過ごした時間からくる思い出と
死にたい理由、生きたい理由
死にたい理由が10個あったとしても生きていたい理由が1個あれば生きれるし、死にたい理由が1個しかなくても生きていたい理由が何も無ければ生きれないのかも。
なんかそんなことをふと考えたりした。
もちろんあまりにも強すぎる死にたい理由だったら1個あるだけでダメかもしれない。
でも生きていたいって理由がひとつでもあれば乗り越えられることがたくさんあるのかもなって最近強く思うんだよね。
ぼくの中で