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「バーテンダー褒め学」実践編

褒めるべき優れた人が、その褒められるべきポイントには誰一人気がつかず、私だけが見抜いていたら嬉しいだろう。つまり誰にでも褒めるべきところがあると思えば、それを探しだそうとする好奇心が湧き上がるというものだ。
反対に探しても捜しても一向に褒めポイントが見つからない迷宮のラビリンスのような人がいる。これは相当に厄介だが、ただ単に私自身がその人の「良さ」を見抜けない未熟者の可能性も否めない。
褒めるべきところを褒めるには、その人の内と外の二面にコンタクトしたい。内面と外見である。私(個)と公(社会性)と表すこともできるが、一般的には外見(公)を褒める傾向が強い。理由は簡単で、分かり易いからだ。
外見を褒めるのは至極自然だ。なぜなら、その人にとって、その人以外のすべては他者であるからで他者と関わることがすなわち社会であるからだ。だから、人を褒める時、外見からの情報を汲まなく収集し、会話のキャッチボールの中でその印象を伝える。好意を抱こうが抱かまいが印象を伝える。それが結果的に褒めるという結果になるか、ならないのか、という観点になる。
だが問題はここから分岐する。褒め方が凡庸であれば、相手は大して嬉しくないものだ。これは基礎編にも書いたが、「褒められ慣れ」は、ある種の褒められ不感症状態だから、美しい人に美しいですね!と言ったところで、平民の戯言扱いを受ける。これは気をつけねばならないことだが、真夏に「しかし暑いですね〜」や、真冬に「夜は一段と冷え込むそうですよ」などと言ってしまう貧乏コメントと同じレベルなのだ。
だが、暑いものを暑い、寒いものを寒い、更には、美味いものをおいしい、美しいものを美しいと言って何が悪いのだ、というのも正論である。
これによってあの現代用語が誕生したのだと、私は推論するが非常に都合が良く使い勝手のよい言語が産まれた。
それが、「良い意味で」の誕生だ。
私はあまり使わないが、この言葉は使い勝手のよいズルイ言葉だ。
凡庸に、美しい人に綺麗ですね!という貧乏コメントを伝えると見事にスルーされる。それが解っているから、敢えて辛辣な表現で相手に揺さぶりをかけることが可能だ。
「あなたの顔を3日も見ているときっと飽きてしまうのでしょうね、良い意味で。」
などと同じ意味合いなのに、どこかエッジの効いたコメントになったりする。これは、相手がユーモアのないアホか自己顕示欲が強い人であれば、逆効果の結果を産むが、私はこれくらいの言葉の冒険は常にするべきだと思っている。
相手に興味を抱いていただく為には、凡庸ではいけないのだ。聞いたことのない表現、言われたことのない褒め言葉は、相手の脳に深く刻まれるのだと確信している。
もう18年くらい前になるだろうか?私がまだまだ中目黒で商売が不安定だった頃、こんなことがあった。
その女性はファーストゲストで早い時間に1人で来店した。歳は私の一つ上で本格的な王道美人だ。当時の私が30歳だから彼女は31歳、女盛りのド真ん中である。中目黒のある店に面接に来たらしく、私の店には以前年配の男性客に連れてこられた記憶を辿って来てくれたようだった。一杯出すと、静かに会話が始まった。彼女の緊張をなるべく早く解してあげたい。私は、彼女を観察した。目は大きくクッキリとした二重で、鼻は理想的な高さを構築しており、唇はしっかりとした肉付きのよいバランスを保っていた。なにより、透き通るようなキメの細やかな白い肌が印象的で、私は思わず「美しいですね」と、口から洩れそうになったが、寸でのところでそれを堪えた。マヌケのコメントは、相手を深く失望させる。私は更に彼女を観察し、誰も褒めたことのない未開の地の探求を続けた。そうしながらも会話をしていると、私の話が彼女をクリーンヒットした。彼女はにこやかに微笑み、初めて並びのよい白い歯を見せてくれた。私は、これか?と、一瞬コメントを考えた。
「肌もさることながら、歯の白さが際立ち過ぎて眩しいくらいです」
うーむ、いまいち、凡庸である。私はすぐさまそれを引き出しにしまい次の褒め言葉を探した。
「吸い込まれそうな目をされてますね?」
「女優かモデルをされてますよね?」
「今までに何人の男に口説かれましたか?」
なんとも自分の表現の拙さに辟易する。美しいものを前にすると人は誰もが下僕の悦びを知るものだ。とはいえ、私は若輩とはいえマスターとしてカウンターに立っている。店の代表がこんなことでどうする。私は探し続けた。彼女は既に3杯目を飲んでくれていた。杯数からすると、まんざら退屈と言うわけではないのだろうと安堵したが、決定的な爪痕を残してはいない自覚があった。
時間は刻一刻と過ぎていき、とうとうその時がやってきた。お会計だ。彼女は「楽しかったです、面接が受かればまた報告に来ますね」と、屈託のない白い歯を見せて笑った。
私の心中は複雑だった。もしも、その面接に落ちてしまった場合、彼女の来店はないかもしれないからだ。しかも私は、まだ彼女を一度も褒めていなかった。私は気持ちお会計をゆっくりとして時間を稼いだ。褒めるとするならば、彼女の白い歯だ!だが、なぜこんなにも清潔感があるのだ。なんなのだ、この透明感は。
「!」
私は彼女の白い歯の秘密に気付いた。これだったのか。それは、歯茎だった。笑顔が溢れる中に白い歯が輝き、その歯を支える歯茎。その歯茎があまりにも透明度の高い桜色をしていたのだ。今まで見てきた歯茎の中で最上の歯茎だ。歯科で歯茎のサンプルがあったとしても、この美しすぎる歯茎は不自然だろうから、いくらか赤みを足しているだろう。それほどのスーパー歯茎が、実際以上に彼女の歯を白く輝かせていたのだ。彼女の秘密に肉迫した実感が、あるいは手応えがようやく手にした。
彼女に釣銭を渡しながら、私は意を決した。
「あの、一ついいですか?」
彼女は私に耳を傾けてくれた。
「あなたのクッキリとした二重の大きい瞳も素敵ですし、その鼻も整形していないという奇跡のバランス。唇も極めて魅力的で、笑みを浮かべた時の白い歯がたまらないですがね、初めてお話をさせていただいたあなたにこんなことをいうのは本当に失礼だとは思うのですが、お伝えしてもよろしいでしょうか?」
枕が長くなった感が否めないが、私は彼女にくれぐれも誤解がないようにと低姿勢に説明した。彼女は、私の言葉を笑顔で待ってくれた。
「あなたの歯茎なんです」
彼女は面食らった表情で「えっ!」と言って私を見た。
「あなたのような美しい歯茎の持ち主は見たことがありません、まさに生まれて初めてのことです。大変に失礼かと思いますが、キスをしてくださいとは言いませんが、どうかその歯茎を舐めさせていただけませんか?」
今のご時世では100%NGのセクハラトークだ。
だが、彼女は笑って言った。
「私も歯茎を褒められたのは生まれて初めてです、また来ますね」
そう言って彼女は店を後にした。
あれから18年の歳月が経つが、時折あの頃の話を懐かしみながらする彼女の白い歯と桜色の歯茎は、今も健在である。





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