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28歳までフリーターだった僕がコンサルタントになるまで③

こんにちは。
「ビジネスを再構築するスペシャリスト(BM設計士)」
熱海隆史(あつみ たかふみ)です!

前回の記事の続きです。

大学卒業後になりゆきでフリーターになった自分。

そんななりゆき人生を変えようと、
一念発起して就職した会社で業績を上げられず、

一年もたたずに退職してしまった僕は、
強い劣等感のなかにいました。

フリーター人生に見切りをつけて
やっとのこと就職したというのに、

結局は自分が

「圧倒的になにもできない人間」

だと思い知らされて、
またフリーター人生に逆戻り。

「いいかげん、このままだと俺はマズイ」

焦りと無力感がいったりきたりする2年間ののち、
あるセミナーが目に止まりました。

ジェームス・スキナーの「成功の9ステップ」セミナー。

それは、4日間の自己啓発系セミナー合宿でした。

フリーターでお金もなかった僕は、
親にお金を借りて参加することにしました。

自己啓発系のセミナーには、
賛否両論があると思います。

参加すれば絶対に人生良くなる!
という単純なものではないと思います。

実際、セミナーに参加した他の参加者で、
逆にバランスを大きく崩した人もいました。

仕事を衝動的に辞めて、
参加する前より
強い逆風のなかに身をおいてしまった人も。

でも僕はといえば、参加する時点で何も持っていない状態。

失うものもないと感じていた僕にとって、
いわば「何もない」が強み。

「人生をここで変えてやるんだ」

と意気込んで、合宿に参加したことを憶えています。

合宿に参加後、
人生に立ち向かう姿勢が前向きになった僕は、
そのまま

「人生変えてやるぞ」

とエネルギーの高まった状態で、
とあるベンチャー企業に面接へ。

高い熱量で入社への思いをありったけ伝えました。

結果、その場で採用が決まりました。

てんまつを先に明かすと、
僕が受けたところは

「誰がいっても受かるんじゃない?」

なブラックなベンチャー企業。

入社したはいいものの、
終電で帰れたためしはありませんでした。

連日、夜中の2時、3時まで働いて
朝は普通に8時に出社するような会社体質。

土日の休みもなく
会社に寝泊まりするような悪環境で、
全国で100人採用された同期は、
気がつくと1割しか残っていませんでした。

ベンチャーなこともあり、
支店長は僕と同い年の28歳。

社員のほとんどが22、23歳と
年下の若い社員でした。

自分が年いってることを自覚した僕はまた、
ここでも圧倒的な劣等感。

年下にあごで使われ、でも売れない。

「俺にはなにもない」

が継続していくなかを、
毎日働いていました。

そんなある日、
4ヶ月くらい勤めていた仙台支店が
閉鎖することになり、

「一週間後に東京に行け」

と突然、異動の通達を受けます。
(このあたりもブラックですね・・・)

住居はウィークリーマンション。

キャリーケースひとつで東京へ行くことになりました。

< 身一つで来た東京でリストラにあって、転機がおとずれた >

東京では、テレアポ営業をやっていました。

しかしここでも仕事がうまくいかず、
東京でも劣等感が募るばかりでした。

「俺ってほんと、心が弱いな・・・能力がないな・・・」

打ちのめされているさなか、
とうとうリストラされることに。

正確には、

「お前には、この事業には向いていない」

と事業部内でのリストラです。

そしてこのリストラが、
僕のターニングポイントになりました。

事業部内リストラ後の行き先は、
3つ用意されていました。

・顧客のサポート部門
・ヤフーの営業
・地域活性化の新規事業の立ち上げ

リストラ対象者を前に、
上の方々との面談がありました。

責任者にあたる人たちが

「こいつをウチの事業部にもらう」
「こいつはいらない」

とか容赦なくやりとりする場です。

面談の順がまわってきた時、僕は言いました。

「僕は、地域活性化の新規事業立ち上げの部署に行きたいです」

と。

「いや、お前。そんな希望出せる立場じゃねえから」

といった、シラーっとした空気が流れました。
実際そう言われたような気もします。

当時、僕をいれて30人くらい事業内リストラにあっていたのですが、

「リストラされた立場で行き先を希望するヤツは初めてだ」

と、妙に目立ったようです。

ほとんどの責任者が

「どのツラ下げて・・・」

とあきれた表情のなか、
当の「地域活性化の新規事業」立ち上げの責任者の方が、

「こんな変なヤツは見たことない!ウチに来たらいい」

と面白がってくれました。

結果、僕の希望した部署に行けることになったのです。

僕の、場の空気を読まない申し出を
面白がってくれたその人がMさん。

のちの「コンサルタントとしての僕」の
生みの親ともいえる人でした。

< 「なにもない」どん底で火が着いた、コンサルタントの世界 >

Mさんは僕の勤めていた会社の提携先の企業で、
地域活性化の新規事業のアドバイザー・責任者でした。

Mさんがもともと所有していた会社を
僕のいた企業に売却し、
M&A(戦略的提携)した立場の方で、

そのブラック企業のスタッフ教育を
Mさんが担当していました。

そこへ、僕を含めて4人が新しく配属されることになりました。

その事業部は、コンサルタントであるMさんをはじめ、
「地域活性化」という大きなプロジェクトを通して
さまざまな分野のコンサルタントの方が関わっていました。

僕はそこで、初めて
「コンサルタント」という仕事を知ったのです。

「世の中にはこんなに優れた人がいるんだ」

と目の当たりにしました。

当時、ネットショップのことも
インターネットのことも何もわからない僕たちに、
いろんなことを教えてくれた人たちは凄腕の方ばかり。

衝撃を受けました。

いま振り返っても、
すごい環境にいたのだなと思います。

当時を振り返って、
Mさんが飲みながら話してくれたことがあります。

「こいつはほんとに何もない。
こいつはほんとに真面目だけど、なにもない」

そして、

「だからなんとかしてあげたいと思った」

と。

すごい人達に囲まれて、
どん底にいた僕に火がつきました。

「もう、こんなチャンスはないだろう」

Mさんの下で、
死ぬほど考えて死ぬほど動きまくる。

僕の中の「必死」に
スイッチがはいった瞬間でした。

こちらの記事に続きます。↓


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