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NOWHERE SPECIAL 

本題に入る前に。


映画館は映画という非日常への入り口であると思っている。
映画館の扉を潜ってからスクリーンまでの道のりはある意味世界の切り替わる時間。大型劇場でエスカレーターをいくつも乗り継ぎながら作品への期待を持ちながら向かうもよし、小さな劇場で日常から非日常への急な切り替わりも楽しい。


佐渡島唯一のミニシアター、ガシマシネマは客電が落ちるまで日常を引きずっているところが面白いところの一つだと思っている。

スクリーンの下に箪笥?が見えるとか、今回など、上映前に庭のカエルの声が聞こえてきた時「これは、BGM?それとも本物?」と聞たりするとことか、なんか世界の切り替わりがいい意味で曖昧なのだ。それなのに、客電が落ちると一気に映画の世界に入る感じがいい。

客席数もあまりに多いと鑑賞者の感情は波となる。
映画の演出と相まって一方的に感情を揺らしてくるのもそれはそれで楽しいが、2〜30人程度だと、同じシーンでも個々の揺らぎのようなものも感じられ、同じ映画を鑑賞しながらズレを感じるのがまた楽しい。

いずれにしても、こういった事はホームシアターでは楽しめない部分。
「映画は劇場で」
本当にそう思う。


さて、前置きが長くなったが、邦題「いつかの君にもわかること」原題「NOWHERE SPECIAL」をガシマシネマで鑑賞してきた。

久しぶりに心が大きく乱れる映画に出会えたなあと思ったので、気持ちの整理も兼ねて感想など書いてみる。それにしてもさすがのガシマシネマチョイス。願わくば、もっと公開前半に観てこの記事を書きたかった。(何かの効果があるかはわからないけど)

ネタバレ要素なしに語ることは難しい映画なので、まだ観てないけど観る予定の方はご注意を。

あと、あらゆる作品は個人の捉え方は自由だと思っているので「えー?そんな映画だった?」と思う人も居るかもしれないが、そういう方とも逆に話をしてみたいものだ。

それでは。



まず、タイトルは原題「NOWHERE SPECIAL」がしっくりくる。
「いつかの君にもわかること」が違うとは言わないが「君」である4歳の息子マイケルは、子どもならではの鋭さで、肝心な部分はしっかりわかっているように描かれているので、ちょっと違和感がある。「死」について、「別れ」について、周囲の大人が思っているよりも、肌でその空気を感じている。劇中の彼は、そんな姿に見えた。

実際、子どもは大人が思っているよりも鋭いと思う。
大人の事はよく観ているし、大人が思っている事を、その仕草や周りの空気から読み取り、上手く大人と折り合いをつけていると思う事が多々ある。

劇中でもドキッとする一言を発するが「どこで知った?」「誰が言った?」ではなく、彼は感じとって発言している。

逆に大人はどうだろうか。

この映画の主人公もそうだが「子どもにはまだわからない」「まだ知るには早い」と、一般的な大人の価値観で子どもを見る。
そして「その子そのものを見ない」ことから、「自分の子で一番わかっているはずなのに、わからない」という状態に陥る。

ただ、主人公は子どもの小さな呟きを逃さず、その子の行動をしっかり目に焼き付けていた事で、大切な事を見逃さずに済んだ。当たり前のように、その後の行動も変わっていく。

このシーン、勝手に「ああ、大人が子どもに出会う瞬間だなあ」と感じていた。

こういった部分がものすごく丁寧に、それでいて、とてつもなく抑えられた表現で描かれている。ひたすらに心を揺さぶられるエピソードが続くが、作中の人物は監督の指示により、ひたすら抑えた演技をしている。

今まであまり気にしなかったが、作中の人物が感情を抑えると、その反動は鑑賞者が受けるのだなあと思った。本来、劇中の人物が体験するはずの感情を鑑賞者の方が強く受けるのだ。

これ、とんでもない事が起きた時に当事者が冷静だと「あんたなんでそんな冷静なの!?」と隣にいる人がヒートアップするのに似てるな。面白い。

ただ、その分観た後のダメージが大きい。
シーンで言うと「里親になるならこんな子が欲しい」という願いが強すぎる夫婦が出てくるあたりのダメージは特に大きい。

彼らが発する一言一言を、主人公が淡々と受け止めるので、突き抜けてきて視聴者に刺さる。ただただ苦しい。

でも、他の大人も一歩間違えば彼らのような自分本位の願いを持ってしまう危うさはある。主人公が我が子を託す家庭に求めるものも、ここまで歪ではないが似た要素はあるだろう。


もうひとつ「NOWHERE SPECIAL」のほうがしっくりくると思うのは、このタイトルがこの親子だけに向けられているだけでなく、登場人物全員に、そして鑑賞している私たちにも当てはまると感じるからだ。

『どこにも特別なところがない』というとちょっと絶望的な感じもするけど、でも、だからこそ、それなりに大丈夫という気もする。

この子にだけは。
自分とは違う人生を。
せっかく子どもを授かるなら。

どんなに願ったとしてもNOWHERE SPECIAL。
だから、逆に大丈夫なのかもしれない。

「そんなこと言ったってNOWHERE SPECIALなんだぜ?」とも受け取れる。
(パンフレット読む限りそんなメッセージは無さそうだが)

ただ、そういうメッセージだと思った後に観るラストシーンはとてもいい。
ハッピーエンドとも違うけど、バッドエンドでも無い。
ああ、そうだよね。と少し安心して終わる。

エンドロールが終わり日常が戻ってくる。
雨はあがって、カエルは泣き止んでいる。
店主と少し話し、急いで家に帰る。

この映画、急いで家に帰りたくなる。


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