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アルトゥール・ルービンシュタインを聴く

 ルービンシュタインの最大の魅力は、なんといってもライブで発揮される素晴らしい自発性にあると思います。スタジオ録音はより技巧的に手堅くまとめられ、かつ感情面を若干抑えた感じがするのに対し、ステージ上の彼の演奏には一期一会の魅力、音楽がその場で生まれ、会場の雰囲気によって様々に変化する妙があります。その時聴き手は、彼の情感の揺れ動きを共に体験しているような感覚になるのです。こういった特色はほかの多くの演奏家についてもいえるでしょうが、ルービンシュタインのものは格別で、音楽をする喜びの共有、祭典の雰囲気があり、ホロヴィッツがものすごい緊張感で聴衆を縛り付ける、或いは色彩豊かな音色で陶酔させるのとは大きく趣を異にするように思われます。この聴衆との一体感、奔放さこそ、ルービンシュタインをほかの巨匠たちと隔絶せしめる最大の個性であり、音の正確さ以上の何物にも代え難い魅力となっているのです。
 1961年の伝説的なカーネギー・ホール10回連続公演は、そのような彼の魅力を存分に味わうことのできる、世紀の巨匠の至芸といえるでしょう。彼がこれまで幾度となく演奏してきた最愛のレパートリーに対する慈しみ、その美しさを聴衆と共有できることへの喜びにあふれています。音のミスなど全くどうでもいいことだと言わざるを得ません。彼の美しく伸びやかな音、病的な神経質さを排したどこまでも大らかなスタイルが聴き取れます。これこそが細工のないピアノ本来の響きだと感じさせてくれるのです。彼の演奏には、例えば羽毛のような軽やかさ、触れたら壊れてしまいそうな繊細さなどはあまり感じられませんが、その代わりすべての音がしっかりと地に根を下ろしているといった感覚があります。小品にも重量感と風格が備わるのです。彼のレパートリーは幅広いものですが、その雄大なピアニズムにふさわしい楽曲、ショパンのソナタ、ポロネーズ、スケルツォ、ブラームスの協奏曲、アルベニスなどを弾かせたら、右に出る者はいないのではないかと思うほど、堂に入った演奏を聴かせてくれるのです。彼の演奏からは甘い感傷は取り去られています。感情表現は豊かですが、いたってシンプルであり、複雑に入り組むようなところはありません。作品の本質的な性格に常に従順であり、喜劇的ならその通りに弾き、その逆も然りです。皮肉が混じるようなことはほとんどなく、そのストレートな表現法が、演奏に健康的なイメージを与えることとなるのでしょう。彼の演奏スタイルは作品の性格を正しく伝えると同時に、構造も明確に提示します。率直な表現によって音楽の段落がはっきりするのです。作品そのものを理解し易くもある彼の数々の演奏録音が、今もって若者も含む多くの人々に愛されていることは、至極当然であるといえるでしょう。
 61年カーネギー・ライブの模様はすべて録音されましたが、最近公開された未発表音源も含め、未だその一部しか聴くことができません。全編公開を望むばかりですが、これらはルービンシュタインの最盛期ともいえる時期の演奏とあって、前述した彼のピアニズムを余すところなく伝えています。

音源① 1961年 カーネギー・ホール・ライブより

 

 偉大な芸術家の表現の幅というものが如何に広いものであるか、この演奏と1964年のモスクワ・ライブとを聴き比べるとよくわかるでしょう。モスクワでの彼の演奏には何か張り詰めた、鬼気迫るような雰囲気があります。それこそ聴衆を縛り付ける緊張感と、胸を突き刺す痛切さをも漂わせているのです。彼の録音中例外的ともいえるこの壮絶な演奏はしかし、彼のもっとも感動的で素晴らしい演奏のひとつでもあるのです。また録音されたショパン演奏史上、最高のひとつであるともいえるでしょう。ここでのルービンシュタインのショパン演奏からは、ソフロニツキーにも少し似た悲壮感、抵抗精神の表れを聴き取ることができます。通常の彼のショパン演奏にある健康的逞しさ以上に悲哀の色が濃いのです。同じ曲を彼のスタジオ録音のどれかと聴き比べてみるのもいいでしょう。同作品がまるで違った顔で浮かび上がるはずです。またこの映像では、CDで修正されていた「葬送ソナタ」第2楽章での暗譜の欠落部分がそのまま記録されています。彼は2度繰り返したにもかかわらず、その先を思い出すことができませんでしたが、その際に即興的に弾かれた、次のトリオへと続く経過句の、なんと見事で鮮やかな処理でしょうか。動揺とためらいは束の間、それに飲み込まれることなくすぐに軌道修正し、いとも自然にトリオへと入っていきます。その手際の良さ、精神力の強さから、ピアノ学習者は多くを学ぶことができるはずです。偉大な名人が誰にでも起こりうる偶発的な事故に如何に対処したか。芸術的な価値はここにあるのです。どのようなミスを犯したのかを聴くのではありません。CDに施された修正はまったく無駄なこと、必要のないことであったと言わざるを得ないでしょう。我々は、舞台演奏の達人による世紀の名演を、このように映像で観られることに感謝するよりほかありません。

音源② 1964年 モスクワ・ライブ


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