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娘は踊らないし、僕は釣りばかり行っている

「お子さんも踊るんでしょう?」
「やっぱり、お子さんも絵を描くんでしょう?」

よく言われる。
まあ、全くやらないという事は無いけども。

一応美大を卒業しているし、佐渡島に移住する前は毎日のように踊っていたわけだから、きっと子どもも絵を描いたりダンスしたりするのだろう。というか、習わせたり教えたりしているんじゃない?
と思われるのは、まあ、そうだよね、と思う。

とはいえ、本人が興味のないのであれば、わざわざ教えたりはしない。

時間は自分のモノだ。しかも、限られている。
他にやりたい事があるなら、そちらに割いたほうがいい。
(と、思いつつ「Youtubeをひたすら観る」とか「ゲームしたい(家にゲーム機は無いが…)」という「他のやりたい事」にはつい眉を顰めてしまうというのは…。いや、この辺りは匙加減が難しい!)

ちなみに、娘達とは一緒にタップダンス等をした事はあるが、特にハマっている様子はない。長男は産まれたばかりなので踊るどころか首が座るかどうかというところで、未知数。

そもそも、別に教えなくても好きに踊っている様子がなんだか楽しそうなので、僕としてはそれで十分だ。

今のこの表現を崩したくないという気持ちもある。
後数年で、こんな面白い踊りはしなくなるんじゃないか。
どんどん『面白い』と『自由』から離れていくんじゃないか。
そう思うと、尚更余計なことはしたくない。
(もちろん、他のご家庭よりはダンスに触れる機会は多いと思うので、それは何かしら影響していると思うけど。)

絵も、特に何か教えたりしていないが、本人の元々持っているもので
「いい絵を描くなあ!面白いものを作るなあ!」
と思う。

だから、こちらも余計なことを言ったり教えたりする必要はないなと思っている。

この面白い作品達との出会いも、後数年かもしれない。
踊りや製作活動が、環境の変化や他者評価を意識することでどう変わっていくのか。願わくばこのままで…と思うけど、世の中はそこまで面白く出来ていない気がするので、それは難しいだろうなあ。


ところでお前は何をしているのだと言われたら、なんならほとんど踊っていないし、絵も描いていない。強いて言うなら、いわゆる『本業』を頑張っている。

とはいえ、続けていないと何事も衰えてしまうので(すでに結構危険なレベルではある)どうにか衰えない…もしくは緩やかに衰える為の練習のようなものは続けているけども。

踊りと製作に関しては「緩くなった」と思う。
気持ちも。
お腹周りも。

納得がいかず完徹しながらデッサンをしたり、12時間同じステップを練習していた僕はもう居ないのだ。(振り返ると、若さもあったとは思うが、どうかしてると思う。)

何よりも時間がなかなか取れない。
暇に見えるかもしれないが、ちゃんと仕事はあるし、帰宅後や休みの日は、子どもや家族と遊びたい。

じゃあ、今は仕事と家庭の事以外に何もしていないのか?
自分の時間は無いのか?
というとそんな事はない。

24時間しか時間がないなら、自分の時間は作るものだ。
家族はあまり早起きではない。
なので、早朝であれば自分だけの時間が取れるということに気がついたのだ。

そう、だいたいAM3:30から6:30くらい。
この時間なら誰も起きてこないし、気兼ねなく自分の事ができる。

え。
…3時間もある。

毎日『ロード・オブ・ザ・リング』を観ても大丈夫なくらい、時間がある…。


ただ、そんなに『ロード・オブ・ザ・リング』ばかり観てられないし、この時間はもっと有効に活用すべきだと考える。

さすがにタップシューズを履いて踊ったら(履いてなくても)近所迷惑だし、絵は…ここ最近とにかくモチベーションが上がらない。

悩んだ結果しばらくは読書に耽っていて、それはそれでよかった。
しかし、この時間を最も有効に活用できる趣味を見つけてしまったのだ。

いや、再開というのが正しい。


それは釣りである。


再開のきっかけは長女の「釣りしてみたい」という発言からだ。

その時、季節は夏で、投げ釣りでシロギスを狙った。
あっさりと釣れてしまった事で、長女は「釣りに行けば釣れる」という思考になった。実際、それなりに何かが釣れる事が多かった。しかも、長女が。

その後、撒き餌と擬似餌で釣りをするサビキが密かに流行る。
「サビキってなんでも釣れるよね」とひたすら防波堤でサビキで釣る時期を経て…

長女の「イカを釣ってみたい」という一言から始めてしまったエギングで、完全に僕がハマってしまった。

海が近いから、ちょっと時間があればすぐに釣りに行けるというのも、ハマることに拍車をかける。(ちなみに、佐渡は島なので、ぐるっとまるっと周りは海だが、沿岸部に住まなければ海もそれなりに遠い。どこでも海が近いわけではないのだ。)

ウチは部屋の窓から海が見える。
というか、道路を挟んで海。
日々釣りに行きたくても海が遠くて行けない釣り人 a.k.a アングラーは沢山居るだろう。

しかし、僕は徒歩で海に行ける。
そして、生き餌は極力使わない主義なので、仕掛けを無くさなければ何度でも使える。つまり、特に餌を買わなくてもすぐに行ける。

これは、釣りをやらない方が勿体無いのではないか?
しかも僕は、中学生2年くらいまでは、ひたすら釣りをしていたのだ。
休みになれば竿を持ち出かけ、海へ、川へ、池へととにかくひたすら釣り歩いていたのだ。

一度やめてしまったのは、ゴミやタバコをそのまま海に投げ捨てるマナーの悪い釣り人を目の当たりにしたり、「魚は痛みを感じないから」と、釣った魚を雑に扱ったり、釣った魚を食べないのに釣る(僕は基本釣ったら食べる派。リリースサイズは別として。)人たちが増えてちょっと嫌になってしまったからだ。

しかも、一度魚に感情移入して、口に釣り針が掛かって引き廻される自分を想像してしまって益々嫌になってしまった。

このイメージは今でもちょっとある。(人を、食べ物で釣って捕食する動物がいたなら、きっと僕も同じことになるな…と思いながら釣っているわけだ。そのイメージを持っているのに釣っているのはどうなんだ、とは思うけど。)

それでも、やはり釣りを再開してしまったのだ。


だって、魚は美味いから。

肉か魚か、といわれれば、魚派である。
コース料理で「メインはお肉になさいますか?お魚になさいますか?」と聞かれれば、結構な割合で魚である。

そして、これが何よりも重要なのだが、佐渡の魚はやたら美味しいのだ。

佐渡の魚は美味しい。

鮮度だけじゃ無い気がする。
別な地域で釣って食べていた時よりなんか美味い気がする。
海のポテンシャルが高いのだろうか。
スーパーの魚も安くて美味しいし、なんなら回転寿司もとても美味しい。(それは米も美味いから)

魚が美味い島、佐渡。

ならば、より美味い魚を自らの手で!
と思うのは実に自然な事ではないか。

そして、僕に与えられた自由時間であるAM3:30からAM6:30。

これは、釣りをする人なら誰でも知っている…むしろ、狙って出かけたいであろう『朝マズメ』の時間を含んでいる。

下手でも釣りやすくなる時間帯、朝マズメ。
大物なども釣りやすくなる朝マズメ。
早起きは大変というかもしれないが、僕はそもそも早起きだ。
釣り場までの移動時間も徒歩5分。

始めるか!
朝マズメ限定の釣りという日課を!


こうして始まった朝活だが、釣行回数はぐんぐん増え、そこそこ釣果が出せている。釣ったものは基本食べる。

そして、どうしてどうして、色々と悩む。
釣れないとかではなく。

魚って。
生き物を食べるって。

僕は魚を観るのも好きだ。
水族館にはできれば毎週行きたい。

そんな魚を日々締めて食べている。
これは、まともな事なのか。

なんだかモヤモヤしつつ、でも、止められないループ。

だから、文字にしようと思った。

これは
「釣りってやっぱり残酷な気がするんだけど、でも魚は美味いし。残酷と言いつつ釣れた時の脳内の高まりとかって一体…あと、日々食べてるけど海洋汚染とかってどうなの?」
などと、おおよそ釣果に関係のない事で悩みつつ釣りをしている釣り人の物語である。

だから、これら一連の記事を読んでも、釣りが上手くなったり、何か詳しくなることは無いと思う。

それでもよろしければ、どうか一緒にモヤモヤしていただきたい。

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