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中高、吹奏楽部に入ると心を壊す?

おはようございます、音楽家のKazzです。

もくじ

中高、吹奏楽部に入ると心を壊す?

音楽家になり、普段仕事をされながら音楽を楽しむアマチュアの方々と職業音楽家として交流していく中で体感5人に1人ぐらいが学生時代の吹奏楽部でのパワハラ、モラハラに影響された演奏スタイルが身についているように感じます。

(これは恐らく僕自身も学生の頃に打楽器のスティックで殴られたり。暴言や嫌味を習慣のようにかけられた経験から”そのような方々”に反応しやすいというのもあります。)

よくあるのが硬直と震えです。
・本番の舞台上でだけ
・大勢で演奏している時は大丈夫だけれども、独奏になると
・特定の音域や曲の箇所になると
・特定の曲だと
・特定の楽器を演奏しているとなる
etc

話を伺っていくと、過去に大勢の前でしつこくしかられたり、自分の音をけなされたり、学生最後の演奏の後にボロクソに言われた経験がある等聞いているこちらの心が締め付けられるような経験をされた方が大多数です。もちろん学生を卒業した後のアマチュア楽団などに入った後や指導に来ていたプロ音楽家からの心無い一言から起きる場合もありますが、大概が学生時代という印象があります。

部活動とは

東京都教育委員会より出展

2 目指す部活動の方向性
生徒の自主的・自発的な参加により行われる部活動において、学校教育の一環として教育課程との関連を図りながら、生徒の主体的・対話的で深い学びを実現していくこと。

https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2019/07/25/11.html

あくまで東京都教育委員会、そして運動部向けのものですが、

知・徳・体のバランスのとれた「生きる力」を育む、「日本型学校教育」の意義を踏まえ、 生徒がスポーツを楽しむことで運動習慣の確立等を図り、生涯にわたって心身の健康を保持増進し、豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力の育成を図るとともに、バランスのとれた心身の成長と学校生活を送ることができるようにすること。

https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/physical_training_and_club_activity/files/club_activity/guideline_2_houshin.pdf

生きる力を育み、生涯にわたって心身の健康を保持し、音楽を楽しんでいくためにあります。

しかし、その中に「あの年のコンクールの課題曲は2度と聴きたくない」「2度と楽器に触りたくない」「いざ楽器を持ってみると身体が震えたり、緊張が走る」という人が生まれてしまっています。

これは果たして上記されている、「バランスのとれた心身の成長」がされた状態なのかと疑問が残ります。

ヒューマンエラーはなく、全てはシステムエラーである

僕が入っているオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」でもよく言われていますが、「ヒューマンエラーはなく、全てはシステムエラーである。」というのは僕自身目から鱗でした。

どうしたって何か問題が起きた時に人を責めた方が安易で早いからです。
責任の所在を求めたがり、腹切り(もとい首切り)で無かったことにしたがるこの国では、その昔まで通用した人口の莫大な増加があったため、首を切って無かったことにしても、人間が世に溢れていたので、全てが罷り通ったのです。

ですが今はそうもいきません。人を責めるよりも「なぜそれが起きざるを得なかったのか」ということを徹底的に調べ、100%とは無理でしょうが、できるだけ人間頼りにならないようにシステムを構築し、そのシステムを人間の補助に回すのです。人間が気を使いあって、頑張りあって、事故を無くしましょう!と言い続けても、そこには限界があります。

例えばいじめだってそうです。システム的に言えば、まず「いじめ」という言葉を無くします。暴力を振るえば暴行罪、暴言を吐けば侮辱罪や名誉毀損、物を取ったり隠せば窃盗罪、学校の中で調査解決するのではなく警察に入ってもらい公正的に捌いてもらいます。

このような動きがあれば本来学業をサポートする立場にある教師が金八先生のように業務外の指導まで行う必要はなくなります。いじめは犯罪です。

さらに各教科が四年生の大学をはじめ専門的な学校で教育を受け資格を持っている先生方によって教えられるのと同じで、各部活動も専門的な知識や必要であれば資格を持っている人によって教えられるべきです。

趣味で楽譜が読めるから、昔吹奏楽部に入っていたから、市民バンドに入っているから=吹奏楽を教えられるわけではありません。

これを読んでいる方の半分くらいは恐らく管楽器系の方でしょうが、学校の先生になられる方々の専攻はピアノや声楽、弦楽器を専門にしていた方だって多いわけです。

吹奏楽ではピアノや声楽、弦楽器は99%使用されません。「アルコールだから同じでしょ?」とビール屋さんが日本酒を作らされるような感じでしょう。本来は何から何まで違います。

なのでいじめ同様、学校教育と部活動は切り離すか、切り離せない場合は専門的な知識や資格を持った人を別に用意するというシステムが必要になります。

戦後、学校の先生たちの努力でここまで来ましたが、もう破綻しています。
(↓過労死やメンタルをやられ退職した人は数字に入っていません。)

仕組みが今の世の中、人材に合っていないとこういうことが起きます。

最後に

職業にするしないとかはどうでもよく、人生の中で本当に好きなもの、得意なものに出会うための選択肢の一つとして部活動が存在してくれたらと願います。

吹奏楽部で”コンクールで良い賞を取る!”というのは競争が好きな人には嬉しいでしょうが、そうではなく競い合うのではなく”ただ音楽に向き合いたい人”にとっては苦痛を伴うものでしょう。

何が言いたいかというと、それぞれの個性に合った部活動、さらに言えば音楽というジャンルで言えばコンクールに向けてガンガンやりたい人はそういう学校の吹奏楽部に入る、そうでない人は部活動には参加せず、のんびり音楽や人との交流を楽しんでいる市民バンドに入ればいい、とか好きなもの同士で小さいアンサンブルを組んで一年で数曲仕上げるといった色んな選択肢があっても良いのではないかと思うのです。

自分の知らぬ間に、入った学校でたまたま吹奏楽が強く自分の意図せぬまま厳しい指導をされれば誰しも理不尽に感じるはずです。

音が苦にはなるべきではありません。それでもやりたい人はそうすればいいし、のんびり自分のペースでやりたい人もいるはずです。そうした人がマイノリティーとして大変な思いをしないような、そういう意味での多様性を持った国や教育になると良いなと思います。

戦中、戦後、国民性を画一的にすることにより戦争や戦後の発展を行ってきたというのもあります。それらがなければ今はないのですから否定的ではありません。ですが、2022年、令和です。変化を拒ん商店街はシャッター商店街になりました。

僕らのこの国は果たして変化に寛容でしょうか?自分自身への戒めも込めて

Thank you

Kazz




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