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ウラディーミル・ソフロニツキーを聴く

 後年のソフロニツキーが、スクリャービン博物館などの小さな会場で演奏することを好んだとしても、彼のピアノ演奏には、内輪の寛いだ雰囲気を感じさせるようなところは全くありません。ゲンリヒ・ネイガウスの「彼の演奏には何か普通でない、ほとんど超自然的、神秘的で説明不能な、強く惹きつけられるものがある」という言葉は、決して状態の良いものばかりとは言い難い、彼の膨大な録音の数々を聴いても頷けます。彼の出す音には、聴く者の心臓を突き刺すような痛切な響きがあります。聴いている間、常に何か張り詰めたような雰囲気に包まれ、リラックスした状態でいることはほとんど不可能です。「悲劇的ピアニズム」という言い方がふさわしいかわかりませんが、どうしてもそう呼びたくなってしまいます。ある意味緊張を強いるとも言えますが、そこには抗し難い、この世のものならざる魔的な魅力があり、聴き手は為す術もなく彼の創造する音響世界に引きずり込まれていくのです。

音源① シューマン「ロマンス 変ロ短調 作品28の1」

 前述の特徴故か、ここでの演奏は、非常に情熱的でありながらも、ある種の「氷のような冷たさ」を感じさせます(もちろんこれは欠点などではなく、単なる演奏上の特色のひとつです)。我々が感じる生々しい感情とはやはりどこか異なる、「普通でない」、「神秘的な」雰囲気があり、青白い炎が妖しく揺らめくのを見るかのようです。鋭角的な音とスタイルは、神経に直に触れるような感覚を呼び起こします。一音一音を、命を削りながら奏でているような痛切さを感じずにはいられません。生死を懸けたような緊迫感があるのです。このような演奏を寛ぎながら聴くことなど不可能です。

音源② ショパン「ポロネーズ 嬰ハ短調 作品26の1」1960年録音

 ソフロニツキーがスクリャービンと並び生涯愛し続けた作曲家は、ショパンでした。彼のショパン演奏には、夢想的なコルトー、土着のフリードマン、感傷を取り払ったルービンシュタインなどとは違う味わいがあります。悲壮的な闘争心は、ホロヴィッツのもの(特に50年代までの)と似ていなくもないですが、ソフロニツキーの演奏には、彼のヴィルトゥオーゾ的誇張や極端なコントラストはありません。ソフロニツキーは、亡命の身のショパンが作品に込めたであろう悲痛な叫びと、それに怯まぬ抵抗精神を浮き彫りにします。サロンの感傷を取り除いた男性的なショパン像は、20世紀以降の主流となっていますが、彼のショパン演奏ほど、それと同時に悲壮な面を強く聴き手に感じさせるものは、中々ないのです。

音源③ ショパン「3つのワルツ」1960年録音

 甘く親密な雰囲気は削ぎ落されています。しかしそれは、この演奏に美しい音色やフレージング、魅力的なルバートが欠けており、凝り固まった学術的演奏であるという意味ではありません。当然彼は素晴らしいアーティキュレーションを用いてこれらを演奏しているのですが、先ほど述べた悲壮なピアニズムをもつ根本的な性質が、肌触りの良さや和やかさといった範疇に収まるのを拒否しているように感じられるのです。

音源④ ショパン「スケルツォ ロ短調 作品20」

 ソフロニツキーの即興性、聴衆を巻き込む強大な磁力は、多くのライヴ録音からも窺えます。聴いているこちら側も手に汗握るような、真に迫るものがあります。この演奏は、曲の性格と彼のピアニズムの特徴とがぴったりと一致した名演です。緩急の「緩」、強弱の「弱」の用法はまったく素晴らしく、その演奏効果は絶大です。コーダでの巨大なピアニズムには圧倒されます。

音源⑤ シューベルト=リスト「水車屋と小川」1946年録音

 ソフロニツキーのもつ、心臓に突き刺さるようなピアニズムは、演奏全体に悲劇性と強い緊張感を与えることとなりますが、真似のできない「超自然的」なスタイルは、聴く者を催眠にかけるような効果をももたらします。ロシア・ピアニズム特有の、太く芯のある音で歌われる旋律、後半の、水面の光を想起させるアルペジオの音響効果は聴き手を陶酔させます。不思議なことに、これを聴いている間は、縦のリズムの感覚を忘れてしまうのです。

音源⑥ リスト「ペトラルカのソネット第123番」1952年録音

 ベートーヴェンの作品111の終楽章に通づる静謐さがあります。ハ長調へ転調するところで、一筋の光が差し込むのが感じられます。ここでの彼のピアニズムは、いつもの悲劇性よりも、ひたすら神秘的な陶酔の魅力を放つことで一貫しています。たしかにここにも「普通でない」雰囲気がありますが、それは妖しいもの、青白い炎ではなく、人為を超えた「超自然的」なもの、天国的なものなのです。

音源⑦ スクリャービン「幻想曲 ロ短調 作品28」1959年録音

 楽器の底から鳴り響く真に巨大なピアニズム。第2主題の凛としたフレージング。後年のスクリャービンが自作に求めた眩いばかりの光が感じられます。それも、かなり鋭い光です。

音源⑧ スクリャービン「ポロネーズ 変ロ短調 作品21」

 ここでも彼の演奏のもっとも大きな特色といえる悲壮感、強く心に突き刺さる音色が遺憾なく発揮されています。しかしテーマは非常に伸び伸びと歌われ、決してリズムの上での、打楽器的なキツさでないことは確かです。

音源⑨ スクリャービン「ソナタ第2番 作品19より第1楽章」1960年録音 

 ソフロニツキーは非常に細かくフレーズを伸縮させます。それが聴き手に陶酔させる効果と即興的な印象を与えるのですが、彼自身は「私は次にくる音のことを常に考えながら演奏している」と語ったといいます。彼のルバートは、大胆で急激な変化としてではなく、微細なフレージングの調整のうえに成り立っているのかもしれません。表現の上でも、深い陰影が施されています。明暗のコントラストは絶妙です。
音源⑩ スクリャービン「ワルツ 変イ長調 作品38」

 音の一つ一つはロシア・ピアニズムらしい芯のある太いものですが、リズム、テンポにおいては非常に流動的で、メトロノーム的な凝り固まった演奏とは全く異なります。確かなものとそうでないものとの魅惑的な調和がここにはあるのです。確実性を保つべきものと、自由が許されるものとが、確かな審美眼によって識別され、見事な塩梅で同居しているのを聴くことができます。彼には確かに、演奏の際のインスピレーションに動かされる部分もあったと思いますが、「常に次の音を考えている」という彼自身の言葉もまた、真実であると言えるのではないでしょうか。彼の中にあるこの2つの態度の微妙なバランスが、唯一無二の個性となって演奏に表れているのです。

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