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ムスカの帝国《140字の日記 21 × 140字のnoteことはじめ+  46》

 どんな体制でも、どんな国家であろうとも、最も大切なのは、国民の日々の食料を絶やさぬことと、国民の生活を自然の暴威から守ること。それが地に足がつくということで、ラピュタは地面から離れて滅びた。仮想現実の繁栄は所詮は妄誕にすぎず、空疎な輝きは、ラピュタ復活というムスカの夢にひとしい。

 

《140字の日記》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/m855ee9417844

《140字のnoteことはじめ 》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/mb58f251da50b

 

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 noteは書きやすいし、運営は熱心だし、ユーザーのレベルは高いし。
 ちょっとほかでは見つけられない、本当にいい場所だと思います。

 でも、ずっと、なにかが合わないと思ってきました。
 でも、その正体が明らかではありませんでした。

 

 そもそもの始まりは、この記事↓の《アホの子宣言》でしたっけ。

 そこからさらに違和感を解き明かしたくて、↓のような記事も書いてきました。

 これの続きでこんなのも↓。

 そして、毎日のように「数十年に一度」の「特別警報」にあたいする豪雨に脅かされ、そのなかでネット回線が一時途絶え↓、

 「生きていく」うえで何がいちばん揺るがせにできないのか、を静かに見つめたとき、

 noteにはない

 ということがわかってしまいました。

 

・◇・◇・◇・

 

 いま、五百蔵のなかでは、物事の軽重をはかるときに、

 「シータか? ムスカか?」

 この2つのどちらかに分類することが流行っています。

 

 つまり、科学文明の粋であるラピュタを離れて、地に降りて風や鳥とともに農耕をすることを選んだシータの一族の価値観に属するのか、

 それとも、あくまでもラピュタに固執し、天空から万物を支配したいムスカの一族の夢想に属するのか、

 この2つに分けるのです。

 

 例えば、これを国家に当てはめれば、重要だけど意見が分かれる9条のことはさておくとして、こうなります。

 シータの一族が治めるならば、食料の確保と自然災害からの安全を、国家の第一の任務とするだろう。
 経済も科学も、国民生活の安心のための手段、と位置づけられるだろう。

 ムスカの一族が治めるならば、原発の推進やインターネット上の空騒ぎへの梃子入れに邁進するだろう。
 国民生活も自然も、経済と科学の発展のための手段、となり、存在が軽くなるだろう。

 

・◇・◇・◇・

 

 いまのnoteはムスカの帝国です。

 インターネット上でのきらめきの追求。
 自分がきらめくための新しい軸の競い合い。

 地に足のつかないきらきらとした話題があふれることに、疲れました。

 というより、生きることの本質をしっかりとくみ取った記事を探しながらnoteの中をさすらうことに、徒労を感じるようになりました。

 

 そして、「特別警報」がたくさんの県に発令されている異常事態だというのに、運営がおすすめにピックアップした災害関連の記事が、これです。

 ていうか、今のところ(7月8日、午前8:00時点)、これだけです。

 

 

 

 

 これぞまさしく、咄咄怪事。
 日ごろは聡明なnote運営とも思えない。

 

 五百蔵は、この記事自体は大好きです。
 うちの子どもだって、この1週間は、毎朝のように休校のお知らせが流れないか、テレビにかじりついて確認して、毎朝のように「あーあ」といいながら、雨の中を自転車で登校していましたからね。
 五百蔵だって、「この雨そうはいっても異常だから、1回くらい休校でもいいだろ!」って思いましたし。

 

 でも、いままさに、生活と命を脅かされている人が、広範囲に、相当な数で存在していて、複数の県で無視できない数の死者が出ています。

 子どもの学校でも、安全のために自主的に登校を控えている家庭があります。

 noteにおいては、リアルタイムの風雨の状況のレポートは少ないですが、地元の川の激しい変容を、写真付きでレポートしている人もいます。

 

 なのに、運営が選んだのは、これ。

 人の命と安全を何より大切に思うなら、それだけをチョイス、というのははなかったはずです

 

・◇・◇・◇・

 

 どんなに輝いて見えて、どんなに広大無辺に見えても。

 インターネットの世界は、
 所詮は「妄誕」です。

 

 豪雨のせいで朝から夕方まで通信回線が途絶して、つくづく思い知りました。

 最終的に、人間を生かしも殺しもするのは、
 いま目の前にあって、見て触って感じられる「実物」です。

 インターネットの世界は、線が切れて信号がとどかなければ、立ち現れもしません。
 存在することを揺るがすことのできない「現実」の前では、
 風の前の塵に同じき「妄誕」なのです。

 

 「妄」とは、「ウソ」。頭の中に思い描いた、実在しない物ごと。
 「誕」とは、「ウソ」。言葉により大きく広げた、実在しない虚像。

 「妄誕」は、「全地球を網羅する仮想現実でのはてしない熱狂」を端的に言い表すに、たぶん最もふさわしい言葉です。

 

 そこできらめきを競っても、それは驕れる平氏か春の夜の夢の如きものなのです。

 

・◇・◇・◇・

 

 だから、フォロワーが減ることも、五百蔵を苦手に思う人が増えることも、いっこうにかまう必要がないことに気がつきました。

 

 大事なのは、自分が大切だと思うことを、小鳥のように自由に歌い語ることです。

 すくなくとも、noteはその自由は保証されています。
 そして、大事なことをさび分ける思慮のある人も、他の場よりは多いはずです。

 いまは、そのことに賭けて、noteに齧りつきます。

 

 この、平成最後の夏からは、だれかのリアクションに一喜一憂することなく、

 心から大事だと思うことを、
 心の底からだれかと分かちあいたいと思うことを、

 自由に語っていきます。

 お金はほしいですが、お金のための偽りはほしくない、というのも本当。
 スキをもらうのは嬉しいけれども、鋭いことを書けば書くほど減っていくスキの数には、もう、ふりまわされたくない。

 ここにならぶ言葉はまごうことなき真実で、
 インターネットが滅びた世界でも滅びることのない言葉である。

 そうわかってくれる人が、ひっそりとでも集まってきてくれたら、それが幸せです。

 

 わたしはここで、ことばを耕して生きていくことにします。

いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。