見出し画像

わたしの人生時系列(29歳で東京に!33歳でフリーランス)後編※長いです。

いよいよ、ご挨拶の代わりに書いていた上京までのお話も後編へ!
やりたかったこと、実際やっていること、やるまでの道のり、理想と現実。
そんな上京したからこそわかること、上京がきっかけで変わった心境、上京前と今との気持ちの差。
そんな事を書いていきます❤️

ちなみに、前回の引っ越し編でも書いた2週間で決めた家に実は今でも住んでいます。
理由はやっぱり

東京はお金がかかる!


再度引っ越すとなると、また50万ほどのお金が平気で必要になってくる。
更新のたびに「引っ越そうかな」と考えるが「お金がもったいない」の気持ちが勝る。
なので結果まだその家に住んでいる。
部屋も狭いし、収納もほぼ皆無。試行錯誤して色々住みやすくするための努力はしたが限界は簡単に見えた。でも何故かまだ住んでいる笑。
多分来年ぐらいには、いよいよ引っ越すと思う…
だから、それまではこのお部屋にお世話になるつもり。

ここからは本格的に引っ越しが終わってから、フリーランスになるまでの道のりを書いていこう。

まず29歳。上京したて。
前編でも書いた企業に就職した。
外資の会社で世界ではとても有名だが、日本ではほぼスタートアップのようなもの。
Japan TeamにHRなども存在しなければ、お給料の支払いも間違われることがあったり。
そもそも外資なので、色々な手続きのやり方が日本と違ったり問い合わせの返答を貰うまでに2週間以上かかることもあった。
(まともな外資系企業様たちこんな書き方ごめんなさいね、みんながみんなじゃないですよ)

でも、この会社で経験するカルチャーや成長は今まで社会人になってから経験してきたどの会社よりも人間として成長させてもらえた。(一応社会人8年目)
さっきも書いたが、この会社世界ではとても有名な企業なのでそもそもの企業のベースである企業理念や行動指針はとてもしっかりしていてどれも世界中の企業が見習うべきだと今も思っているような内容ばかりだ。

ここでは今の“私”の原点になる経験がとても多かった。
これを話し出すとキリがないが、現在まで含め約6年この会社に所属している、途中同時にヨガの講師になるための勉強もしていた。
この二つの経験が私の人生の大きな基盤になっている事は間違いない。
この会社は少し変わっていて、社員全員が起業家になる事を目指していた。(“いた”にした理由は、最近このワードが企業のバリューから外れたからだ)
昨日入社した人でも驚くほどの決定権を与えられる。そして、Teamはみなその決断をサポートする。
もちろん不安だし、結果間違うこともある。
そんな時は「すべての決断に自分が最後まで責任を持つ」という企業理念の一つに乗っ取り、間違えたなら成長に繋げればいい、サクセスしたなら大いにセレブレーションする。
こんなことが日々繰り返されていた。

そして同時におこなっていたヨガの指導者養成講座でも素晴らしい先生に出会った。
70代の男性で彼の言葉にはとても重みがある。
ヨガと同時に世界中の宗教と道徳について学んだ。

この二つの経験から私が感じたこと、その後の人生のコンパスとして大いに役立っている事の一部を書いてみる。

  • 絶対に他人は変えられない。変えられるのは自分自身のみ。
    どんなに相手に意見を言って、相手を正してやろう!としても、それは不可能でほとんどがエゴである。

  • 「信じるな、疑うな、確かめよ」
    この言葉は常に想像力を働かせ、自分が想像している事と目の前にいる人が実際に置かれている状況は違う可能性がある。なんでもすぐに信じずに、でも決めつけずに、自分の目で確認して確かめる。これは自分の思い込みでなんでも解決するのではなくしっかりとコミュニケーションを取ることの大切さを教えてくれた。

  • いつも親切で優しくいる事の大切さ。

わたしは常に大切にしている事がこれ以外にもたくさんある、これらの事は本当一部だけど、逆に全てを覚えているわけでもない。何かに直面した時にその都度思い出す事が多い。

そんな事を学びながら、考えながら、経験しながら、東京に馴染みながら、染まりながら、楽しみまくっている。

そんなこんなでこの会社でも4年が経ち、5年目にさしかかろうとしていた頃、私は急に仕事のパフォーマンスが悪くなった。
実際には自分のパフォーマンスが悪いことにも気づかずに仕事の締め切りは守れないし、やろうとしていることもうまく組み立てられない、口だけが先に動いて実際の行動が伴わなくなっていた。らしい。

この会社はとても人を成長させてくれていつも可能性を信じてくれて常にサポートしてくれる素晴らしい会社だ、だけど時に自分の成長のためにとても大きな決断や決定を迫られることがある。
実際に私はその困難を乗り超え成長をすることができた、だがその後から私はここの会社での楽しい日々を100%以前と同じだけ感じることができなかった。

この辺から私はこの会社から逃げたいと感じるようになった。
実際に何度も自分に自問自答したり、友達にも相談したり、人事の人にも相談したり、ありとあらゆる形でもがいてみた。
結果自分は今他のことにチャレンジしたい気持ちが芽生えていることに気づいた。
私はパッションを感じていた人権のについての事、男女平等、自分の力を武器にして仕事をする事に興味が湧いてきた。
ここで初めて上京後初の転職活動をしてみる。34歳。

転職活動をしているうちに、自分の気持ちが散漫していると自分のやるべき事にも集中力が保てずパフォーマンスの低下し周りからの評価も下がる。
そんなことにだんだん気づいてきて自分を客観的に見ることができた。(自分が何度もパフォーマンスマネージメントされた事はやはり間違いではなく、自分がその目の前にあることに情熱燃やせていなかったから当たり前のことだった)

そんな時はいつまでも1つのことに執着せずに自分の新しい可能性を信じてみることも大切だと改めて思った。

そんなある日、誰もが知るアパレルの会社からヘッドハンティングの連絡が来た。
誰もが知るアパレルの会社と書いたが実は私は知らなかった。(笑)
何か怪しい会社なんじゃないかと思いGoogleで調べた。友達にも聞いたら「え、その会社、若い2〜30代の女性なら誰でも知っているんじゃない?」と言われて、自分は非国民なんだと思った。(笑)
そこで初めてとても有名な会社だと知り、インタビューを受けてみることにした。
実際のインタビューの内容は仕事内容がとても面白そうだったのはもちろんだが、1番感じた事は自分のボスになる人の人柄がとても素晴らしかった。
この人となら一緒に仕事がしたいなと感じた。
だが、途中までインタビューが進んでいくと、途中から相手が提示してきた当初の条件が変わってきた。実はコロナ真っ最中だったのでそこまで驚かなかったが、もちろんショックだった。
のちに、その時の人事の方が提示してきたことが条件が私がフリーランスになるきっかけになる業務委託契約だった。

業務委託とは何?
フリーランスって何?
今後保険とかどうすればいいの?

色々な頭のこんがらがるような現実に直面したが、やってみないと経験してみないとわからないことの方がこの世界の8割以上を占めている!
そう心に言い聞かせ、いざ晴れてフリーランスの人生が始まった。

こうしてわたしのフリーランス人生はもうじき2年目を迎えようとしている。(お話の初めに書いた外資企業には今もパートタイムで所属している)

今は国民健康保険が高いとか、住民税が高いとか、確定申告のやり方が難しいとか、ふるさと納税どうすればいいの?とかたくさんの課題が目の前に山積みだが、これは決して知っていて損な事ではないと思っているのでめっちゃ詳しくなってやろうと思っている! (笑)

そして、こんな私でもフリーランスとして仕事ができる東京は、やっぱりチャンスが転がっている街だなぁと毎日感じている。
結果やっぱり東京はとても大好き。


ここまでとても長い文章を読んでいただきありがとうございます。
文章を書くのも初めてだし、とても読みやすい文章とは言えませんが一応前編から後編までを書き終えたかったのでやってみました。
今回書ききれなかった事は次回の記事に書いてみようと思います。
文章力のないこの私のノートを読んでくださいありがとうございます次の記事もがんばります!

LOVE MY LIFE

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?