見出し画像

28歳までフリーターだった僕がコンサルタントになるまで⑤

こんにちは。
「ビジネスを再構築するスペシャリスト(BM設計士)」
熱海隆史(あつみ たかふみ)です!

前回までの記事の続きです。

28歳までフリーターだった僕がコンサルタントになるまで①

28歳までフリーターだった僕がコンサルタントになるまで②

28歳までフリーターだった僕がコンサルタントになるまで③

28歳までフリーターだった僕がコンサルタントになるまで④

ブラック企業での事業の失敗を機に、
コンサルタントのMさんに

「拾ってもらった」

僕は、Mさんとコンサルティング事業を
新しく立ち上げるために全国を奔走していました。

僕たち2人が飛び回る様子は、
他のスタッフの間で「巡業」と
言われていたようです。

あるときは岡山から島根へ、
車で数時間かけて二人で移動しながら
飽きもせずずっと話していました。

家族のこと、
今までの人生で経験してきたこと、

なにせ家族よりも長い時間を
一緒に過ごしていたので、
ほんとうにいろんな話をしました。

Mさんとの濃い時間を過ごしながら、

「コンサルタントとしての在り方や姿勢」

など、多くのことを
吸収していったような気がします。

2007年4月にMさんの会社にはいって、約一年

「巡業」

は続きました。


< 最初のコンサルティングで失敗し、自分のタイプを知った >

Mさんに弟子入りして一年。

僕はMさんの見よう見まねで、
コンサルタントの仕事をすこしずつ始めました。

2007年の暮れには、
初めて、とあるネットショップの
担当につかせてもらいました。

緊張しつつも、
成果を出すんだと意気込んで
始めたコンサルティング。

・・・半年後、ネットショップの月商は30万でした。

大赤字です。

コンサルティング会社として、
とても公表できる数字ではありません。

ネットショップ業界は、
月商100万程度では、
粗利がよほど良くなければなりたたない世界です。

なのに僕の場合は・・・月商30万。

さらには、そのネットショップで扱う商品は
粗利率が低かったため、
目もあてられない大赤字の状況でした。

一般に、ネットショップは、
月商300万あげないと
黒字にならないと言われています。

当時、Mさん以外にも、
おつきあいのあったコンサルの人がいました。

その方も超優秀なコンサルタントです。

僕はその方からもアドバイスなどをうけていました。

つまり、それら一流コンサルタントの方々の
ノウハウが僕にはあり、
初めてであろうが成果を出せる
条件は揃っていたはずです。

にも、かかわらず、
僕は結果を出せませんでした。

そのあとの試行錯誤をつづけ、
なんとか、ネットショップの売上を
30万から100万まで上がることができました。

が、それ以上にぜんぜん行けない。

月商300万あげないと
黒字にならない業界なので、
それでは結果を出したとは
とうてい言えませんでした。

すごく、焦りました。

僕はただ、コンサルしていたわけではありません。

「メルマガが書けない」

とネットショップの担当者の方が困っていれば、
僕が代わりにメルマガのテキストを書きさえもしました。

そうやって、いろんな手を尽くしているのに、うまくいかない。

「やっぱり俺は、ダメなんじゃないか」

焦りのなかで、ふたたび無力感がおそってくるのでした。

一年くらい、そうやってもがいていたように思います。

ある日、そんな僕を見かねたのか、

「この子はこのままだと伸びないから」

と僕のことを心配したMさんの知人が、
コンサル業界で有名な方、
Gさんを僕に引き合わせてくれました。

それが

「検索エンジンマーケティング」

との出会い。

Gさんの手ほどきをうけ、
検索エンジンマーケティングの手法を
学ぶようになった僕は、

あることに気づいたのです。

Mさんは

「感覚的なマーケティング」

タイプ。

それと対照的に、

Gさんは

「分析脳のマーケティング」

タイプ。

そして、僕はGさんの手法が合っていた、

ということに。

今までMさんのコンサルティングの
手法しか知らなかった僕にとって、
衝撃的な気づきでした。

Gさんの「分析脳のマーケティング」手法を
徹底的に吸収して、

Mさんとは違うスタイルの
能力を高めていった僕は、

半年後、ネットショップの売上を
300万に載せました。

さらには、沖縄で半年間勉強会を行い、
そこでコンサルとして関わった会社6社のうち、
5社の売上を上げました。

ネットショップのウェブサイトの
構造改善を僕がやったことで、

月商200万だった会社が5社、

次々と1000万に月商を上げていきました。

売上を上げるあの手この手の手法が、
次々に当たるようになり、
役割分担もスムーズに行くようになりました。

戦略の大枠は、Mさんが立てる。

具体化し、細かなサポートは僕がやる。

そうやって、思い描いたとおりに
売上が上がりはじめて、
やっと自分の領域が見つかったような気がしました。

MさんとGさんという
対照的なコンサルタントの力を借りて、
そこでようやく、初めての成功体験を得ることができたんです。

「僕にはなにもない」

無力感からやっと一歩、
足を踏み出したような気がしました。

マーケッターとしてはじめての体験を、
そのあともいろいろ経験させてもらいました。

業績が上がるにつれ
あちこちから声がかかるようになり、

グループの親会社にも
ノウハウを教えるようになりました。

全国をまわりながら
「講師」もするようになったのも
この頃です。

自分でも、自分が大きく変化していくのを実感していました。

そしてそれは

「Mさんのやりかた」

を徹底的にやったからこそ、
ようやく見ることのできた景色だったということです。

「感覚派」のMさんの手法に
とことん染まり、

とことんMさんの元で
やりぬいてなお、

僕には「感覚派のコンサルティング」が
出来なかった。

そんな痛い経験があったからこそ、

「タイプがちがっていた」

「得意分野が単に違っていた」

そのことに気づくことができたんです。

< 自分のもっているものの上にしか、強みは気づけない >

Gさんの理論と手法で、
僕はいままでにないスピードで
ぐんぐん育っていきました。

あのまま無理やりMさんの
コピーに徹していても、
Mさん以上にはなれなかったでしょう。

自分のもっているものの上にしか、強みは気づけない。

それを身をもって学んだ経験でした。

同じコンサル業でも、
分野を変えることで
これほど結果が変わってしまうのだとわかった僕は、

僕に合った分野で力を発揮していきました。

月商30万から300万へ、

そして1000万へ。

さらには、人にノウハウを教える立場になりました。

検索エンジンマーケティングに出会って劇的に変わり、

SEOで事業のレバレッジもかけ、

緻密に戦略をたてる。

すると、計算通りに面白いように売上は伸びていきました。

「マーケティングは、計算式」だ。

そのときに経験したことがベースになったことが、
僕のコンサルティングの第一歩でした。

最初に手がけたネットショップは、

その後1000万になり、

それから数年後、

3000万になりました。

これはコンサルティングの領域を変えて、
初めて関わったネットショップの実績です。

ネットショップの社長は僕を信頼し、
コンサルの中身も決まっていない状態で、
実験台に進んでなってくれました。

当時、月商500万売り上げがあったにも関わらず
スタッフの人件費がかさんで、
フタをあけてみたら赤字の状態。

僕が新しい経営戦略を考えています、
と言うと「わかった」と、
僕のコンサルを買ってくれたのです。

「3ヶ月で僕が結果をだせなければ、この事業部をつぶすことになる」

必死で経営戦略を立て、
構造改善を進めた結果、

ほんとうに3ヶ月で立て直すことができました。

いろいろな幸運な条件が
重なったこともあったかもしれません。

売上が倍で伸びていき、
さらにはリピート戦略がうまくいき、

リピートだけで売上が2〜3倍に上がりました。

あのとき、最初の実験台になってくれ、
戦略的な方針変更を受け入れ実行してくださった
ネットショップの社長には、

いくら感謝をしてもしきれません。

僕に実績らしきものがまだなかった時期に、
一番最初のクライアントさんになってくれたこと。

僕のコンサルティング業を、
大きく変えるきっかけになった恩人でもあります。

そこで経験したことすべて、僕の今の基礎になっています。

いまのコンサルの基礎、考え、実績のもとになっています。

たくさんの人に支えてもらって、今の僕ができています。

こちらの記事に続きます↓


#フォロバ100 #フォロー返します #相互フォロー募集 #ブログ #自己紹介 #目標達成 #プロジェクト #ビジネス #仕事術

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?