藤堂晋司

広島生まれ。多摩美術大学進学時に上京、20年以上東京で暮らし、佐渡島に移住。現在、保育…

藤堂晋司

広島生まれ。多摩美術大学進学時に上京、20年以上東京で暮らし、佐渡島に移住。現在、保育園の園長を勤めつつ、保育に、子育てに奮闘中。隙間時間でタップダンス、スケボー、お絵描き等。 「ば project」代表。 https://www.instagram.com/tdshinji/

マガジン

  • 日々の事

    日々の様々なことを綴っています。

  • 子ども・子育ての事

    我が子の様子だったり、子育てで思った事だったり、子どもの関わりに関する気づきや呟きだったり…を、綴っております。

  • 娘は踊らないし僕は釣りばかりしている

    釣りと、それに関して思うことを。 読んでも釣りは上手になりませんし、魚にも多分詳しくなりません。 ただ、釣って食べる日々のモヤモヤをつらつらと。

  • 「ば project」 の事

    「ば project」は、私、藤堂晋司(保育園園長・タップダンサー・etc…)を代表とする「らしくいられる場」「表現する場」「語り合う場」と「子ども」について考えていくプロジェクトです。 かなり、思いと勢いで作った団体ですので、見切り発車もいいとこですが、色々企画していきたいと思っております。

  • 描いたり作ったり

    絵を描いたり、何か作ったものをこちらに。 気に入ってもらえたら嬉しいです。

最近の記事

ああ、生活。

毎朝、日の出くらい、もしくはそれより前に起きる。 天気と潮の状態が良さそうなら、釣れそうなら、今、他に急いでやるべき事がなければ、釣りに出かける。 それか、土間で踊る。 Macで何かしらを創作する。 朝は色々自分の時間。 最近、長女が早起きするようになってきた。 「朝、ゆっくりしたい。」 と、起きて、着替えて、ゴロゴロしている。 「寝た方がいいんじゃない?」 と言ってみるが、起きてぼんやりゴロゴロしているのがいいらしい。 それは、すごく分かる気がする。 今朝は

    • 蟹と紙芝居

      我が家の裏は砂浜なので、ヒラメが居るのではないか? で、あれば、釣りをしながら散歩するともしかしたら釣れるのでは? と、長女が提案してきたので、釣竿を持って散歩に行くことにした。 たしかに家の裏は砂浜だが、かなりの遠浅で釣りに向いているかというと難しそうだ。 4月後半、佐渡ではヒラメが釣れるシーズンではあるけれど、まあ、まず釣れないだろうなあと思いながら投げてみる。 「私が巻く!」 と長女が竿を奪ったので、はいはいどうぞという感じで渡す。 僕自身はそんなに釣る気がないの

      • タモが来た。

        ちょっと前の話だが、タモが来た。 来たと言っているが、買ったのだ。 勝手に手元に来てくれればもっとよかったのに。 「これ、あげる。」とかで。 ちなみに、この文章は書き始めてから結構時間が経っているので、タモがうちに来たのはもう4−5ヶ月前の話だ。 タモと言うのは、そのまま引き上げられないような大きな魚が釣れた時に使う、長ーい柄のついた大きな網の事だ。 ランディングネットとも言うらしい。 呼び名はどっちでもいいと思うが、タモのほうが響きが玄人っぽい。 「おい!タモとってく

        • 娘は踊らないし、僕は釣りばかり行っている

          「お子さんも踊るんでしょう?」 「やっぱり、お子さんも絵を描くんでしょう?」 よく言われる。 まあ、全くやらないという事は無いけども。 一応美大を卒業しているし、佐渡島に移住する前は毎日のように踊っていたわけだから、きっと子どもも絵を描いたりダンスしたりするのだろう。というか、習わせたり教えたりしているんじゃない? と思われるのは、まあ、そうだよね、と思う。 とはいえ、本人が興味のないのであれば、わざわざ教えたりはしない。 時間は自分のモノだ。しかも、限られている。

        ああ、生活。

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        記事

          スーパー・ウルトラ・コピーロボット

          Y博士の作った。 超高性ロボットY型。 T博士は考えた。 何が使われているんだろう? どうやって作ったんだろう? 僕も作りたい。知りたい。でもわからない。 しかも、Y博士は何も教えてくれない。 T博士は考えた。 とりあえず見えるパーツを作ってみよう。 仕組みは…わかんないから、観察して考えてみよう。 T博士はああでもない、こうでもないとロボットを作った。 それがT型ロボット。 Y型ロボットと似ているような…似ていないような…。 いや、全然違うかも。 うん、全然違うじゃん

          スーパー・ウルトラ・コピーロボット

          子どもがいる世界だからこそ人は

          自分と違う場所にいる人や、違うことをしてる人の話を聞いたり見たりする事ってやはり大事だと思う。 いつも新しい事に出逢わなくてもよくて「ああ、そうだったそうだった」とか立ち返る事もとても大事。 びっくりするくらい、繰り返される日常の中で色々な事が凝り固まっていくものだ。 当たり前を見直したり、癖になっている事を解きほぐしたり。それは、常にある環境の中では難しい。 では、とにかくあちこちに行く? と言われると、それはそれで迷子になるから、軸になる考えや、場所や、人は決めてお

          子どもがいる世界だからこそ人は

          あの光画部のように

          上町園内勉強会の西川正さんゲスト会にオンライン参加してきた。 その時の内容はここには書けないのだけど(notoのアーカイブ出たらリンク貼ろうかな)会の後、色々な人と話したり、一人悶々と考えたり、もう諦めて「アソーカ」観たり、さらに諦めて寝て起きた時に、急に思い出したことがあるので、朝からnote書いている。 あ、その前に。 朝起きた時、3歳の次女が 「あ!お父さん出てきたよ!」 とニコニコ寄ってきて、またすぐに隣で寝てしまった。 『出てきた』って何から?笑 『戻ってき

          あの光画部のように

          再現された日常に仰け反る

          今日どんなふうにドアを閉めたかなんて覚えていない。 覚えていないけど「ああ、確かにそうだった」と思える描写に出会えることがある。スタジオジブリの作品(まあ、作品と監督によるのだけど、、、)の話だ。あの描写には狂気すら感じる事がある。 例えば「風立ちぬ」で一番好きなシーンは主人公が図面を引いているシーンなのだけど、あれはまさに図面を引いている人だった。 別な作品で乗り物に乗った時の軋み方とかも、本当は多分そうじゃないんだけど、でも感じ方としてはそうだし、いや、やっぱり実際そ

          再現された日常に仰け反る

          研修後記

          長岡にて、青山誠さんの研修に参加。思えば対面の研修は久しぶり。研修はもちろんとても良かったし、その後の懇親会で、色々な保育者との話も楽しかったなあ。 話せば話すほどに、保育はやっぱり実践者というか、子どもの側にいる人のモノというか。 それをひしひしと感じる。 でも、だからって現場以外の保育に関わる人…例えば運営側の人であるとか、なんなら行政の人であるとか…というか、もう世の中全体の人が、こういう話に触れなくていいとやはり思えず、実践者の話ってほんと大事だよなあ、大事にし

          たのしいよね。保育園。

          ここにきて急に振り返るのだけど。 令和4年度は初めて園長として卒園式を迎えた年。 どんな卒園式がいいかなあと考えた。 「子ども達がやりたい式にしよう」というのはちょっと前からあって、それこそピカピカに飾られた椅子が出てきたり、同じ島内の卒園式とは結構違う、独特な卒園式はやっていたと思う。 個人的にはもっと突き抜けた式にしたい気もするが、悪ふざけみたいになってもなあと、押さえるところは押さえているつもりだ。 世の中いろんな卒園式があると思う。 大きな声で小学校に行ってから

          たのしいよね。保育園。

          NOWHERE SPECIAL 

          本題に入る前に。 映画館は映画という非日常への入り口であると思っている。 映画館の扉を潜ってからスクリーンまでの道のりはある意味世界の切り替わる時間。大型劇場でエスカレーターをいくつも乗り継ぎながら作品への期待を持ちながら向かうもよし、小さな劇場で日常から非日常への急な切り替わりも楽しい。 佐渡島唯一のミニシアター、ガシマシネマは客電が落ちるまで日常を引きずっているところが面白いところの一つだと思っている。 スクリーンの下に箪笥?が見えるとか、今回など、上映前に庭のカエ

          NOWHERE SPECIAL 

          大人だって正解も知らなきゃ、未来も知らない

          大人は見通しが立っているのだろうか。 見通しが立ってて「そのためにこうすべきだ!」と、例えば子どもたちに言ってきて、実際そうなったんだろうか。 まあ、なったりならなかったりだよねと思いつつ、だからこそ、そんなにやいのやいの言わなくてもいいのになあと思う。 まさに心配していた事が起きたりすると「それ見たことか!」と鬼の首を取ったように言う人がいるけど、それ、確率で言えばどのくらいなんだろ。大体の人は、その「まさに心配していた状態」になってないような気がするんだけど。 大

          大人だって正解も知らなきゃ、未来も知らない

          それでも明日はやってくる

          小学校1年生の長女が、今日が終わるのが嫌だ。 今日と違う明日が来るのが嫌だという。 僕も、今日という日がもう終わって嫌だと思うことは沢山ある。 何かやるべき事に追われてる時とか。 なんとなく過ごしてしまって勿体無いなと思う時とか。 楽しくて仕方なくてあっという間に時間が過ぎた時とかまあ、色々あるけども。 でも、今日と違う日が来るから…か。 考えた事ないかも。 なんなら、今の僕は少し楽しみにしているように思うけど。 (何かに追われてない時は) もう、大人になってるか

          それでも明日はやってくる

          大人になっていく人たちを見て

          4月になり、娘が小学校に進学したわけだが、なんというか、やっぱり小学生というのは結構大人…というか、人間社会の一員というか。 それは、通う本人はもちろんのこと、その保護者も「あ、人間社会に生きてるんだったわ」と思い出すような。 もちろん、娘に限らず、世の多くの子ども達とそれを取り巻く世界も同じなのかなあとは思う。 あの感じ。 人としての安心感が生まれるようでもあり、命としての危うさも感じるような。 「あんまり好きじゃないんだよなー。この感じ。」と、僕などは思ってしま

          大人になっていく人たちを見て

          大人と子どものルール

          世の中色々ルールがある。 なんのために有るのか解らないものや、誰も得しないもの(ほんと、たまにこういうのもある。)は無くなってしまえと思うが、ルールそのものが無い方がいいとは思わない。 ルールを設けなくてはならない理由は色々あるのだ。 理由は全ての人に当てはまるかはわからない…というか、そのルール周辺の人以外にはむしろ当てはまらない事が多い気もするのだけど。 子どもと関わっていると(子育てなんかでももちろん)このルールというやつに結構出くわすし、大人と子どものルールという

          大人と子どものルール

          47歳になっても学んでばっかりです(「創るプロジェクト&佐渡マイプロ」の発表会に参加して)

          47歳の誕生日に「創るプロジェクト&佐渡マイプロ」の発表会のアドバイザーとして呼んでいただいた。 おかげさまで若い人たちの貴重な話を聞く事ができ、有難いことこの上ない。 声をかけていただいた地域おこし協力隊の五百川さんにも感謝しかない。 中・高・大学生の「やってみたい」や「解決したい」に取り組んだプロジェクトの発表だったのだけど「アドバイス必要?」と思うくらいの仕上がりで驚いた。 同じくらいの年の頃、僕は何してたかな。 踊って、青少年センターの半地下でたむろして、隣の土手

          47歳になっても学んでばっかりです(「創るプロジェクト&佐渡マイプロ」の発表会に参加して)