b flat minor

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ラフマニノフの演奏会プログラム その3 Rachmaninoff Concert Programs 3

 ラフマニノフの演奏プログラムには技術的に難度の高い作品が多く並び、大会場に向かない静かで落ち着いた曲は極力避けているようにもみえる。ソナタや組曲から抜粋して弾くことも厭わないその自由な姿勢は(曲集内の順序を入れ替えることもある)、全曲演奏、全集録音が当たり前のようになっている現代の目に新鮮に映るかもしれない。冒頭にバッハ(編曲ものも含む)を置き、次にベートーヴェンのソナタ、ショパン作品群で前半を終え、後半は2,3の自作を含む後期ロマン派から現代ものを経てリストで締めくくる、

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    • ラフマニノフの演奏会プログラム その2 Rachmaninoff Concert Programs 2

       1918年12月18日、ロードアイランド州プロヴィデンスの舞台に立ったのを皮切りに、その後25年に及ぶラフマニノフの演奏活動が本格的にスタートした。10月に始まり翌年の3月か4月まで続く毎シーズン、彼は大体50~70回のコンサートをこなしている。最も多いのは1922-23年シーズンの71回で、この時に彼のピアニストとしてのトレードマークともいうべき2つの作品―ベートーヴェンの「熱情ソナタ」とショパンの「葬送ソナタ」がレパートリーに加えられた。20年代後半からは定期的にヨーロ

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      • ラフマニノフの演奏会プログラム その1 Rachmaninoff Concert Programs 1

         今年はセルゲイ・ラフマニノフの生誕150年、没後80年の記念年である。作曲家・ピアニストとしての彼に魅せられて数十年、特に後者への思い入れは強く、彼が弾いた曲、そのプログラム構成をとにかく知りたいという思いで、書物やネット上に公開されている情報を片っ端から集めてきた。それでも彼が生涯開いたコンサートのほんの一部にしか満たないのだが、これを機に無造作に保存されたままのプログラム画像等を年代順に整理してみることにした。よって、ここにあるものは実際に自分が現物を見て確認できたもの

        • 座興 3

          酒が入るとつい議論になってしまう。 「君は相変わらず古いものばかり聴いているようだね。なぜ同時代の人々にもっと目を向けないのかね?」 「僕の好きな演奏家がたまたま昔の人ばかりだった、それだけです。」 「しかし同じ時代を生きる優れたピアニストたちを生で聴く、これは今を生きる我々にしかできないことだよ。君はみすみす宝を逃すことになるかもしれんのだぞ。君は人にももっと昔の演奏家を聴くよう勧めているらしいが、君みたいな人間ばかりになったら、君の愛する音楽を奏でる現役演奏家の活動

        ラフマニノフの演奏会プログラム その3 Rachmaninoff Co…

          座興 2

          今をときめく若手ピアニストのリサイタルに半ば強引に連れて行かれた彼は、その帰路、私を酒場に呼び出すと、席につくなり、憔悴しきった様子で、心の内を、吐露し始めた(彼はまだ何も飲んでいなかった)。 「約二時間、退屈さに押しつぶされながら座っている身にもなってくれ。今日聴いた曲は今まで幾度となく親しんだ作品ばかりだったけれど、新しい発見なんてひとつもありゃしなかった。すでに知っている作品の内容を延々と繰り返されただけ。平坦で、何の感情の起伏もない演奏に対して、拍手喝采が送られてい

          アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリを聴く

           ミケランジェリはある時、尊敬するピアニストは誰かと問われ、ラフマニノフとホフマンの名を挙げたといいます。ホフマンのスタジオ録音にみられる楽譜への驚異的な正確さ、ラフマニノフの作品解釈における揺るぎない構成力は、たしかに彼の演奏にも通づるものがあるでしょう。20世紀前半のピアニスト黄金時代にあって、楽譜への従順を示したこの偉大な2人の巨人の音楽観に、ミケランジェリが深く共鳴を覚えたということは想像に難くありません。ただ、ミケランジェリの完璧主義は、主観性を徹底的に排した現代の

          アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリを聴く

          エミール・ギレリスを聴く

           ギレリスもまた、ロシア・ピアニズムの模範ともいうべき芯のある温かい音色をもった演奏家です。あらゆる難曲をものともしない華麗で勇壮な演奏スタイルは、「鋼鉄のピアニスト」という異名の由縁となったかもしれませんが、音そのものにそのような固さを感じさせる要素は含まれません。また彼はいつでも作品そのものに奉仕する真摯な姿勢を崩しません。その才能と素晴らしい演奏技術は、常に作品をより良く響かせるため、作曲家が意図した演奏効果のために最大限利用されるのであって、自身を見せびらかすための手

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          アルトゥール・ルービンシュタインを聴く

           ルービンシュタインの最大の魅力は、なんといってもライブで発揮される素晴らしい自発性にあると思います。スタジオ録音はより技巧的に手堅くまとめられ、かつ感情面を若干抑えた感じがするのに対し、ステージ上の彼の演奏には一期一会の魅力、音楽がその場で生まれ、会場の雰囲気によって様々に変化する妙があります。その時聴き手は、彼の情感の揺れ動きを共に体験しているような感覚になるのです。こういった特色はほかの多くの演奏家についてもいえるでしょうが、ルービンシュタインのものは格別で、音楽をする

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          ウラディーミル・ホロヴィッツを聴く

           「ホロヴィッツの演奏を聴くまで、私はピアノの可能性を知らなかった」というラフマニノフの言葉は、私に限らず多くの人々にとっても、強い共感を覚える言葉なのではないでしょうか。彼の演奏を聴く前とその後では、ピアノ演奏に対する認識、その世界の幅がまるで違ったものとなるはずです。なぜなら我々は、不可能だと考えていた、或いは想像だにしなかったピアノ演奏というものを、ホロヴィッツによってまざまざと見せつけられることで、雷に打たれたような衝撃を受けるからです。生まれて初めて耳にする音響世界

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          ウラディーミル・ソフロニツキーを聴く

           後年のソフロニツキーが、スクリャービン博物館などの小さな会場で演奏することを好んだとしても、彼のピアノ演奏には、内輪の寛いだ雰囲気を感じさせるようなところは全くありません。ゲンリヒ・ネイガウスの「彼の演奏には何か普通でない、ほとんど超自然的、神秘的で説明不能な、強く惹きつけられるものがある」という言葉は、決して状態の良いものばかりとは言い難い、彼の膨大な録音の数々を聴いても頷けます。彼の出す音には、聴く者の心臓を突き刺すような痛切な響きがあります。聴いている間、常に何か張り

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          ベンノ・モイセイヴィッチを聴く

           モイセイヴィッチもまたフリードマンと同様に、その偉大な業績に比して、不当に無視されている大ピアニストのひとりです。彼もまたピアノの名人であることに変わりはありませんが、フリードマンがもつ、ある種の泥臭さのようなものは微塵も感じさせず、演奏スタイル、テクニックの両面で、素晴らしく洗練された印象を与える演奏家です。「貴族的なピアニスト」という言葉がぴったり当てはまる人といえるでしょうか。再創造芸術家である彼は当然、躊躇することなく楽譜を改変し(もちろん節度を保って)、眩いばかり

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          イグナツ・フリードマンを聴く

           フリードマンほど「名人」という言葉が似合うピアニストもいないでしょう。彼の弾くものすべてに表れる独特のアゴーギク、デュナーミクの大きな幅は、まさに演奏効果を知り尽くした熟練の成せる技であり、たとえ聴き慣れないものであったとしても、完全に堂に入った演奏として、聴き手を納得させる説得力があります。初めは奇抜だと感じても、聴けば聴くほど、その独特の節回し、明確なコントラストに彩られた演奏に、魅了されていくのです。 音源① ショパン「ポロネーズ 変イ長調 作品53」1927録音

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          アルフレッド・コルトーを聴く

          音源① サン=サーンス「ワルツ形式のエチュード」1919年録音 音源② リスト「ハンガリー狂詩曲第11番 イ短調」1926年録音  冒頭からいきなりこの2つの録音を挙げた理由は、現代まで根強く残っている、「コルトーは技巧面で弱い」という誤った認識を払拭するためであります。この偉大なフランスの大家について書く時、一種の決まり文句のような形で、彼のテクニック上の欠陥を指摘せずには済まされぬという風潮が、未だに多くみられるのは、なんとも残念というほかありません。録音に聴かれる彼

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          ヨーゼフ・ホフマンを聴く

           ハロルド・ショーンバーグの名著「偉大なピアニストたち」によると、セルゲイ・ラフマニノフとヨーゼフ・ホフマンの二人は、楽譜の指示よりも演奏者本人の主張を色濃く反映した主観的ロマンティシズム全盛、19世紀後半から20世紀前半にかけてのピアノ演奏界において、後に主流となる、主情を排し楽譜に書かれていることを正確に再現する客観的姿勢を示したことで、「黄金期のモダニスト」ともいうべき、その時代に際立った地位を確立したといいます。このことは、実際に二人の遺した録音と、同時代のほかの大ピ

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          ピアニスト・ラフマニノフを聴く Part2

           ここまでは、彼の演奏録音から小品を選んで思うところを述べてきましたが、そろそろ大曲の演奏も取り上げていきたいと思います。ピアニストとしての恵まれた身体的特徴と、その演奏の様々な特色を鑑みても、ラフマニノフが大規模作品の演奏により秀でていたということは、大方予想のつくところではないでしょうか。レコードの収録時間の制限上、当時のピアニストたちが、主に片面4分半に収まる小品の録音をレコード会社から求められたというのは、事実のようです。生涯を通じてレコード録音に懐疑的だったヨーゼフ

          ピアニスト・ラフマニノフを聴く Part2

          ピアニスト・ラフマニノフを聴く Part1

           ―ある速記録より―  没後80年を目前に、セルゲイ・ラフマニノフがチャイコフスキーと並ぶロシア・ロマン派の偉大な作曲家であるという評価は、ほぼ定まったような感があります。学生時代の習作から死後出版された遺作、未完の断片も含め、彼のほぼすべての作品をCDで聴くことが容易にできますし、楽譜も手に入りやすくなりました。殊にそのピアノ作品は、あらゆるピアニストたちにとって欠くことのできない、重要なレパートリーとなっています。今では第1、第4のピアノ協奏曲ですら、コンサートのプログ

          ピアニスト・ラフマニノフを聴く Part1