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続けてきた物事に、救われる

おはようございます、音楽家、チューバ奏者、指揮者、金管バンドディレクターの河野一之です。

人生初の経験が続いているゆえかアウトプットの手が止まらない河野ですが(=河野企画の年始が暇、お仕事ご依頼大歓迎)、今日もこの期間を生きていた中で気づいたことをアウトプットしてみようと思います。

結論から

人生最悪の出来事という外からの刺激にフォーカスしていたものが、20年以上定期的に続けている楽器の演奏をすることによって、外に向かっていた意識が自分自身に向かった瞬間、救われたという話。

はじめに

僕の性格の一つに「しつこい」というのがあります。小さい頃に母親に「もうお前は本当にしつこい!」と何度も怒られてきた通り、いまだにこの特性を持っています。今も気に入った曲があると1週間ぐらい毎日ずーっと聞いていたり、食べ物も行動も一度ハマるとずーっとやってます。

まぁ人によっては僕の母親のように怒ることもあるのですが、僕は自分のこの特性によって救われたというか、得をしたことがたくさんあります。

それが、本当に好きなものはずっと好きで、ずっと大切にし、行動もし続けられるということです。イギリスで出会った友人たちもそうでした。

これはもちろん全てのイギリス人に当てはまるわけでは無いのですが、イギリスの僕が出会ってきた友人たちも古いものを大事にしたり、何度も修理に出して大切に使い続けてきたり、子供の頃から続けているといったことがたくさんあったりする人たちばかりで、僕はすごく自分の性に合ったなと留学中も留学後の今も感じています。

そんな中、僕もずーっと続けていることがいくつかあります。簡単に書き出してみると

・チューバ(=音楽、12歳の時から)
・サイクリング(4~5歳?〜)
・筋トレ(マジでやり始めて現在10年ぐらい)
・食事コントロール(同じく10年ぐらい、毎朝全く同じ献立の朝食を何年も食べている、夕飯はほぼ毎日食べない)
・17年~28年以上遊んでもらってる親友たちがいる
・バックとか時計とか、服も修理に出して何年も使っている。(最長のもので18年直しながら着ているコートがある)
・散歩(8年ぐらい)

今簡単に書き出してみただけでこのぐらい続けていることがあります。この中でも1番短くて8年の散歩ぐらい、本当に馬鹿の一つ覚えかの如くずーっとやっています。これらは僕の本当に好きな人やものです。

これだけ長い期間続けていると、その時々に人生の山もあったり谷もあります。先日そんな谷の中にいながらチューバの練習を続けている時にふと思ったことが、

続けてきた物事に救われる


ということです。

人生で最高潮に嬉しかったり、幸せな時も僕はチューバを吹いていたり、筋トレもしていたし、親友たちと飲みに行ったり報告をしたり、

人生で最悪な日もチューバは吹いていたし、筋トレも、親友たちへ連絡もしていました。

人生で最高や最悪なことが起きると、良くも悪くも世界がこれまでの日常からがらりと変わります。(実際、変わっているのは世界ではなく、それを認知している僕の認知の仕方が変わっているからなのですが)

そうした場合、スーパーハッピーならまだ良いのですが、人生最悪パターンな場合、東京タワーのてっぺんに設置されたとても不安定なシーソーの上で生きていかなければならないかのような全く安定しない、不安な気持ちになります。

人生の中でも最悪な状態にいるので心は波打ち、気持ちは逆立ちます。まるで傷ついた野生動物のように気持ちも身体も警戒状態になるのです。

前回書いたように、過去3回起きた人生最悪な日、本能的か、それともこれまで何十年と続けてきた習性的なものか、僕はその日もチューバを吹いていました。

そうすると、一瞬でも我に帰ることができるのです。幸せな時も、辛い時も、そして何でもない日常な時もしていた行動、楽器を吹く、練習する、筋トレをするという時間や行為が逆立っていた気持ちや脳内で爆音で鳴っていた警戒アラームを1度消してくれ、ただただニュートラルに戻してくれるのです。(Happyにはなりません、素に戻る感じです。)

つまり、人生最悪の出来事という外からの刺激にフォーカスしていたものが、20年以上定期的に続けている楽器の演奏をすることによって、外に向かっていた意識が自分自身に向かった瞬間、救われたということです。

この瞬間というか時間はかなり効果的で、確証はありませんが、恐らくこうした”瞬間”の多くが僕を鬱病や精神病に陥らせなかった理由の一つであると思います。

これはもしかしたら、どんなことでも良いかもしれません。長くやっていなければならないとか、大好きなものでなくてはならないとかという条件というよりかは、本質的に大変なことがあった時に、外に向かっていた意識を自分に戻せること、つまり自分自身に集中、意識を向けられることであれば良いのです。

それが人によっては何か美味しいものをたくさん食べるとか、日記をつけるとか、坐禅をするとか、散歩をするとかであるかもしれません。

ただ僕は、長年続けてきていることがあって、幸も不幸も、日常である時でもいつも通りにやっていた時に自分が救われたことが多かったというだけです。

最後に

このnoteは日記的な、今この瞬間に感じた印象的なことを未来の自分のためにアウトプットし、残しているだけです。

しかし、もし何かの間違いでも、このnoteが誰かのお役に立てていたのならそんなに素晴らしいことはありません。

今日もありがとうございます。
Hope you have a lovely day.

Thx

Kazz


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