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イグナツ・フリードマンを聴く

 フリードマンほど「名人」という言葉が似合うピアニストもいないでしょう。彼の弾くものすべてに表れる独特のアゴーギク、デュナーミクの大きな幅は、まさに演奏効果を知り尽くした熟練の成せる技であり、たとえ聴き慣れないものであったとしても、完全に堂に入った演奏として、聴き手を納得させる説得力があります。初めは奇抜だと感じても、聴けば聴くほど、その独特の節回し、明確なコントラストに彩られた演奏に、魅了されていくのです。

音源① ショパン「ポロネーズ 変イ長調 作品53」1927録音

 彼の演奏では常に強弱、緩急が、例えば楽譜を一度も見たことがない人でも、聴けばそれを言い当てることができるほど、明確に色分けされます。最弱音と最強音はそれぞれ強調されるため、その間の振れ幅は非常に大きく、強烈な印象を聴き手に与えます。時にその二つを隣り合わせに置き、急激なコントラストを生み出すこともします。緩急も同じく、速めるところは若干速めにとり、その逆もまた然りです。上行音型はアッチェランドされ、下行時に落ち着きます。テンポを速めた後には必ずそれを緩める箇所があり、常に細かい緩急の調整が行われていることがわかります。長い音価の音にはたっぷりとした時間をかけ、短い音は通常よりも素早く弾かれます。この曲でも、符点八分音符の後ろの十六分音符は、三十二分音符のように弾かれるのです。フレーズの区切りは、始めの強拍とその終着点などに、アクセントと長めの間を置くことで明確になります。彼の演奏は、まさに最初から最後まで無数にちりばめられたコントラストの芸術なのです。そしてそれは楽譜に記された記号、それぞれのフレーズの持つ性格などを強調した結果起こったことであり、非常な説得力をもちます。彼はフレージングのツボを、誰よりも心得ていた演奏家のひとりであり、紙に書かれた音符の連なりに命を吹き込むことができた真のピアノの名人なのです。

音源② ショパン「エチュード集より5曲」1924・26・28年録音

 「黒鍵」での提示部、中間部、再現、コーダの各セクションの開始は、テンポや強弱の変化ではっきりと認識できるものとなっています。特にコーダの冒頭と、最後の下行音型の前に置かれた一瞬の流れの停滞は、なんと美しいのでしょう。この結尾の部分には、ショパンが楽譜に書かなかった、この世のものとは思えない響きのグリッサンドが登場しますが、これもまた、演奏者の自己顕示というよりも、原典の控えめな単音下行による煌びやかな音響効果を、より一層強調するためのものに過ぎないのです。しかし、そこにはなんという眩いばかりの演奏効果があることでしょう。このような素晴らしい効果を可能とするフリードマンには、当然最高級の演奏テクニックが備わっていたということは、言うまでもありません。作品10の7における右手の重音パッセージの連続の、なんという瑞々しさと軽やかさでしょう。「革命のエチュード」は同曲最高の名演のひとつです。左手の走句は、一音一音が粒立ったものとしてではなく、一つの大きな音の波として捉えられ、猛烈な勢いでもって一息に弾かれます。その劇的効果には凄まじいものがあります。ダイナミクスの増減も驚異的です。

音源③ ショパン「ソナタ 変ロ短調 作品35より第3・第4楽章」1927年録音 

 葬送行進曲では適時バスの追加が行われていますが、その鐘のような音響効果は見事です。比較的あっさりと弾かれるトリオとの好対照をみせます。ここでの彼は、劇的効果をあまり前面に押し出すことなく感情面を抑制し、何か神秘的な雰囲気すら感じさせるのです。フィナーレでは、フレーズの始まりや区切りとなる音を引き延ばし、その一瞬の流れの停滞が猛烈なプレストの勢い、推進力をより強調します。彼がかけるわずかなアッチェランドから、音が迸り出る感覚が生まれます。圧倒的な音響コントロールです。

音源④ ショパン「ワルツ 変イ長調 作品69の1」1929年録音

 彼の抒情性もまた見逃すことはできません。触れたら壊れてしまいそうな繊細さの極み。拍節から解放されたような感覚、夢の中にいるような浮遊感があります。遠くで鳴っているようなバスの追加が、郷愁を誘う効果を演出し、すすり泣くような右手の繊細なフレージング、半音階や重音アルペジオによる装飾音のハッとするような演奏効果、強弱の信じられないようなコントラストが、この世のものとは思えない音響世界を作り上げているのです。ピアニッシモの美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。ショパン作品すべてに貫かれている「郷愁」「追憶」の感覚が、ここにはあります。

音源⑤ ショパン「夜想曲 変ホ長調 作品55の2」1936年録音

 フリードマンの、いや、録音されたあらゆる世代のすべてのピアノ演奏の中で、最も美しいもののひとつです。ピアノという楽器の底から、豊潤な歌が立ち昇ってきます。人の手を介していること、人の指で操作されていることが信じられないほど、それは自然発生的且つ、ファンタスティックなのです。ピアノが呼吸をし、その息遣いが聞こえてくるようです。旋律は沈黙の中から湧き上がり、ほかの声部と絡み合いながら、次第に響きの中へと溶けて消えていくのです。各声部間の、響きのバランスに不自然なところは微塵もありません。また、彼特有のアゴーギクも、まったくこの曲が求めるものと合致しており、マズルカなどを聴いて奇抜だと感じる人でも、この演奏の完璧なバランスには異議を唱えることはできないのではないでしょうか。それほどこの録音は、演奏芸術における、ひとつの美の極致といっても過言ではないのです。

音源⑥ ショパン「マズルカ 変ロ長調 作品7の1」1928年録音

 彼のショパン演奏の代名詞ともいえるマズルカに触れないわけにはいかないでしょう。一拍目の強拍は、自由に舞い上がる右手のフレーズの基点となります。テーマはそこから飛び立ち、再びそこへ舞い戻ってくるのです。このリズムの基点があるため、一見自由自在に思える彼のアゴーギクは、まとまりのないものとはならないのです。それにしても、旋律の頂点B音におけるトリルのはじけるような生き生きとした感覚は、実に素晴らしいです。これを強調するため、前のG―Aの符点のリズムは八分音符二つに変えられています。また2拍目と3拍目の間にわずかな間があることで、前向きな勢いが加わり、リズムの単調さは避けられています。

音源⑦ ルビンシテイン「ロマンス 変ホ長調 作品44の1」1928年録音 

 フリードマンは、芯のある太く温かな音色で旋律を歌わせることもできました。黄金時代の巨匠たちは皆、音の美しさに何よりも重きを置いていたというのは本当です。また、このような抒情的な楽曲でも、コントラストの強調、リズム感覚の鋭敏さは健在で、のっぺりとした一本調子とは一線を画す、自発性にあふれた演奏となっています。

音源⑧ ドヴォルザーク「ユモレスク 変ト長調 作品101の7」1936年録音 

 この曲の符点のリズムがこれほど生き生きと感じられる演奏は、聴いたことがありません。音が楽器を離れて浮かび上がり、空間そのものが膨らんでいくかのようです。中間部に垣間見える厳しさが、主部との見事なコントラストを形作ります。弱音のなんという美しさでしょう。ペダルによる夢想的な雰囲気の演出。現代人は、過去の巨匠たちがこのような通俗名曲のように考えられている小品を、いかに多くの創意工夫を凝らして新鮮で魅力的なものへと生まれ変わらせているかを知り、その技術を学ばなければなりません。

音源⑨ シューベルト=リスト「きけ、きけ、ひばり」1928年録音

 響きのマジックです。このような豊かな色彩を楽器から引き出す演奏家は、果たして今何人いるのでしょうか。歌手の声と様々な楽器の音色が聞こえてきます。聴いているうちに、体が浮遊するような感覚に襲われます。
 フリードマンの演奏は誰にも似ず、誰にも真似のできないものです。彼は確かに、唯一無二の個性を演奏に投射することができた、20世紀の大演奏家の一人でした。コルトーやパデレフスキ、ホフマンなどに比べて、彼の知名度がいまいち低いままであるのは、なんとも残念なことです。彼の演奏は、その偉大な同僚たちと同様、現代では失われた、自発性にあふれる再創造芸術です。すでによく知っているショパンの名曲を初めて聴くような感覚が、きっと味わえることでしょう。
 フリードマンは作曲家としても優れた作品を遺しました。編曲も含めた数少ない自作自演録音は、まさに彼の即興的な音の戯れ、魔法のような音響効果、独特のリズム感覚、色とりどりのコントラストに満ちた奇跡の名演奏です。それらはすべて、彼の他の録音同様聴くに値します。私はいつも、これらの魅力的なピアノ曲を、現代のピアニストたちがレパートリーとすることを願っているのですが、彼の録音を聴くと、作者以上にこれらを魅力的に演奏することなど不可能なのではないか、と思ってしまうこともまた事実です。

音源⑩ フリードマン「彼女は踊る」1926・27年録音

音源⑪ フリードマン「侯爵と侯爵夫人」1927年録音

音源⑫ フリードマン「音楽箱」1927年録音

音源⑬ フリードマン「ウィーン舞曲より第1・第2・第6曲」1925・33年録音


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