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テトラの親子 ~後編~


某年 初夏

あれから数十年、親父は残念ながら相変わらず元気です。ただ、困るのは差し入れで持っていったジャージを夏になると今だに着ている。

新しいジャージを買えと勧めても「このジャージはお前から貰った唯一のプレゼントだからな。」と言って譲らない。

俺は親父に誕生日も父の日もプレゼントを渡したことが一度もない。勿論、そのジャージはプレゼントではなく、留置所にいた親父への差し入れだから返事に困る。

最近、そのジャージを着て親父がぼやいていた。「ズボンのゴムが伸びて下がってくるんだよな。このジャージ、腹回りに紐がないから不便だ。」そんな親父を見て、なんだか笑いが込み上げてきた。

ニュースで観る政治問題や環境問題とまるで無縁の小さな世界で身分相応の生活をしている我が家。ささやかな幸せを願い、ときにはそれを邪魔するかのような試練や不幸に翻弄される。試練や不幸と言っても、ロウソクの炎を揺らす程度の微風なのに、然(さ)も大事件のようにアタフタしてしまう。

親父が紐が無いことをぼやいているのもロウソクを揺らす程度の微風的不幸だ。警察に連行された以外にもいろいろあったけど、何だか今が凄く平和に感じて笑いが込み上げてきた。微笑む俺を不思議がる親父に背中を向けて、玄関脇の水槽を眺めて親父の視線をやり過ごす。

水槽に目を落とすと、沢山いるテトラの中で寄り添うように泳ぐ二匹のテトラがいた。しかし、水槽の真ん中までくると、どちらかが身を翻し水槽の縁に逃げて行く。残された一匹は進む先を見失ったかのように身体と尾びれをぎこちなく動かし、水槽の縁をなぞり逃げた方を追いかける。逃げるテトラもさらに身を翻し逃げるが、いつの間にか二匹はまた寄り添うように泳ぎ出す。

そんなテトラを眺めていると、何だかうちの親子関係に似ている気がした。

また頬がゆるんでしまった。

履きふるしたジャージ。何処かで引っ掻けて破れて穴が空いた所に可愛いヒヨコのワッペンを縫い付けてあるジャージ。

歩くとずり落ちるズボンを両手で引っ張り上げる親父をチラ見する。「ん?なに?」視線を感じた親父が振り向く。

『紐付きのジャージをリボン掛けた箱に入れてプレゼントしてやるよ。』なんてこと言える訳もなく、「なんでもない。」と無愛想に返事して背を向けテトラを眺める。

でも、そのジャージを見ると浜名湖中央署を思い出すんだよな。それにヒヨコのワッペンは親父には似合わないから、新しいジャージをプレゼントしてやろうと思う。


今日、この頃…。




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