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不水溶性な日常

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少しのこと、たくさんのこと、いっぱい考えたこと…についてのエッセイ。 あんなことやこんなことを誰かと共有できたらいいなと思っています。
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2020年8月の記事一覧

毒気とロマンティシズム (自己紹介に代えて)

毒気とロマンティシズム (自己紹介に代えて)

それはコロナ真っ只中の春の日の昼下がり、ソファに寝転がって眠るわけでもなくぼんやり外を見ていた時だった。ニュースから流れる醜悪なセリフとは裏腹に空は爽やかに晴れていた。

「何かしよう...」
「そうだ何か書こう」
昔から書くことでモヤモヤした何かを払拭してきた経験がある。
書くことにした。

自己紹介するほど特別なキャリアも地位も何もない。
お知らせできるのは大阪のど真ん中で夫と一匹の猫との暮ら

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ソーダ水の中にある記憶装置

ソーダ水の中にある記憶装置

一生の楽しきころのソーダ水

富安風生のこの句が私はとても好きだ。若い頃の迸るような夏をこの一行で表している。

ソーダ水は1年中飲んでいるが、夏に飲むソーダ水はなんとなくノスタルジックな気持ちになる。きっとそこの句を知っているからだろう。時々、声に出して唱えてみると一瞬だけでもあの頃に戻れるかもしれない...などと十数年前までは思っていたが、さすがにもう諦めた。そんな少女が書くポエムのようなこと

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必要なのは変革ではなく微調整

必要なのは変革ではなく微調整

この世の中、人間も動物も弱肉強食で弱い者は生き残れないと思われがちだが、なんかそうでもなさそうだ。天声人語のバックナンバーを読んでいたら2019年11月24日の記事にとても興味深いことが書いてあった。その記事はネアンデルタール人のことについて触れられていた。

ネアンデルタール人はどうして絶滅したのか。専門家の間では諸説あるというが、筆者には不思議出会い方がない。強いものが弱者を力で倒すこの世界で

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ある平凡な男にまつわるエトセトラ

ある平凡な男にまつわるエトセトラ

光野桃さんが「最近、亡き人と現実との境が緩やかになってきた」とInstagramに書いてらした。今日、あらためてなるほどなと思う。

父も母もすでに亡くなっている。以前は亡くなった両親と私との間にはきっちりとした境界線があると思っていた。向こうは向こう、こっちはこっち。その間には誰にも越えられないあるいは越えてはならない境界線があり、お互いに違う次元で動いているのだと。でも光野桃さんのおっしゃる通

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みんながそれぞれうっすら傷つき...

みんながそれぞれうっすら傷つき...

とても世話好きな友人がいる。彼女は高校の同級生で、その当時から世話好きで仲間内では有名だった。クラスの誰かが悪さをしたら母親みたいに諭し、病気で休んだら下校時にノートを持ってお見舞いに行く。年配の先生を心配だからと家まで送っていったり、テストで悪い点を取ったら一緒に勉強してくれる。書き出すとキリがないくらいに世話に没頭した人だった。私もその恩恵を受けたうちのひとりで、私はお昼ごはんは学食に行ったり

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今日は、よちよち歩きでいこう

今日は、よちよち歩きでいこう

自分自身が口下手ということもあり、それほど親しくない人と話をするのはとても苦痛で気を遣う。相手が無口だとなおさらで、数秒の無言が何度も続いて帰りたくなってしまう。私が母親に似てなりふり構わずマシンガンのように喋るタイプだといいのだけど、どうも口下手な父親に似てしまったようだ。一言一言を考えながら話すので丁寧だと自分では思っているがなんせ時間がかかる。こんな私と無口な相手が二人っきりで話し合いの場に

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